5月 17 2025
報恩の行為 徳積み
よく降っていますね。こちらは朝から雨がです。
なにかもう九州南部では梅雨に入ったとか。いくらなんでも早すぎませんか。まだ沖縄も梅雨に入っていないんでしょう。
それなのに九州がもう梅雨入り、異常気象は続いていますね。
そうして桜島では激しい噴火が相次いでいるとか。(東京は地震大丈夫ですか?)異常現象が止まりませんね。日本はです。異常な心の人が多いとこうなるからです。
正常に戻さないといけませんよね。そんな人たちの心をです。そうしないと、このような異常現象は止まらないからです。
その正常さの基準が神理なんですが、こちらはその神理に逆らう人たちばかりです。(それもまともに)こちらの異常現象も(天罰も)止まらないでしょうね。それではです。(今日もお怒りのようです。どこかの会社はです)
それはそうと、あの航空自衛隊の事故機の件は行方不明の乗員の体の一部が発見されたそうですね。こういう形で発見されたのは残念なことですが、どういう形にせよ発見されたことはよかったですね。乗員が行方不明なままなのが一番いけないからです。
昨日は捜索隊が多かったとはいえ、やはり違いませんか。神に祈ってからするのとしないのとではです。昨日は私も少々祈りましたんでね。これまでと同じようではなかったと思いますよ。結果はもちろんですが過程もです。
神に祈ってからするのと、祈らないでするのとでは全然違うと思うからです。
これで素直に神を認めて感謝してくれるならね。自衛隊も神理にです。
そうしてくれる人が多いのなら、それこそ調和と安らぎのうちに早くこのような捜索も終わっていくのでしょうが、また神理への感謝を無視するのなら、昨年の伊豆諸島沖でのヘリコプターの事故(でしたっけ?)のように中途半端に(行方不明者も全員発見出来ぬまま)終わってしまうのかもしれないからです。
今回の事故もです。
別に「神に祈って」やったわけではないのならよいのですが、もし、ここに書いたことを(祈りを)実行して、そうして事故機の捜索を行ったという自衛隊員がいるのなら(その関係者の人たちも含めてですが)ここは謙虚に神のお陰で乗員の体の一部とはいえ発見出来たのだと認め、そのような祈りを教えてくれたこの正法神理に素直に感謝してもらえませんか。
それでお心だけで結構ですので、感謝の布施いただけませんか。そうした方が、そちらもきっと助かるであろうからです。
まあ、それでも無視するというなら、それはそれで仕方ありませんが、それにしても多くはありませんか。このような自衛隊機の事故などです。毎年一度や二度は必ずこんなひどい事故があるからです。
厳しい訓練などしていれば、そういう事故はつきものとはいえ、それでもない方がいいでしょう。そんな訓練中の事故で命を落とすなど、そのような事故で命を落とした自衛隊員は無念であるはずだからです。
正式な任務で命を落とすならまだしも訓練で命を落とすなどです。
そういうひどい事故も無くなるんですよ。神に祈ってから、そのような訓練でも行うならです。その訓練の間、神の光に包まれているのなら、そこにそんなひどい事故は起きないからです。
神の光の中には災いはないからです。(多少は起きても軽い事故ですみます。少々くらいのことは災いとはいわないからです)
一にも二にも神を認めて、神への感謝なのです。そうしてそのことを正しく教えてくれる神理に報恩の行為を忘れてはならないのです。
その報恩の行為を、神理を見ているほとんどの人が忘れているから(または必要ないと思っている)これほどの災いも起きているからです。
とにかくいま現在は、感謝の心を忘れ、報恩の行為など考えもしない人が多いようです。しかし、それではダメなのです。そのような心がこれほどの災いを呼んでいるからです。日本にです。
少しでもいいので、報恩の行為を行いませんか。神理を見ている人は神理に対してです。自分の知らない間に、その人はずいぶん救われ、また心の成長もしているからです。神理を知ることによってです。
そのような行為が自分の心をさらに成長させ、また徳を得るということにもなります。
その徳がこの後、大いに自分自身を救うのです。徳を積むということは天に宝を積むということであり、天に宝を積むということは、それほど自分自身が助かる行いもないからです。
だから徳を積むということは人を助けるというよりも自分自身を助けるのです。後の自分自身をです。その天の宝が(死んだ)後の自分を大いに救うことになるからです。
またそのような先の話だけではなく、その徳がたまればたまるだけ自分自身にも人徳というものがついてきます。
その人徳がまた今の自分自身をも救うということです。そのような人徳があればあるだけ、その人が困った時に助けてくれる人も多くいるからです。
自分が助けた人が多ければ多いだけ、今度は自分が助けられることにもなるからです。
天にある宝は腐ることもなければ盗まれることもありません。大いに徳を積みませんか。
その徳を一番積めるものがこの正法神理への感謝であるということです。



人目の訪問者です。
