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7月 29 2010

園頭広周師⑪

10:46 AM ブログ

昭和二十七年、園頭先生は終戦のとき着ていた軍服を着て、風呂敷に本を包んで求道と伝導の旅に出られました。自分でビラを書いてそれをまきメガホンで叫んで歩いて講演されました。布施を受けられるときもあれば受けられないときもありました。

最初、園頭先生の奥さんは「それでは乞食と同じではないですか。私に乞食をしろとおっしゃるのですか」と伝道に反対しておりましたが、園頭先生の決意が固いと知り「伝道でお金を得ることができずあなたが乞食をされるなる、私も二人の子供の手を引いて乞食をします」といわれました。園頭先生はこの時すでに、二人の子供が生まれていたのですが、このときの奥さんの言葉ほど嬉しかったことはなかったそうです。

現代の奥さん連中なら「そんな乞食のようなことをされるなら別れます」とすぐ別れてしまうのでしょうが、このときの園頭先生の奥さんの決心が、その後の園頭先生の成功へと繋がっていくのです。このとき奥さんが、このような決断をもしされていなかったとしたら、園頭先生の運命もまた違ったものとなっていたでしょうが、奥さんが園頭先生に大きな愛を出された結果、後に多くの人を園頭先生は救っていかれることになるのです。

苦しいながらも求道の旅は続きました。三十を過ぎたばかりの園頭先生が、自分より社会的地位もあり、経験も豊富で経済的にも安定している年長者に道を説くには、ただ天に祈るしかありませんでした。

あるとき次のような相談を受けられました。

その人は小学校の先生をしている女の人でした。

「長男はいいのですが、二男が十九才になったとき突然発狂して暴れだし、<ここは俺の家だ、お前の家じゃない出て行け>と怒鳴り、丸たん棒を振り回して殴りかかってくるのです。私は自分の家に寝ることができず、伯父の家から学校に通っています。どうしてわが子から、こんな仕打ちを受けなければならないのでしょう」

まだ若かった園頭先生には大変な質問でした。園頭先生にも子供がありましたが、まだ小さく親に逆らえる年ではありません。戦時中、自分の部下に年長者はたくさんいましたが、こんな悩みなど聞いたことがありませんでした。若い経験不足の園頭先生にはこの質問に対する答えが分かりませんでした。

そこで園頭先生は心の中で「なぜ、このようなことが起きるのですか」と、一心に天に祈られました。

すると心の中からある言葉が浮かんできました。

『それは胎教に問題がある』

その一言でピンときた園頭先生は、その人にこう質問されるのでした。

「あなたはどうしてその子を生みたくないと思ったのですか」

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