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10月 24 2012

一番大事なものとは

10:45 AM ブログ

昨日は局地的大雨や突風など各地荒れた天気になりました。民主党のことなど書いていると天気まで荒れます。

そういえば北海道の泊原発の件どうなっているんでしょうか?さすが民主党です。票にならないことはやろうともしません。北海道のことなどどうでもいいようです。今年の冬どうするんでしょうか、大丈夫なんですかね北海道は。(北海道の方々もう民主政権を何とかするしかないと思います)

その原発の問題ですが、今度安全性が見直され活断層の厳格化がされるそうですが、たしかに原子力を扱うのですから、安全が重視されるのは大事なことですが、活断層の基準を拡大し、そんなに厳格化されてしまったら、これ以降原発をつくることはできるのでしょうか?(脱原発が言われていますので、それを推進している人たちには好都合でしょうが)何十万年も前に動いた断層まで活断層と見るのは本当に正しいのでしょうか?

この前イタリアで、地震予知に失敗した地震学者が実刑判決を受けましたが、実刑まではともかく、明らかに大きな地震が来るのを予測すらできなかった地震学者には(例えばこの前の東日本大震災などそうですが)何らかのペナルティを課すべきだと思いますよ、そうしないと地震学も進歩していかないのではないでしょうか。まだ地震学はそこまで進んでいない、で済ましていては地震学も発展していかないと思います。

あまり危険危険と言われてしまっては、大きい仕事ができなくなります。どこまで信用していいか分からない地震学者の言うことを、鵜呑みにしていては何もできません、あまり臆病では進歩しないのです。

命が一番大事だから原発はいらない、子供たちのためにも原発廃止、などと叫んでデモしている人が多いのですが、一番大事なものとは本当に命なんでしょうか?それ以上に大事なものはないのでしょうか?

命より大事なものなどない、とそのような人たちは声高に叫ぶのでしょうが、では、そのような人たちにお聞きします。

今年の夏は暑かったのですが(何せ九月の気温が観測史上最高でしたから)暑い日には必ずと言ってもいいくらい水の事故が起き、亡くなる人がいます。そのような人たちは気の毒ではありますが、そればかりか、そのような人たちを助けようとして亡くなる人たちまでいます。

このようなことを考えますと、命が一番大事と叫んでいる人たちは、水の事故で亡くなる人は気の毒だと思っても、それを助けようとして自分の命をなくした人たちは気の毒だとは思わない、ということですね。

だってそうですよね、命が一番大事なんですから。

人の命を助けようと自分の命までかけて、その一番大事な自分の命をなくしているのです。命が一番大事といわれる人から見れば、このような人は、自分の命を粗末にしたこんなバカはいない、ということになります。

私は、自分の命までかけて人を助けようとした人は、これだけ立派な人はいない、と思うのですが、命が一番大事と言われる人たちとは相当の意見の相違があるようです。

意見のまったく違う人たちに何を言っても無駄なので、私は私の知っていることを書いておきます。

このようにして亡くなられた人は、百パーセント天上界にいきます。自分の命までかけて人を救おうとされたのです。これ以上の善行はこの世にありません。従って、このような行為をされて亡くなられた方は、すべて天上の世界に生まれるのです。

それは、命を救おうとした人を救えても救えなくても同じです。自分の命をかけてまで人を救おうとした、そのような心と行いが尊いのであり、結果は関係ないのです。だから私はこれほど立派な人はいないと先ほど書いたのです。

このようなことを考えますと、一番大事なものとは本当に命なのでしょうか?

そうではありません。その大事な命をかけて何をするのか、ということが一番大事なのであり、そのような心を私たちは決して忘れてはならないのです。(そうしないと人は進歩していかないからです)

原発を進めるなら進めるで、その安全性(震度七や八以上の地震がきても絶対壊れない原発をつくればいいのです)利便性はもちろんのこと、放射性廃棄物の処理までしっかりできるようにすることです。そこまで完璧なものをつくるのであれば、何十万年も前の断層まで気にすることはなく、何も原発を反対する理由はないはずです。(原子力のような超巨大なエネルギーをコントロールすることができれば、これほどの恩恵はありませんから)

中途半端なものをつくるからダメなのであり、完璧なものをつくれるのであれば、多くの人がその恩恵を得ることになるのですから、文明の発展も計り知れません。

それをできないと諦めるのではなく、できる努力をすることです。その努力を命をかけてするのであれば、私たちに不可能はないのです。なぜなら私たちは神の子だからです。神につくられた私たちには、元々神の能力が備わっているのです。しかし、その能力を引き出すには(その能力が大きければ大きいほど)命をかけて必死でやらなければ引き出せないということです。

だから、私は言っているのです。原発を捨ててはならないと。必ずこの超巨大なエネルギーである原子力をコントロールする方法はあるのであり、それをこの世に現さなければ、その使命を持って生まれてきた人たちは、自分の使命を果たしたことにならないのです。

仮に原発をやめるにせよ放射性廃棄物の問題は残るのです。それをどうするのですか?原発の研究を続けなければ、それこそ子供たちの時代まで禍根(放射性廃棄物)を残すことになります。(脱原発を言っている人たちなど、進歩も成長も妨げる思考停止理論を言っているに過ぎないのです)それをどうにかするまでは、やめるにやめられないのではないでしょうか。逆に言えば放射性廃棄物の処理は、ちょっとやそっとでできることではありません。あらゆる面で科学が発達していかないとできないのです。であるならば余計原発は必要なのではないでしょうか。すべてのエネルギーを使って発展していかなければ、科学の発達など進まないし日本の発展も望めないからです。(それに放射性廃棄物は、原発があるどこの国でも処理に困っているのです。核燃料サイクルにもし日本が成功するのであれば、日本は世界を救うことになります)

後ろ向きの発想では天啓は得られません。一番大事なものは命、そこで止まっていては進歩はありません。人にはそれぞれ持って生まれた使命があります。その使命は簡単に果たせるものではありません。(また自分の本当の使命に気づくことも容易ではありません)

しかし、その使命に気づき果たすことは命がけでそれに取り組まなくてはできません。従ってこの世で一番大事なものとは、命がけで自分のやるべきことに取り組む、そのような心こそ一番大事なものなのです。

(未だに私に詫びようともせず嫌がらせなどしている人たちがいますが、そのような人たち次回のブログちょっと怖いです)

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