12月 29 2012
あと二日です
最近祈って、息を吐きながら手を振ると、その手の先から細かい光がパッと広がるのが分かります。その光を心のよい人が受ければよいことが起きてきますが、悪い人が受けると、その悪いことの反省を促されるようなことが起きてきます。
釈尊やキリストが、善人にも悪人にも同じように光を与えていた意味が、その光が分かるようになって初めて分かりました。
ずいぶん、その光を受けた人が私の周りに多いように思いますが、誰も詫びてきませんが本当によろしいんですか?
なぜ多くの人たちが私に嫌がらせを始めたのか知りません。いろいろ噂が拡がったからでしょうが、その噂が全部正しかったのでしょうか?またそのようなことをした、自分たちの判断が正しかったのでしょうか?噂の真相も確かめず、自分たちの判断が正しいかどうかも分からず、そんな生意気な奴はやってしまえと、子供と似たような感じで嫌がらせをされたのではないでしょうか。
少し考えてみてください、自分の子供が、あるいは自分の親が、大勢でよってたかって一人の人に嫌がらせを始めたら、あなたはどう思われますか?近年いじめが問題になっていますが、そのことが原因でその人が自殺しようものなら、そんなことをした親や子を持つあなたはどう思われるでしょうか。
どういう理由があるにせよ、自分の親や子が原因で人が死んだのです。よい気持ちをあなたが持つはずもなく、そんなことをした親や子を、なんということをしたのか、と叱りつけるのではないでしょうか。(まさかよくやったと褒められる人はいないはずです)
それが当たり前の人としての行為でありますし、そうするべきでしょう。
そのような、人に叱りつけられる恥ずべき行為を、あなた方はしたのです。
それで詫びようともせず平然としていられるとしたら、あなたはともかく、そんな親や子をもった家族はどう思うでしょうか?さぞ悲しい思いをすることでしょうね。そんな人を人と思わないような行為をして平然としている親や子を見て。
もうあなた方がした行為は多くの人が知っているのです。(このブログに散々書いたからです)それで誰一人詫びなかったと、またこのブログに書くのであれば、これほど恥ずかしいことはないのではないでしょうか。
人としての常識をもっているのであれば、詫びるのが当然の行為であるし、それをしないというのであれば、これほど非常識なことはありません。そのような非常識な人間と、これからずっと思われるのです。それでもよろしいのですか?
それに私になぜ嫌がらせをしたのか、その理由も分かりません。私はあなた方に嫌がらせなどしたことがないからです。(それ以外の人にもありませんがね、嫌がらせなど。それが人として当たり前のことでしょう)
もし、私が祈り何か起きたから、それが気に食わず嫌がらせをされたというなら、それこそお門違いでしょう。なぜなら私は神の命でそれをしているだけだからです。
私がたくさんの人が憎くてそれをした、というのであれば、嫌がらせをされても仕方がないでしょう。しかし、私は神の命により、多くの人がこの世のことしか考えず、生まれる前に約束した神の心を知り、それを多くの人に伝える、という使命をまったく果たそうとしないから、その一番大事な使命を思い出し果たしてもらうため、祈っていただけだからです。(私の祈りで不幸になった人がいたとしたら、それはその人が自分の使命を思い出そうとしないから悪いのです。どのような不幸が襲っても恨めない、それだけ大事な使命であるからです。それに何度もいいますが、何が起きても祈りをしなければならない、私が一番辛いのです。私からいわせれば、そんなことをしているお前が悪いと、嫌がらせなどしている人など私よりずっと気楽なのです)
だいたい自分の私怨だけで祈り、そんな大きな現象が出るわけないでしょう、大きな現象を起こすには天上界のたくさんの光の大天使の力が必要なのです。自分の心が正しくなければ、多くの光の天使が力をかしてくれるはずありません。祈って大きな現象が現れたのは、私の心が正しかったからです。逆に恐ろしい現象が次々に現れたということは、間違った心で、間違ったことをした人がたくさんいたからです。
どちらが正しく、どちらが正しくなかったのか、その起きた現象がそれを証明しています。どれだけ自分は間違っていないと言い張ろうと、現実を見れば一目瞭然なのです。それを多くの人は認めたくないから、それは全部おまえがしたのである、おまえのせいである、と責任転嫁しているだけなのです。
いつまでも気づかない人が悪いのです。もう時代が変わっているのです。それさえも気づかず、悪いことが起きれば全部私のせいにして、自分たちの心は一切変えようとしない、そんな心ではもう生き残れないのです。
一体、誰のお陰で、神の存在やあの世の存在に多くの人は気づいたのでしょうか?
そのような恩を恩とも思わず、逆に仇などと思っている人に、よいことが起きてくるはずがないのです。
しかし、先ほどの話に戻りますが、どれだけ悪いことをした親でも、あるいは子でも、では多くの人は、その親を見捨てるでしょうか?その子を、お前は悪いことをしたからもう知らん、勝手にどこにでもいけ、などという親がいるのでしょうか?ほとんどの人は、そのような考えは持たず、もうそのようなことをしてはいけないと許されるはずです。
この親子の愛こそ神の愛なのです。
神はどれだけ間違ったことをしている人も許します。それに気づくまで辛抱強く待ち続けていられます。
しかし、そのような神の心に甘え、いつまでも進歩しなくてよいのでしょうか?
あと残り二日です。神の愛に応えるためにも反省ができた人は詫びてください。



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