9月 10 2026
神が起こされる奇跡
やはり名古屋の線状降水帯の被害はひどかったようです。
冠水で動かなくなった車が路上に200台とか、川の越水やそれであふれてきた川の水での冠水被害とか、線路が川のようになって電車が止まってしまったとか、ずいぶん被害が出たようであるからです。
しかし、それでも不幸中の幸いといいましょうか。思ったほどの被害ではなかったんではないですか。だって、線状降水帯が発生した地域の多くは、もっとすさまじい被害が出るところが多いからです。
あちこちの川が氾濫し、多くのところが水没し、住宅浸水など多数出て、土砂崩れや道路の陥没、それで孤立する集落までも出ているからです。
しかし、今回の名古屋の線状降水帯の被害は住宅浸水も十数件くらいでしたっけ? それに冠水被害もすぐに水が引いてしまうくらいのもので、すさまじい被害が出るところまではいっていないようであるからです。
もちろんそれでも被害が出たところはお気の毒なんですが、しかし、あの名古屋に線状降水帯が発生した日は前回も書きましたが、昼過ぎから凄い雨になり、それが夕方まで続いたのです。
そうして4時半頃に、ついに名古屋にも線状降水帯が発生したというニュースが流れてきました。あの時は自分の家にいても恐ろしいくらいの雨が降っていて、雨音が凄くてテレビの音もきこえないほどでした。
だから私の家のある地域も、どうも線状降水帯の雲の下にあったようです。雨雲レーダーを確認すると、私の家のある地域は、線状降水帯の雲にかかっているかどうかの微妙な位置であったからです。
だから、線状降水帯発生時は凄い雨だったのです。私の家の辺りもです。
それほどの雨が降っていたものですからね。さすがに私も少々ビビったのですが、しかし、そういう時こそ神に祈れと日頃からブログに書いていますし、動画でもいっています。
ですから、そういっている私が、そこで神に祈らないわけにはいきません。
これはまた自分のいっていることを証明するチャンスであると思い、そうして神に祈ったのです。
「神よ、どうぞ調和と安らぎのうちにこの線状降水帯の雲を消してください。一刻も早く動かしてください」とです。そうして心の中ではもう自分の家の周りは雨がやんでいる。すでにあがっている、という思いをありありと描き、そのような心でしばらく祈ったのです。
そうして、その祈りを終えてしばらくしたらです。気がつくとあの激しかった雨が止まっていて、降っている雨もそれほど強くなくなっているのではありませんか。
「あれ、もう雨が小降りになってきたんじゃないか」と思っていましたが、その思い通り、その後の私の家の周りの雨は、多少の強弱はありましたがだんだん弱くなりやんでいったのです。
ですから、私が祈ってすぐにそうなったのです。すさまじい勢いで降っていた雨が気がつくと弱まっていて、その後は、そんな激しい雨が降ることもなく、そうして最後にはやんでしまったのです。
これが偶然、たまたま起きたことなんでしょうか。すぐにこのような現象が現れているにもかかわらずです。(このブログに書いている通りのことが起きているんですが…)
だから、祈った通りのことが起きたんではないのですか?
私は、線状降水帯の雲が消えますようにと、少しでも早く動いていきますようにと祈ったのです。その祈りがきかれたのではないのですか。だから、激しい雨が止まったんですよね。私の家の周りはです。
私の家の周りまでかかっていた線状降水帯の雲が消えたからです。(または移動したからです)そうでなければ(そのような物理的現象が起きていなければ)激しい雨が急に止まるわけがないからです。
しかし、だからといって線状降水帯の雲が全部消えたわけではありません。それで残った雲が、先に書いたような被害を名古屋にもたらしたのです。
しかし、それでもです。その後一時間くらいではなかったですか。その線状降水帯が名古屋に被害をもたらしたのもです。その後は、その線状降水帯の雲は散らばっていったからです。だから、先ほども書きましたが案外、今回の名古屋の線状降水帯の被害は少なくてすんだのです。
線状降水帯の雲がかかっていた時間が比較的短かったからです。
こういう結果が現れているのですが、それでもまだ認めないのでしょうか? 私がいう神理の祈りをです。
今回もまた祈りが確実にきかれたであろうという結果が、それこそありありと現れているのにです。
それでも偶然、たまたまを押し通すのですか、神を信じない人たちはです。
しかし、そのような人たちはただ自分がそう思っているだけなのです。その思いにはなんの正しいという裏付けはないのです。ただ自分がそんなこと信じられない、それだけなのです。
いい加減、そのような小さな考えは捨てませんか。そうではなく自分が知らない世界もあるのだと、それくらいは考えを(心を)広げませんか。
あなたたちが認めないことが、目の前で次々に起きているからです。祈ると次々に奇跡が起きてくるという事実が目の前に展開しているからです。
私はいつも神のことをいっています。神を一にしています。すると祈りがどんどんきかれるのです。
しかし、無神論の人たちはどうでしょう。私のような体験をした人など皆無といっても間違いではないのではないですか。だから否定するのです。自分がした祈りなどきかれたことがないからです。
しかし、それは単に普段から神を信じず、そうしてこのような現象は全部自然現象という間違ったことを信じているからだけなのです。
だから、祈りがきかれないのです。普段から神を思い、そうして正しい祈りをするなら、神への祈りは確実にきかれるのにです。
そのような人たちは、そのような事実を知らない、それだけの話なのです。
また一つ、奇跡の証明を私は行いました。
どれだけ証明したら神を認めてくれるのですか? いつまでも神を否定している口だけの人たちはです。
神を常に思っているなら確実に奇跡は現れます。神は存在するからです。
いい加減、信じませんか。この正法神理をです。そうすれば災いは防がれ奇跡が起きてくるからです。



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