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10月 04 2024

神の教えと悪魔の教え

10:40 AM ブログ

ずいぶん天気が荒れているようですね。

こちら東海三県でも激しい雨が降りお隣の静岡県では突風まで吹いたとか。こちらの人たちは神理を知っている人も多いでしょう。神理を実践する人が増えてくるなら、こんなひどいことも起きないのに本当に残念です。

それが嘘ではないということは私が証明しているのにです。

それなのに、あえてそれを無視。無視するどころか、そのようなことを知っていても平気で嫌がらせをしてくる。

そんな奇跡が起きている者にわざわざ嫌がらせをしてくるんですから、そうして、そのような奇跡が起きる教えを知っていて、あえてその教えに逆らってくるのですから、それは自分によくないことが起きるのも道理でしょう。

不幸になりたいのですか? 愚かな態度は早く直すことです。そうすれば幸せになれるからです。その幸せになれる道を(嫌がらせをしている人たちは)みな知っているからです。

しかし、そんなこちらだけでなく、あちらにもそのような不幸な道を突き進んでいる人たちがいますよね。あちらとはもちろんテロ国家イスラエルのことです。(なんでそう指定しないんでしょう。G7はです。金ですか? 核戦争より金ですか?)

自分から不幸になりにいくことばかりして、そうして周り中を敵に回している。(ガザのハマス、レバノンのヒズボラ、イエメンのフーシ派、イランなどなど)しかし、こちらはあまりに突っ張るなら、核戦争も起きかねない。(もはや世界は核兵器があふれているようですから。戦術核から戦略核まですさまじい数のです)

イスラエルが(の一部の狂信者の人たちが)反省し、ことをおさめて神の心を通した話し合いをしてくれるなら、それでおさまっていくのにです。しかし、それは絶対にしない。すぐに武器を使った戦い。しかし、信仰者は手にはなにも持たないはずですが、そこは守らないのですか? 狂信者の人たちはです。(狂信者の人たちはって)

様々な武器で周りの人たちを傷つけ殺し、それで自分たちの使命を果せるとお思いですか。もし、それをよしとするなら、それは本当の神の教えではありません。それは悪魔がつくった悪魔の教えなのです。

それがまだ分からないのですか? 哀れな狂信者の人たちにはです。だから奇跡が起きないのです。その教えは神の教えどころか悪魔の教えでしかないからです。

そんな哀れな悪魔の教えとはタルムードではないかといっている人もいますが(昔、そんなタルムードが書かれた本はたくさん出ていましたので、興味がある人はアマゾンかなにかで調べてみてください、まだあると思いますから)しかし、そのタルムードは神がつくられた教えではありませんよね。

少なくとも神の使いが述べられた教えではなく、ユダヤの長老たちが(勝手に。自分たちに都合がいいように)つくった教えですよね。タルムードなどです。なんでそんな教えを信じるのですか?

そもそもそんな教えを基準にする方がおかしい。しかし、狂信者の人たちは、それをそのまま信じているんでしょうか。

だとしたら本当に哀れです。そんな教えが正しいか、間違いかは少しまともに考えるなら分かるはずであるからです。一歩下がって第三者の立場に立って冷静に考えるならです。

それも考えず、昔からいわれていることであるからと(日本もそういうところはありますが)それをそのまま信じ、なんでもかんでも自分たちは特別。神から選ばれている。

よく考えてもらえませんか。もし、そのような人たちがそんな特別な人たちであるなら、神からきっと特別な力も与えられていることでしょう。そのことがよく分かるようにです。モーゼやキリストのようにです。

しかし、そのように思っている(選民思想のある)人たちの中でです。そんな力がある人がいるのですか? そういう人たちばかりであるなら、それは選民と私も認めるんですが、そんな人一人としていないのではないですか? 選民思想など持っている人たちの中にはです。

