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12月 21 2024

神理を無視する罪の重さと正しい態度

11:00 AM ブログ

またまた昨日も残念な人が多かったんですが、しかし、残念な人は必ずいます。

人のふり見て我がふり直せではありませんが、そういう心のレベルの低い人のマネをして損をするのは(天罰を食らうのは)自分自身なのです。そういう人たちはそういう体験をしないと心のレベルが上がらない人たちなのです。それにとらわれてはなりません。

そういう体験をすることは、その人にとってはよいことだからです。そういう(きつい)体験を経て自分の心がレベルアップしていく、そういう体験をしないと心が向上しない、そういう人もいるからです。

だから、あいつのせいで友達が病気になった、ではなく、自分は自分が正しいと思う行いをされませんか。別に非情になれとはいいませんが、私情を余りに挟むなら、正しい判断は出来ないからです。

私は、あいつは気にくわないからと一方的に人を祈って、それで病気を降ろしたことなど一度もありません。一度もないというか、そういう祈りを仮に私がしたところで降りてはこないのです。どんな天罰もです。

天罰がくだっている人たちは、天罰がくだるようなことを先にしたのです。だからその人はそういう目に遭っているのです。(または全然関係ない人が病気になったというなら、それは私には関係ないことですし。その人は自分自身のせいで病気になっているからです)

だから、私に八つ当たりするのはもうやめて、そうして私情を挟まず自分自身で正しく判断し正しい態度を取ってください。神理に対してはです。

それをせずにいて、後で一番後悔するのは他ならぬ自分自身であるからです。

これほどの教えは他にありません。そんな教えと巡り合っているのです。それなのにただそれを読んでいるだけなど、それほど愚かな行為もありません。

そのようななにも出来ない自分に腹を立て、それで私に嫌がらせしてくる人も中にはいるでしょう。そればかりか、なにをしてもいまいち満足しない。なにをやって苦しみ悩みが取れない。そんな人もです。

やりませんか。神理をです。そうすればその苦しみ悩み、そのような疑問は消えていくからです。

神理を行わない限り、その心の苦しみは取れないのです。どこにどれだけ相談したところでです。それは神理を実践しない限り取れない苦しみであるからです。

だから、そんな苦しみから逃れようと、どれだけ仕事に打ち込んで、それで儲けて多くの人たちに寄付しようが、どれだけ多くの人たちを助けようが、それでも自分の心の苦しみは取れない。なにか心がざわついて仕方ない。

そういう人もいるはずです。このブログを見ている人たちの中にはです。

どれだけやってもなにか満足出来ないという人がです。それは神理に感謝していないから、だからなにをしても満足出来ないのです。元の元、一番の元の神の心である神理に感謝しないからです。

だから満足しない。神理に巡り合っていながら、その神理を無視していてはなにをしても心が満足するわけがないからです。神理を通して何事もしないと、満足しないどころかよい結果も現れてはこないからです。(だから神理を無視していてよい結果が現れている人はです。神理にちゃんと感謝出来て、そうして同じことをするなら、その何倍ものよい結果が現れてくるということです)

一にも二にも神理だからです。だから神理を無視していてはよい結果が現れてはこないのです。だから、よい結果が現れている人でも、その分、悪い結果も現れてきて、自分の心も苦しむということになるのです。

神理を知りながら無視している人ほど実は悪いことをしている人もいないからです。だからよいことばかりが現れず悪いことも現れてくる。その人は基本悪いことをしているからです。

だから結局不幸になる。物質面はともかく、そんな心の苦しみが取れないくらい不幸なこともないからです。そんな心で(苦しみを持ったままの)この後、一生暮らすなら、それは不幸な人生としかいいようがないからです。

だから、神理を知ったのなら感謝しないといけないと、もうくどいくらいいっているのです。結局それをしないことくらい不幸なこともないからです。

そういう不幸な心のままでいると、またどんな不幸な目に遭うかもしれないからです。

例えば、この前、中学生の男女がいきなり刺された死傷事件がありましたが、ああいう運の悪い目にも遭うということです。そんな心に苦しみなど持ったまま生活しているならです。

あの事件を起こした犯人など、夜におかしな色の電気をつけていたり(青や緑の)一人暮らしのはずなのに誰かとケンカするようなどなり声がきこえてきたり、またお経をあげるような声もきこえてきたりと、奇妙なことばかりしていたそうですが、ああいうのもそうなのです。

やはり心に苦しみをためていて(あの犯人はおとなしい性格のようであったそうなので、いいたいこともいわず、ずいぶん苦しみを心にためていたんでしょう)その度が過ぎてしまうとああなるのです。

おかしな霊がたくさん寄ってきて、奇妙な態度を次々に取るようになるのです。

だからおかしな色の電気などつけていた。おかしな霊は(特に動物霊など)そういう色の(青や緑などの)光を出しながら寄ってくるからです。そうしておかしなこともいうからです。あいつを殺せ、こいつを殺せなどというおかしなこともです。

だからどなっていた、その霊に対してです。あの犯人はその霊が観えていたからです。だからお経もあげていた。そのような霊が寄ってこないようにです。

しかし、残念ではありますが、怒ったりお経をあげたくらいでは、そんな霊を祓うことは出来ない。その霊は自分の心が変わらない限り離れることはないからです。

それを知らなかったがため、最後には、そのような悪霊に憑かれてしまい、あのような死傷事件まで起こしてしまうことになった。

これが真相なのです。あの事件を心の面から観るならです。

だから、神理がもっと知られていたのなら、こんな事件は起きることはなかったということです。もし、あの犯人が神理を知って(実践して)いたならです。

そうしてそれは被害に遭った中学生たちにもいえるのです。もし、あの中学生たちが(または親でもいいので)神理を知っていたのなら(知ってただけではダメですが、ちゃんと神理に感謝しないとダメですが)あのような事件の被害者になることはなかったのです。

神理を知っていたのなら、犯人があの中学生をよけて通るか、または、あの中学生たちはあの日にあの場所にいくこともなかったのです。神理をちゃんと行っているなら、あの中学生たちを、そのように神が導いてくださるからです。守ってくださるからです。

だから一にも二にも神理であるというのです。神理をやっておくなら、そのようなひどい災いにも遭わず(私など地球史上最大の台風がよけていった〔大きく雲に穴が開いた〕くらですから)心の苦しみもなくなり、そうして周りに多くの奇跡まで現れてくるということです。

お分かりですか。神理を無視している罪の重さがです。

神理を無視すればするだけ、結局、自分が苦しむのです。それだけ神理を無視する罪は重いからです。

このブログを見ている人たちが、少しやってくれるだけで(感謝して布施してくれるだけで)自分も助かるし、多くの人まで助かるのです。

それなのに、それをしようとしないということは当然罪になるでしょう。自分はもとより多くの人たちが本当に(心から)助かる教えを知っていながら無視しているからです。

くどいくらいいいますが、正しさの本当の基準は良心であるからです。

自分に腹を立てたり、意地などはっている場合ではもうないのです。一刻も早く取ってください。神理に対する正しい態度をです。

そうしない限り、自分もそうして周りも救われることはないからです。

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