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5月 16 2025

神への祈り

9:52 AM ブログ

毎日毎日大変そうです。理解力のない人たちはです。昨日も夜まで出ていたようであるからです。(ほんとある意味凄いです。これだけ天罰が降りてくるのはです)

それをどれだけ怒っていても止まらないのです。

一日も早く謙虚に頭を下げられるようになることを願っています。そうする以外(自分が謙虚になる以外)その天罰から救われる道はないからです。

しかし、私がこれだけいっているにもかかわらず無謀なチャンレンジャーが多いようですが(くだらない嫌がらせをしてくる人が)しかし、そのような人たちにも確実に降りてきます。

天罰はです。

逆らうより従いませんか。神理にはです。昔の人たちは誰もそうしたからです。神理と分かった時点でです。

それが分かっているのに逆らい続けているような愚かな人たちは現代の人たちだけです。その愚かさはもはや嫌というほど分かっているはずです。特にこの辺りの人たちはです。

くだらない我などさっさと捨てて従いませんか。神理にはです。その方がよほど幸せになり、自分の本当の使命も果たせるからです。

その時間は限られています。(この世で神理を説く人がいられる時間は限られているから)急がれた方がいいでしょう。反省の時をです。神理を説く者がいなくなってからでは後悔してもしきれないからです。

私自身もそのような体験はしているからです。(園頭先生が亡くなられた時と、高橋先生がすでに亡くなられていたと知った時)

しかし、あの航空自衛隊の練習機が墜落した事故はまだ見つからないようですね。その墜落したであろう事故機がです。

しかし、不思議ですよね。海などに墜落したというなら見つからないのも分かるんですが、今回は池でしょう。そんな池に墜落した事故機が見つからないなどなるんでしょうか。

あの池は広いのは広そうですが、その練習機の残骸などもたくさん見つかっているのにです。

なら、その辺りを集中的に探せば見つかりそうなものですが、それでも見つからない。

よほど深いんですかね。あの池はです。しかし、どちらにしても、毎回いいますが神に祈ってからすると全然違いますよ。今回は祈ってなどいないんでしょうね。きっとです。だからこれほど見つからない。

神のお力を借りていないからです。

だから祈ってからされてはどうですか。そうすれば見つかるからです。今回は広い海と違い池です。すぐに見つかることでしょう。神に祈るならです。

「神よ、調和と安らぎのうちに練習機が見つかってまいりますようお導きください。神よ、この捜索にかかわっている人たちに光をお与えください、調和と安らぎをお与えください」と祈ればいいのです。

そう祈ってからするのと祈らずにするのとでは全然違います。

だから、祈られてからした方がいいですよ。今回の練習機の捜索でもです。神に祈ってからそれをするなら、思いのほか早く安全に、その捜索も終わっていくからです。

なんでもそうですが、なにをするにも、その前に神に祈るのと祈らないのとでは全然結果が違います。そのような神に祈るということは知っておいた方がいいでしょう。

その方がなにをするにもうまくいくからです。祈らずやるよりはよほどよいからです。

まあしかし、同じ祈るにせよ、その祈り方を間違えていては祈りもきかれません。神への祈りを忘れないということと、正しく祈るということはセットでないといけません。そうしないと祈る意味もないからです。

それをちゃんと教えてくれるのもこの正法神理だけです。

災いからも守られるなら自分たちの願いが叶う祈りまできかれる。よいことだらけなんですけどね。神理を行うならです。

なんでも自由などという言葉に騙され(これも悪魔の思想ですから。どんなものでも極端は悪ですから。中道でないといけない)自分の好きなようにやる(だから神に祈る必要もない)などとやっていては、よいことも起きてはきません。それはただのわがままに過ぎないからです。

自由に行うものは行い、従うべきものには従う。そのような秩序ある自由こそ正しいものであるのです。

忘れてはならないものがこの世にはあります。

なにか行う時はです。神への祈りだけは忘れてはならないのです。

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