7月 27 2012
如来の弟子の使命②
法の証明とはどのようなことかと申しますと、例えば、私の近所の人たちのことを書きます。
私の近所の人たちは、私のブログを読んでいる人が何人もいるようですが、この方たちもやはり読んでいるだけで、それ以上のことはしません。
それどころか読んで内容が自分の意に反するものであると、私に嫌がらせをしてくる人もいるのです。読んでいるだけでもいけないのに(何の報恩の行為もしていませんので)それにプラスして嫌がらせしてくる人までいるとなると、これはもうどれだけ自分にとってマイナスなことをしているか分かりません。それに普段から(私のパソコンの音がうるさいなど)私をよく思っていない人もいて、そのような人まで私に嫌がらせをしてくるのですから、もうどうしようもありません。(おまけにブログを書いているのを邪魔する人までいます)
このような人たちに何を言っても、それをやめようとはしないでしょうし、それに私はこのブログの中でエリシャの話(神の使いをバカにしたばかりに大勢の子供が殺された)や私は命懸けでこの仕事をしているのだから、私にちょっかいを書ければそちらも命懸けになりますよ、と警告しているのです。それにもかかわらず、何か起こせるものなら起こしてみろ、という態度の人が多かったのです。
そのくせ、そのような人たちは私が祈って暑くなったり、大雨が降ったりしたことは信じているようで、お前のせいで暑くなった、お前のせいで大雨になり多くの人が迷惑していると、また、そのようなブログを読んで私に嫌がらせをしてくるのです。
そのようなことがずっーと続いていました。(もちろん、このような人たちばかりでなく、近所の人の中には、私のブログを読んで態度を変えた人もいました。しかし、その人たちもただ態度を変えただけで、それ以上のことをしようとはしなかったのです)
私はこれではいけないと思いました。この人たちは一方で現象を信じ、一方では信じないのです。(自分に都合のいいことは信じ、悪いことは信じないのです。これは近所の人ばかりでなく、そのような人が多いのですが)それに私が祈り現象を起こしている意味も、まるで分かっていませんでした。(その意味は何度かこのブログの中に書いたのですが、多くの人は理解できないようです。ただ単にそんな現象を起こすのが悪い、としか思わないようでした)
このようなことをほっておけば、この人たちは罪を犯し続けるであろうと思いました。(神の使いにそのようなことをしているのですから、当然罪になります)私は、これ以上この人たちに罪を犯させることはできないと思い、祈り始めたのです。
「神よ、この近所の人たちに様々な現象を現し、私にこのようなことをすることが、どれだけ罪になるのか、証明せしめたまえ」
それが二、三ヶ月前のことです。だから、私は嫌がらせしている近所の人たちに「ソロソロ何か起きてくる」ということを言っていたのです。(誰もそれを聞こうとはしませんでしたが)
そのような祈りをしていたところ何日か前から、急に嫌がらせがなくなったのです。ですから私は「これは近所で何か起きたのではないか?」と思ったわけです。
近所の人たちが何も言ってくれませんので分かりませんが(明らかに態度が変わった人は多いのですが)何か起きていると思います。しかし、何が起きていようと起きた方が悪いのです。
これは百パーセントです。百パーセント起きた人が悪く、それを祈った私は悪いどころか神に喜ばれるのです。(神の心を現象として現しているからです)
私のブログを読んだことがあるという方は、やはり報恩の行為として寄付をされるべきだと思いますし(法をこの世で知る、ということがどれだけありがたいことか、なかなかご理解いただけませんが)これからも読みたいというのであれば、年に一度や二度は寄付をされるべきです。それが感謝の心を現すという意味で、当たり前の行為でありますし、まして私のブログを読んで、法を知ったことだけでもありがたいのに、それが自分の意に沿わないからと嫌がらせしたり、気に食わないからブログの邪魔をする(ということは法を伝えるのを邪魔しているのですから)など、どれだけ大罪を犯しているのか分からないのです。(もちろん、この世でそのようなことで裁かれることはありませんが、神の側から観てということです)
だから私は、これ以上何も理解していない人たちに罪を犯させてはいけない、という慈悲の心からそんな祈りをしたのです。(そのような心ですので祈りもきかれるのです)
私が嫌いなら、もう私のブログなど見ないで、私を無視してくれればいいのです。私に余計なことをすれば罪になるかもしれないのです。少々気に食わないことを私がしようと無視していれば、余計な罪をつくることはありません。
私の近所の人は、そういうことを知らなかった、それがもし現在おかしな現象が近所に現れているとしたら、その現れている原因です。やってはいけないことを、やってはいけない人にやっていては、よくないことが起きてくるのです。それを起きなくするには、やってはいけないことをやってしまったことを反省し、もう二度とそのようなことはしないと神に誓われることです。そうすればその罪は許されます。しかし、中途半端なことをしていては(例えば嫌がらせをやめただけとか、前よりもしなくなっただけとかでは)罪も許されないし、おかしなことも続くでしょう。
一番肝心なことは自分が悪かったという自覚を持つことです。(どのような理由をつけようと神の心を知らない人が百パーセント悪く、それを伝えている人が百パーセント正しいからです)おまえが悪いという責任転嫁の心を持っていては、いつまでたっても救われないのです。
マァ、ご近所に何も起きていなければそれでいいのですが、何も起きていないならいないで、今している祈りを続けるだけですし(だってそうしないと、近所の人たちはいつまでたっても、悪いことをしていることに気づかず、罪を犯し続けることになりますからね)とにもかくにも如来の弟子としての使命は神の心を多くの人に知らせることです。
そのためには、祈りを現象として現し、それを言葉で語り文字として遺す、これまでの預言者といわれる方がされてきたことを、自分もするだけです。
しかし、これは何も私の近所の人たちだけの話ではありません。日本中のほとんどの人が神の心に気づいていません。先に書いたように、それは気づかない人が悪く、気づいていもらおうとしている私は正しいのです。(だから祈りもきかれるのです)日本の多くの人が気づいて立ち上がってくださるまで祈りを続け、神の心を世に訴えていきたいと思っています。
それが如来の弟子としての使命だからです。
(福岡のオジちゃんどうされたんですか?急に怒り出されて?それに何一つ私の質問にまともな答えをいただいていませんが…質問に困られましたか?マァ困る質問ばかりしたのですが…素直に自分たちの間違いを詫びられれば救われたのに、これで決定ですね。昨日の立川のオバちゃんのコメントはマァエエです〔笑〕オバちゃんうちの父と同じ病気ではないですか?)



人目の訪問者です。

あなたぬかに釘というか・支離滅裂というか・ほとんど正常に考える力がなくなっていますね。
しかもご近所に対しても相当いろいろ考えておられますねそれも思い込みの激しいことを。
宗教にはまった人の典型ですね。あなたを見ているとノ-トルダムの鐘という昔の物語を思い出します。
宗教に狭義にのめりこみ自分だけが正しく・他の人はみんな間違って見える。あの物語では自分が好きになった女性が振り向かないものですから難癖をつけて殺そうとするんですよね。
貴方もそうならないように気をつけたがいいですね。
もう一回言いますよ。あなたの神様が直接に貴方に抹殺せよなどと命令するようになったら貴方はもう重症で゜す。そのときは119番に急報しますからね。
最後にご近所の人は貴方に対して何にも思っていないし・思っていると思っているのは貴方の思い込みです。