5月 06 2026
本当の神の教えと本当の反省
ゴールデンウイークも今日までですか。また明日からうるさい日々が続きますね。
休みが明けたら、急にどこかの会社が静かになっていたなどということはありませんかね。(苦笑)
まあ、ないでしょうね。他の場所ならともかくすぐ前ではね。どれだけひどいことが起きても、くだらない意地でくだらないことをし続けるであろうからです。
しかし、天罰に対しくだらない意地でやり返し続けますかね。こういう愚かな連中も史上初なんでしょうが、そういう人が多いのには呆れます。それで悪いことが次々に起きているというのに、そこはまったく理解しようとしないからです。
そこを全部、責任転嫁しているからです。お前のせいなどとです。
しかし、それではいつまでたっても悪いことはおさまりません。自分たちが悪いから自分たちに悪いことが起きている。最低そこまでは理解しましょう。
そうしないといつまでたっても前には進めないからです。
こちらはそんな感じで、なんともならないんですが(まだまだひどいことが続かないと気づかないんですが)しかし、あれだけ負け続けていたどこかの球団が最近は少し勝ち始めましたね。こちらはどうしたことでしょう。(どうしたことでしょうって。〔苦笑〕)
昨日も去年のゴールデンルーキーが勝ち投手になっていましたが、去年とはえらい違いですね。去年はよいピッチングをしても、あれだけ勝てなかったのにです。
それが今年などもう去年の勝ち星を抜いて(まあ、去年の勝ち星が少なすぎなんですが。わずか2勝ですから。〔苦笑〕)スイスイ勝っている。神理への感謝は出来なくてもやはり両親の呪縛から(親バカという)逃れたのは大きいんですかね。
勝ち星がこれだけつくようになったからです。
だから、去年この投手があれだけ勝てなかった原因はいくつもあったということです。一つや二つで、あれだけ(先発して9度も)勝てなかったということはないからです。これだけ実力がある選手がです。
だから、これで神理に感謝出来て、細かいところまで直せるのなら(自分の悪いところの。もちろん心の部分ですが)完投、完封はもちろんのこと、15勝、20勝も夢ではないということです。どれだけ勝てないチームにいてもです。
そのくらいの力はあるはずだからです。(それくらい技術的には評判の高い選手でしたからね)
そうすると憧(あこが)れの大リーグの道も早まります。どちらにしても先々いくことになるのでしょうが、その大リーグの道がその先の自己破産への道にならないようするためにも、やはり心はきれいにしておいた方がいいでしょう。
心をきれいに磨いておくなら、どんな大金にも心を動かされることなく、正しい道を進むことが出来るからです。
それには神理への感謝が一番なんですが、だから神理に感謝出来ない人はもちろん、神理に感謝出来ている人もです。
その神理に感謝出来た部分はよいことも起きてきますが、それだけではダメで、そこはクリア出来ても、まだクリア出来ていない部分もあるでしょうから、神理に感謝出来たのであればです。
その感謝の気持ちを忘れず、感謝出来た神理に自分の心と行いを照らし合わせてみて、神理と合っていない部分があるなら、そこの部分を直されることです。神理がいうようにしてみることです。
そうすると一つ悪いところがなくなり、それでまたよいことも起きてきて、自分の知らない間に周りに起きてくることがよくなってくるからです。
だから、一つではないということです。自分の悪いところはです。
だから、ただ神理に感謝出来たからと、それでいっぺんによいことが起きだすということではないのです。
神理に感謝出来るなら、よいことも起きてきますが、同じように悪いことも起きるのです。まだです。
それは神理の部分だけでなく、それ以外で悪い部分がまだ残っているからです。だから、その悪い部分をちゃんと反省出来ないと、そのような悪いことも起きてくるのです。
神理に感謝するなら、そのような悪い部分がすべて浄化され、それでよいことばかりが起きてくるなどということはあり得ないからです。
もし、そんなよいことばかりが神理に感謝するだけで起きてくるなら、それは本当の神の教えとはいえないからです。それでは人を堕落させるだけの偽の教えでしかないからです。
そりゃそうでしょう。そんなその教えに感謝するだけですべての苦しみが消え、悪がなくなるなら、その教えに帰依した人などなんの努力もせずに救われるということになります。
それで自分の心が向上しますか?
こういうことをいうところが(教団が)もしあるのなら(まあ、世間にはいっぱいありそうですが、そういう教えを説く教団がです。〔苦笑〕)そこは100%悪魔の教えを説く詐欺教団であるということを知るべきでしょう。
人の業とはそんなに簡単になくなるものではないからです。自分がしっかり自分の悪を反省出来て、それでようやくなくなっていくものであるからです。
自分の悪業(あくごう)などです。
だから、自分に起きてくる悪いことは、その悪業がなくならない限りなくなることはないのですから、その悪業を(苦しみを)早くなくしたいのなら、それは神理に帰依するのが一番ですよといっているわけです。
神理を実践するなら(感謝と反省を徹底するなら)自分の悪業をなくすだけでなく、徳まで積んで(神理の実践も徳積みですから)正しい道にも導いてもらえるからです。神からです。
だから奇跡も起きたくさんの愛ももらえるのです。(動物たちからも)本当の神の教えとはそのようなものであるからです。
しかし、悪魔が説く偽の教えは、先ほどのようによいことばかりをいったかと思えば、次には悪いことばかりをいい(布施をたくさんしないと恐ろしい病気になるだの、地獄に堕ちるだのなんだの)いっていることが極端で安らぎがないのです。
その違いが本当の神の教えと偽の教えとの違いであるということです。
だから神理に感謝してもなかなかよいことばかりが起きてこないという人は、それは神理の実践が足りていないのであり、せっかく私に感謝(布施)出来たのであればです。
しっかり自分の反省もしてみることです。何度でもこれまでの人生を振り返ってです。(親子兄弟、その他の家族や友人、学校、会社、他の多くの場所での自分の行為などなど)そうすると反省出来ていない部分がたくさん出てきて、ああ、あの部分はまだ反省が出来ていなかった、この部分はまだ反省出来ていなかった、というところも出てくるはずであるからです。
そういう反省出来ていなかった部分を反省していくと、知らない間に悪いことも起きなくなってきて、自分の悪いところも直り、よいこともたくさん起きだしてくるということです。
だから、神理に感謝してもまだたくさん悪いことが起きてくるという人は、それはまだ反省が足りないのであって、もっともっと反省をしないと、そうして反省したのであれば二度とそのような(反省前のような)行いをしないと自分の行いを変えないと、よいことは起きてはこないということです。
反省とはただ思いを反省するだけではなく、反省後の心と行いまで変えないと本当に反省したとはいえないからです。反省前の自分には二度と戻らないという行いもなければ、それはしっかり反省したとはならないからです。
だから、反省、反省と口でいっているだけで、行いが変わらないなら、それは反省したとはいわないのです。自分の行いまで変わってはじめて反省したといえるからです。
そのような本物の反省が出来て、ようやく悪い業も減り始めます。
神理を読んでいるのならせめてです。せめてそのくらいはやりませんか。
そうすればです。確実に人生は変わるからです。もちろんよい方にです。(ここにお参りするだけで運がよくなりますとか、ご利益がありますとか、そんな甘い言葉と恐ろしい脅しには〔ここに布施しないと地獄に堕ちるなどの〕気をつけましょう。それは本当の神の教えではなく悪魔の教えであるからです)



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