2月 18 2013
法の縁が深い人と浅い人
今年は風疹の感染者がずいぶん多いようです。特に東京は多いそうですが、全国的にも前年の十四倍もの感染者がすでに出ていて、通常なら風疹は冬には収まるはずですが、今年はそんなこと関係なしに感染者が増えているようです。
少し天気が落ち着けば、今度はこのような風疹やインフルエンザ、ノロウイルスなどが流行りだし、まったく現在の日本は、いきつく暇なく災いに襲われています。これは典型的な無信仰の現れでしょう。
しっかりした神への信仰のなさが、このような災いを次々に起こされている原因であると思います。
法をしっかり勉強しなければいけない人たちが、法をしっかり勉強しようとせず、法と巡り合うにはまだ早かった人たちが、法を知ってしまったため、起きている不幸がずいぶんあるのです。
私のブログは誰でも読めます。これがよいことでもあり、悪いことでもあったのです。
よいこととは、誰でも読めますので、全国にいる法に縁の深い人たち誰もが、法を知ることができるということですが、悪いこととは誰でも読めるため、法を知るのはもう少し先であった法に縁の浅い人たちまで、法を知ってしまったということです。
なぜ、法の縁に浅い人が早く法を知ってしまうと不幸なのか?ということですが、そういう人たちはまだ心が法を知るところまで発達していないのです。従ってそのような人が私のブログを読みますと、腹が立って仕方がないとか、または自分の意に沿う内容なら納得しますが、そうでない内容のものはやはり腹を立ててしまうのです。
まだ、心が発達していない人たちは、ブログの一つ一つの内容に心が揺れ動き定まらないのです。こうなると、その人の心にとってはマイナスの方が大きいのです。一つ一つのブログの内容にこだわるのではなく、このブログを全体的に見れて、それでここに書いてあることは正しいと、冷静に判断できる人以外はこのブログは読まない方がいいのです。
私はそれを何度もいってきたのですが、どうしても聞きません。その結果、自分が不幸になったり、私に嫌がらせしたばかりに不幸が大きく拡がったりしているのです。
何度もいいますが、私のブログを読んで腹が立つ人は読まない方がいいのです。
こういう人たちは、あまり法に縁を持ってしまうと不幸になるのですが、逆に法に縁を持たないと不幸になる人たちがいます。それが法に縁の深い人たちです。
どのような人たちが法に縁の深い人たちなのか、ということですが、そのような人たちにはすでに現象が現れています。どのような現象が現れているのか書いておきましょう。
最近私は、かわいらしい女の子たちがたくさん私のブログを読んでいることを知りました。それで私は、その子たちのブログをちょこちょこ読むようになったのですが、やはり、そのようなブログの中に現れてきますね。法の縁に深い子たちは。その子たちのブログを読むと法に縁の深いことがよく分かります。
特に最近の私のブログは、早く手伝ってほしいという内容のものを多く書いていますので、よけい分かるのです。
では、どういう子が法に縁が深い子なのかということですが、例えば、ある女の子のグループで最近病気になった子がいます。そりゃ病気になる子もいるだろうと思われる人もいるかと思いますが、そのグループは病気になった子が一人ではありません。同時に二人の子がなったのです。
その子たちのグループの子たちは法に縁が深いのです。ですから、そのような現象が現れたのです。法を勉強し実践しなければならないという気づきの現象です。(だから最近一位になれたのです)
その病気になった子たちは私に協力し、私がその子たちを祈ればその子たちの病気はすぐよくなります。しかし、私に協力しないと、その病気はいつまでも後を引き、後々までその病気に悩まされることになるのです。(自分たちがしてきた一番大事な約束を果たそうとしないからです)
この子たちは特に顕著に現れている例ですが、その子たち以外でも、最近何か心の中がモヤモヤして晴れないとか、私のブログが気になって仕方がない、という人たちもそうです。
それは天からの通信が(早く私を手伝えという)その人の心に届いているのであって、その人たちが私に協力するようになると、その心は晴れて、天からの通信を直感という形で受けられるようになります。そうすれば私のように、度々、天からいろいろなことを教えられるようになり、祈ると奇跡が起きるようにもなるのです。
そのような人たちは皆法に縁の深い人たちであり、過去世で相当法の勉強をしている人たちです。だから、私のブログが妙に気になったり、ここにしつこく法の手伝いをしろと書くと現象が現れたりするのです。
このように法の縁が深い人は、法をしっかり勉強しないと不幸になり、法の縁が浅い人は、あまり深く法のことを知ってしまうと不幸になるのです。
法といえども、誰でも彼でも知ればいいということではなく、法をよく知った方がいいのか、知らない方がいいのかも、正しい判断が求められるということです。
だから、この世の修行は難しい、ということですね。



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