2月 08 2026
正しく祈る
あちこち雪になっているようですね。こちら名古屋は大丈夫だと思っていたら、先ほどから雪が降り出したようです。(というか、雨まじりのみぞれですかね)
予想していたとはいえ、どこもずいぶん天気が悪そうです。いよいよ今日は衆院選の投開票日です。さて、この天気がどういう影響を与えますかね。
今夜8時過ぎには結果が分かります。それまで楽しみに待ちましょう。(苦笑)
しかし、雪でも雨でも、もう少し(少しばかではいけませんか)降らないと太平洋側など困ってしまいますよね。水不足だけでなく、ずいぶん火事も多発しているようであるからです。あまりに乾燥がひどくてです。
だから、なにからなにまで困っているんですが(大雪からカラカラ天気から火事に至るまで)前回も書きましたが、正しい祈りをしなくてもいいんですかね。皆で正しい祈りをするなら、それだけでもずいぶん変わると思うんですがね。こんなひどい状況もです。
今週は今日だけでなく、水曜日も天気が悪いとか。そこで久しぶりのまとまった雨が全国的にも降りそうとの予報が出ていますが、しかし、水不足解消にはとても至らないということです。
そこまでの雨は降らないようなんですが、それをもっと降るようにも出来るんですけどね。正しい祈りをするならです。
もう神理の無視はやめませんか。そうすれば、このようなひどい天気もおさまるからです。しかし、いまだ神理の無視を続けるなら、ひどい天気のひどさは増す一方であるからです。
ただ、雨が降らないので雨が降りますようにと祈ったところで雨は降りませんからね。それは正しい祈りではないからです。
そのような祈りは、雨が降らないということが前提になっているからです。祈りは第一念がきかれるのです。
だから、そのような時はすでに雨がたくさん降っているという想念の元「神よ、どうぞこの辺りに適度な量と適度な時間をかけて、必要な雨を降らせてください。この辺りに光をお与えください。調和と安らぎをお与えください」と祈り、そうしてその地域に雨がシトシトとしっかり降っているイメージを心の中にありありと描きます。
そういう心でしばらく祈ってから「神よ、この辺りに多くの雨を降らせてくださり、ありがとうございます。ありがとうございます」とすでにその辺りには、たくさん雨が降っているという思いを心に描いて、そうして「神よ、ありがとうございました。神よ、ありがとうございました」と最後に神にお礼をいって、その祈りを終えてください。
そのような祈りを皆が出来れば(その地域のある程度の人が)その祈りはきかれ、そこに雨は降ります。
だから、カラカラ天気のところは、そのような祈りを皆ですることです。そうすれば雨は降るからです。
などと書いても仕方ありませんか。そもそも、それほどこの正法神理は広がってはいないからです。(ほんと残念です。〔涙〕)
それはともかく、だから、正しく祈るとはすべてが正しくないけないということです。
第一念が間違っていてもいけないし、例えば雨乞いなどする時は、第一念だけではなく、そこに降ってくる雨の量も適度でないといけないし、また雨の量が適度でも、それがいっぺんに降ってはいけないし、そこに雨を降らすなら、適度な量が、適度な時間をかけて降ってくれないといけないのだから、それをすべて正しく祈って、それでようやくその祈りは天に届くということです。
天は正しい祈りしかきいてはくれないからです。正しい祈りとは、その祈りがすべて正しくないと正しい祈りとはいわないからです。
それを考えるとです。いま選挙中ですが、例えばどこどこの候補を勝たせたいからと、この候補者が勝ちますようにという祈りが正しい祈りだと思いますか。
もちろんそれは正しくないのです。一見その祈りは正しそうに思えますが、よく考えてみれば、そのような祈りは正しくはないのです。
なぜなら、そのような祈りの裏には相手が負けますようにという思いが入っているからです。
そうですよね。だってその人が勝つということはその相手の人が負けるということだからです。だって、相手が負けないと自分は勝たないでしょう。
ということは、自分が勝ちますようにという祈りは相手が負けますようにという祈りと同じということになります。では、そんな祈りが正しいのですか?
だからそのような祈りはきかれないといっているのです。相手が負けますようにという祈りが正しいはずがないからです。何度もいいますが、正しい祈りとはすべてが正しくないと正しい祈りとはいわないからです。
だから私はいっているのです。こういう勝ち負けを祈る時は、その勝ち負けを祈るのではなく、自分がベストを尽くせますように、自分に最高の結果が現れますようにと、それだけを祈らないといけないとです。
それが正しい祈りであるからです。
神は不幸になるような祈りなどきいてはくれません。その不幸とは自分だけではないのです。自分も含めたすべての人が不幸にならない祈りしかきいてはくれないということです。(悪魔は違いますけどね。悪魔に祈るならどんな祈りでもきいてくれます。自分に〔悪魔に〕都合がよければです。そのかわり後が怖い)
自分がベストを尽くせるような祈りなら、相手が不幸になる祈りではありません。
だから、そのような勝ち負けを祈る時は、勝ち負け自体を祈るのではなく、自分がベストを尽くせますよう、今の自分にとって一番よい結果が現れますよう祈ることが正しい祈りなのであって、それに加えて相手に対する祈りもするなら(もちろんそれも、どうぞこのことを通して相手がより幸せになっていかれますようにという幸せの祈り)なおよいのであって、そういう祈りが出来るなら、その勝負に勝とうが負けようが、自分にとって一番よい結果が得られるということです。
例えば、今回の選挙でも勝つばかりでなく、負けたら負けたで、後であの時に負けたから、こういうよい道もついたのだと思えるような結果も現れてくるということです。
だから正しい祈りは自分の徳になりますよ、と私はいっているのです。正しい祈りは(自分だけでなく)皆を幸せにするからです。
だから、私の祈りも同じなのです。正しいからきかれるのであり、そうしてその祈りの結果もです。今は最悪と思えるようなものでも、後で(それは今生だけの話ではありません。来世、再来世にわたってのという意味です)あの祈りがあったから、自分はここまで成長出来たのだということが、必ず分かるのです。
だから、これだけ祈っている私にはこれだけ多くの奇跡も起きてくるわけです。それだけ多くの正しい祈りをしているのなら、それだけ多くの徳も得られるからです。
皆さん方がどれだけそれを認めなくても、それだけ多くの奇跡が起きていることが、その証拠であるのです。私が正しい祈りをし続けているなによりのです。
正しい祈りとは、すべてにおいて正しくないといけません。
正しく祈ることの大事さ、お分かりいただけるでしょうか。



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