10月 20 2026
神理が起こす奇跡 止まっている者と進んでいる者
もう詫びを入れて布施してはどうでしょう。昨夜も遅くまで大変お怒りのようであったからです。
今日も朝一からお怒りのようですが、そうすると今日も一日(怒っているふりだけして)ぶるぶる震えながら仕事をしないといけなくなります。
毎日それではあまりに哀れでしょう。もう我を張るのではなく自分の心に素直になりませんか。昔の人たちは誰もそうしたからです。神理に頭を下げ感謝の布施をするなら、そんな恐ろしい災いも起きなくなるからです。
神は、どれほどひどい悪人も(ひどく神理に逆らっていた人たちも)反省するなら許されるからです。
自分から謙虚に反省される人が一人でも多く出てきてくれることを願ってやみません。
しかし、台風30号はまだ油断出来なさそうですね。日本を通り過ぎた後でも、それでもカーブしてまだ日本に向かってくる気配があるとか。
しかし、今回は祈った人がいるのでね。まず大丈夫だと思いますが、それで仮に30号が日本の方に向かってきたとしてもです。
たいした被害は出ないでしょう。祈ったのと、祈らないでいるのとでは出る結果が全然違うからです。
これまでも、こういう祈りをここに書いて、そうして祈ってくれた人がいた時は、そんなひどい結果は出なかったはずであるからです。
私が覚えているのは、ひどい被害が出るのではないかといわれていた台風が、皆で祈ったら日本に上陸はしましたが、たいして被害が出なかったということがありました。そういうことが、2~3回あったのではなかったでしょうか。
そこはブログを読み返してみないとはっきり分かりませんが、そういうことが何度かあったことは事実です。
だから、私は神への祈りは大事であるといっているのですが、しかし、正しい祈りをしないと祈りはきかれません。だから神理を行いませんか、といっているわけです。
神理を勉強し、少しずつでも実践していると正しい祈りもだんだん身についてくるからです。そうして祈りもよくきかれるようになるからです。
だから、今回一緒に祈ってくれた人などです。神理に感謝(布施)くらいされませんか、といっているのです。
そうすれば正しい祈りも身についてくるからです。しかし、いつまでもそこで止まっていると(私が祈ってください、という時だけ祈るだけなら)その時だけしか祈りはきかれないからです。
それではこの神理と巡り合った意味も半減します。せっかく神理と巡り合ったのであれば全力でされることです。そうすれば、多くの奇跡も現れてくるからです。
しかし、まだそこまでもいかない、今回もまた私のいうことをきこうとせず(信じようとせず)祈ることさえしなかった人たちはです。
いつまで同じ位置にいるのですか? いつまでもそこにいてはなにも分からないからです。神理の素晴らしさも、神理が現わす奇跡もです。
そんなのは偶然、たまたま、結果論でそういっているだけ、などといつまでもいっていてはです。
もうこのようなことは何度も起きています。一度や二度、こういうことが起きたというわけではないのです。
すでに何度も何度も、神理が現わす奇跡は起きているのです。それにもかかわらず、毎回毎回、偶然、たまたま、結果論では進歩がないといわれても仕方ないのではないですか。
偶然、たまたま、結果論だけなら、こうも続くはずがないからです。それだけで、いま私の回りで起きていることを結論付けるにはあまりに浅薄(せんぱく)といわざるを得ないからです。
もう何年にもわたり、そのような奇跡は起き続けているからです。
浅薄な人では救われません。もう少し考えを進め、もう少し広く深く物事を見ませんか。そうすれば、もっと広く大きく豊かな世界があることも実感出来るからです。
どちらにしても、そのような心(広く大きく豊かな心)にならないと救われません。ケチで進歩のない心は捨てませんか。そうしないと幸せにはならないからです。
そんな祈りで災害が減るなら、もっとどんどん祈って災害を減らせばいいではないかと、単純なことをいう人もいるのでしょうが、そんなにポンポン祈って、どこの災害も減らせるものではありません。
祈りがきかれるには、自分の分もあり、そこに住む人々の心もあり、そうして、その災害が起きなかったがため他のもっとひどい災害が起きた、などの様々な理由があり、そのような条件がすべてクリアされて、それでようやくきかれるものなのです。
なんでもかんでも祈ればきかれるというものではないのです。だから私も「皆で祈りましょう」とここに書くことも少ないのです。
そういう条件にあっていると思われるものだけを皆と祈っているからです。その条件から外れるものは皆で祈ってもきかれないと分かっているからです。
だから、祈ってきかれるものときかれないものがあり、祈ってきかれないものは、そこにいる人たちが反省しないことにはきかれないのであって、だから、祈りましょうという時と、もっと神を信じ反省しましょうという時と、私は両方あるわけです。
そこにいる人が、もっと神を信じ反省しないときかれない祈りもあるからです。
だから祈ってもきかれるものときかれないものがあり、だから、なんでもかんでも祈って、それで災害が減るというものでもないといっているのです。
大方の災害は、そこに住む人たちが反省しないと止めることが出来ないものであるからです。
だから、このような理由で災害が止まらないのですが、だから先に進みませんか、といっているわけです。その先に進まない人が多いがため災害が増えているからです。
神理は奇跡を起こします。まずそれを信じ行ってみませんか。
幸福は、そこから始まるからです。



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