2月 09 2013
貴重な体験
昨日あんなブログを書いたら、ずいぶん昨日はサイレンが響いてましたね(救急車か消防車か知りませんけど)今日も朝からサイレンがあちこちでしています。どうやら次々に現象が起き始めたようです。
皆さんしれっと仕事していますが(内心は分かりませんが)よろしいんですかね、このままほっといて。
ここに書くことを、信じたくなければ信じなければいいし、やりたくなければやらなければいいのですが、状況が状況です、神の心を知る努力を少しはされてはいかがでしょうか。
いつまでたっても人に嫌がらせしているだけでは、何も変わらないでしょう。(むしろ状況悪くなる一方です)私がいなければ、この世以外のことも理解できなかったのですから、少しは感謝され、感謝の心を表されてはいかがでしょうか。そうすればもっといい現象が起きてくるのに、逆の思いばかり持ち逆のことばかりしているから、こんなおかしな現象ばかり起きるのです。
私は、よく人に向けて祈りますが、しかし私は、その人のためになる祈りしかしていません。(そういう祈りをしないとこちらも危ないからです)もし私に祈られて、おかしな現象が出た人がいたとしたら、それはその人が悪いのです。その人の心がよければ、私に祈られれば、その人に悪い現象が出るはずがないからです。私はその人の幸せを祈っているからです。その人がよくなるよう祈っているからです。
それで悪い現象がその人に現れるようなら、よほどその人の心が悪いということになります。しかし、どんな現象がその人に現れようと、私に祈られ何か現象が起きるのであれば、それはその人の心にとってはプラスになるということです。どういう現象が現れようとです。だから私には何も起きないのです。すべてその人のためにやっていることだからです。(私が祈り、たとえその人に悪い現象が起きても、人は何度も輪廻を繰り返している魂なのですから、この人生で私に祈られて何か起きたと本人が自覚すれば、これほどの学習はないのです。そんな体験、自分の永い輪廻転生の過程でも、そうは体験できることではないからです。人に祈られて自分に何か起きるなどという体験、そうできるものでもないでしょう)
いずれにしましても、私が祈って何か起きていると、自覚している人が多いのであれば(多いでしょうね、だから私に嫌がらせする人が多いのでしょうし)それはすばらしい体験をしているのです。(祈って、その現象が目の前に現れるなどの体験、普通はできないでしょう。それは永い輪廻転生の過程でも同じなのです)
如来クラスの者と同時代に生まれなければ、できない体験を多くの人はしているのです。(それがどれだけ貴重な体験かは後で分かります)
もう少し現在起きていることの有り難さを理解されてはいかがでしょうか。
今起きている現象は、その言葉どうり“有り難い”(有ることがあまりない、めったにない、非常に珍しい、という、有ること難し、という意味)現象であるのです。
その自覚を多くの人がもてた時、奇跡が起き始めるのです。



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