いるわけありません。そんな選民思想自体が間違っているからです。選民とは生まれでなるのではなく、この世の行いでなるからです。この世の行いが立派で多くの人たちを正しく導いていけた人こそ神から選ばれる人であるからです。

それなのに、武器を持って多くの人たちを殺し傷つけている。なんでそんなことをしている人たちが選民なんでしょう。悪魔に騙されているのもたいがいにした方がいい。それでは滅びてしまうからです。そんな間違ったことをし続けている自分たちだけでなく多くの人たちがです。

もはやそのような時代になっているからです。

それから旧約聖書もです。何度もいっていますが、正しく書かれた部分と間違って書かれた部分と両方あるのです。

特に、モーゼが戦っている部分は(人を争わせている部分は)みな間違いです。モーゼは一人の人も殺さず、調和と安らぎの内に話し合いで解決されたからです。

日照りのところには雨を降らせ、大嵐がきているところにはその大嵐を鎮め、そのような多くの霊力を現わして、時間をかけてゆっくり他の民族と調和を図りながら神理を伝えていかれたからです。(だからモーゼ自身が人を殺したといわれている部分もです。創作とまではいいませんが、そのようなことを通してしかモーゼは自分の使命を悟れなかったのです。モーゼは王族の地位から奴隷にまでなって、そうして、その奴隷として神理を説いて〔多くの奇跡を現わして〕いかないといけなかったからです。そんな過酷な使命はモーゼといえどもそう簡単に果たせるものではありません。やはり大きなきっかけは必要だったのです。そのきっかけがそのような事件であったということです。しかし、それもです。実はそのモーゼが手にかけた人は結局、死んではいなくて気絶していただけで後で息を吹き返して、自分から出てきて、それでモーゼの行ったことを皆に吹聴した、という話もあります。聖書でもなんでもそうですが、部分部分を細かくとらえるのではなく、全体の流れの中で考えましょう。それを書かれたことにはどういう意味があるのかはです。そうしないと間違うからです。大きくとらえないと正しく判断出来ないこともあるからです)

そのような間違って書かれた部分が旧約聖書は多くて新約聖書は比較的少ないということです。比較的ですよ。新約聖書も何度も書いていますが、キリストがいわれたキリスト教ではなく、パウロ教になっている部分が多いからです。

そんなパウロがいった部分をそのまま信じ行っても奇跡は起きないからです。

だから、旧約聖書をどれだけ読んで行っても、新約聖書をどれだけ読んで行っても、モーゼやキリストのような奇跡が起きてはこないのです。モーゼのいわれたことやされたこと、キリストがいわれたことやされたことが、そのまま正しく書き残されているわけではないからです。

もし、それがそのまま正しく残されているのなら、当然、そのような人たちは(しっかり聖書を読み行っている人たちは)多くの奇跡が現れたであろうからです。

それがまったく現れないのは、その旧約聖書や新約聖書の中には間違って書かれている部分がたくさんあるからだということです。

本当は、こういうことは神理をしっかり勉強されている人たちにしか話さないことではありますが(そうしないと正しく判断出来ない人もいるので。部分ばかりをとらえてです)しかし、ことは急を要しています。

それで気づく人は気づいてください。自分たちの間違いにです。そうして一刻も早く戦いをやめてください。ユダヤ教を説かれたモーゼは一つの戦いも支持していないからです。そうして一人の人も殺してはいられないからです。

モーゼの十戒は、別にユダヤの人たちだけに向かっていわれたわけではなく全人類に向かっていわれていることなのです。

だからモーゼもキリストも戦いなど支持していません。(キリストはもちろんそうです。汝の敵を愛し、責め憎む者たちを祈れと教えていられるのですから。だからそれはモーゼも同じであったということです)

そんな(光の大指導霊、光の大天使、光の天使たちの)誰も支持していない、悪魔しか支持していない、そんな無益な(有害でしかない)戦いをなんでいつまでも続けるのですか?

それだけ、神を悲しませ、神の心に背いている行いもないのです。

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