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7月 03 2010

四十日四十夜

10:51 AM ブログ

この前図書館に行き聖書を読んでいて気づいたのですが、聖書の中には四十日四十夜という言葉がたくさん出てきます。

モーゼは十戒をヤハウェーから授けられますが、その時シナイ山に四十日四十夜留まりヤハウェーより指示を受けます。この時モーゼは四十日の間断食します。

キリストも「聖霊に満ちてヨルダン川からお帰りになった。そして荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間悪魔から誘惑を受けられた。その間何も食べずその期間が終わると空腹を覚えられた」と聖書に書かれてあります。

モーゼ、キリスト以外でもノアの方舟の大洪水は四十日四十夜続きましたし、預言者エリヤも四十日四十夜歩き続けたと聖書に書かれてあります。

この預言者エリヤは、キリストが十字架にかけられる前に山(変貌の山)に登って祈られているとき、モーゼとともにキリストの前に現れたということで有名ですが、エリヤはイスラエルの神が汚されていることを思い、三年六ヶ月の間イスラエルに雨を降らせませんでした。

そしてエリヤは、バアルの預言者たち(現在で言えば坊さんや行者や既存の宗教の教祖や霊能者といわれる人たちでしょうか)四百五十人を集めて、エリヤの言う神が本物なのか、それともバアルの預言者たちが言う神が本物なのか、神の名を賭け対決します。

最初バアルの預言者たちが自分たちの神に呼びかけます。しかし、バアルの預言者たちの神は誰が呼びかけても、一言も発せず何の奇跡も起こせませんでした。ところがエリヤが天に呼びかけるとたちまち奇跡が起き、勝負はあっという間に決してしまいます。エリアが言われる主の神(ヤハウェー)こそ本物の神であったからです。エリヤはこの対決に敗れた四百五十人の預言者たちをことごとく殺しますが、このことがイスラエルの王に知れ、イスラエルの王はエリヤを捕らえて殺そうとします。

その時エリヤは四十日四十夜歩いて、モーゼが十戒を授けられた神の山まで逃げます。

このように聖書のところどころに、この四十日四十夜という言葉が出てきます。何かこの四十日四十夜という期間に意味があるのでしょうか?まったく意味がなく偶然四十日四十夜という言葉が、聖書のところどころに出てくるとは思えませんので、きっと何か意味があるのでしょう。

神が預言者や救世主といわれる方々を試される期間が、あるいは四十日四十夜なのかもしれませんが、四十日四十夜の意味が聖書の中に書かれてないので、よくわかりません。

聖書に出てくる四十日四十夜とはまったく別だと思いますが、不思議なことに私が何も食べなかった期間も四十日でした。去年の十二月一日から食べることをやめ、今年の一月十日に病院に入院したのですから、ちょうど四十日四十夜です。

しかし、聖書に出てくる方々は神に導かれ啓示を受けたりされるのですが、私の場合はあちこちの公園をうろつき体を壊しただけでした。(笑)

聖書に出てくる方々とはずいぶん違いますが、私も形だけとはいえ聖書に出てくる方々と同じ修行(?)をした者として、聖書の預言者といわれる方々が遺された予言と同じような予言を遺しておきましょう。

バブテスマのヨハネは、イエス・キリストといわれる偉大な方が後から出てこられることを予言します。

「私の後からこられる方は私より上の方である。私は水でバブテスマ(洗礼)を授けるがその方は霊でバブテスマを授けるであろう」そして「私はその方の靴の紐を結ぶ価値もない者だ」と多くの人に語ります。

私もヨハネに習い予言しておきましょう。

「私の後からお二人の偉大な方が出てこられる。その方々は霊でバブテスマを授け、多くの奇跡を現すであろう」そして「私はその方々の靴の紐を結ぶ価値もない者だ」

これからの日本には、多くの心ある人たちが出てまいります。(すでに出ている人たちもいます)心ある人たちとはすでに神や霊の存在を知り、あの世の存在を理解できる人々です。

これまでの日本は物質的には大いに発展しましたが、無神論、唯物論を信じる人が多く、神やあの世の存在を理解できる人はあまりいませんでした。それは、目の前にある物がすべてと考え、その奥にある、そのものをつくりせしめた意志でありエネルギーである存在、すなわち神の存在まで思いが至る心の深い人が少なかったということです。

それが現在の日本に唯物無神論がはびこる原因となっているのですが、これからはそのような心の浅い人たちではなく、心のより深い人たちがたくさん日本に生まれてきます。そしてそのような人たちは、高橋先生と園頭先生が説かれた法に触れれば、その正しさを即座に理解し、自分で悟りを開いて出てくることになっています。

私の書くブログを非常に興味を持って読める人たちは、過去世で法というものをかなり勉強した人たちであり、心の深い人たちの一人ということになります。私のブログには法がたくさん書いてあります。過去世(過去のこの世とあの世の生活)で法を勉強している人たちは、そのことを心では知っていますので私のブログに興味を持つのです。

人の心には段階があります。いくらこの世で年を取っていても、心がまだ高いところまでいっていない人は、神や霊の存在が理解できません。しかし、これからは若いときから神や霊の存在が分かり、法の正しさを理解できる人たちがたくさん出てくるのです。

二十一世紀は心の時代といわれているとおり、これから心を理解できる若者がたくさん出てきます。若い者が年寄りを指導していく時代がそこまで来ているのです。

心の段階はこの世の肉体年齢ではありません。この世に生まれたばかりの子供でも心の高い人たちは、小さいときから天才的な才能を発揮して大人たちを導いていきます。

これからはキリストが言われた「後の者が先になり、先の者が後になる」そんな時代がもうそこまで来ているのです。

これから日本に起きる大きな奇跡は、後世にいろいろな書物に書き残され、世界中の人々の驚嘆とともに多くの人々に語り継がれていくことになります。

このことをはじめに知った方々が、一人でも多く立ち上がってくれることを願ってやみません。

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