7月 16 2010
蓮の花
一週間ほど前に行った公園の池に蓮の花がたくさん咲いていました。これから盆すぎまでは蓮の花が見頃ですね。きれいな花を見ていると心が安らぎます。
この蓮の花を見ていてある話を思い出しました。
それは釈尊の弟子で多聞第一といわれたアナンの話です。
アナンは釈尊の付き人をやっていたのですが、一人で托鉢(修行僧が町や村を周って人々に施しを受けること)に行くと、必ず一軒の家の前に立ってアナンに施しをしてくれる、きれいな女性がいました。
いつアナンがその家の前を通っても、そのきれいな女性はアナンに施しをしてくれるので、アナンはその女性を好きになってしまいます。
そしてあるときアナンは釈尊に、出家をやめ還俗しその女性と結婚したいと申し出ます。
その時釈尊は次のような話をされアナンを諌めます。
「アナンよあの泥沼に咲く蓮の花を見るがいい。あのきれいに咲いている蓮の花の根は汚い泥沼につながっている。
そなたたちの肉体はどうか。そなたたちの肉体はあの泥沼よりも汚いのである。
その娘がいくらきれいとはいえ、その目を見てみよ。目を見れば目くそ鼻を見れば鼻くそ耳を見れば耳くそ歯を見れば歯くそがたまる。体からはくさい汗、大小便と人の体から出るものなど何一つきれいなものはない。人の体などあの泥沼より汚いのである。
しかし、心の悟りを得るならばたとえ汚い肉体であろうと、あの泥沼に咲く蓮の花のように美しく安らぎのある境地に到達することができるのだ。
アナンよ、泥沼より汚い肉体にとらわれてはならない」
きれいな女性の一部分だけとって(たとえば鼻の穴とか耳の穴とか)あの人は汚いというのは、愛がないし間違った見方でしょう。
顔や体の全体を見て、きれいだとかそうでもないと判断するのが普通ですが、最近はあまりにやりすぎだろう、という化粧やファッションをした女性(中には男性もいますが)も多いのではないでしょうか。
どれだけ化粧をしても人の体などもともと汚いものです。(だからといって汚いままでいいというものでもありませんが)まったく化粧けのない女性も色気がありませんが、やりすぎるのも問題でしょう。(あまりに化粧がすごいと奇怪に見えます)
やはり化粧も程々がいいと思います。それに女性としての勉強をしっかりしていて、心が蓮の花のようにきれいな人なら、それが外見までにじみ出て少々外見が悪くても、きれいに見えます。
やはり外見ばかり一生懸命磨くよりも、内面の心を一生懸命磨くほうが結局は皆に好かれ異性にももてるということになります。外見がどれだけきれいでも中身がなければ、外見がきれいでなくなったとき(年を取ったときというという意味ですが)、皆に相手にされなくなり不幸になっていきます。
外見がきれいであろうとなかろうと、若かろうと年を取っていようと、心を磨いてきれいにすることこそ肝要なことであると思います。
蓮の花のようなきれいな心を持った女性こそ真の美人といえるのです。



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