7月 26 2010
心の病④
しばらくして、その人はすっーと立ち上がられると私に深々と頭を下げられました。そして「ありがとうございました。名刺をいただけませんか」といわれます。
私が名刺を渡すと「お金は働いて必ずお支払いします。ですから、またお話を聞きに来てもよろしいですか」といわれるので「どうせ暇だからいいですよ。いつでも来てください」といって、その人を見送りました。
私はその後、数日で事務所を閉めてしまいましたので、それからその人とは会っていませんが、私の話したことがきっかけとなって、うつ病がよくなっていってくれることを願うばかりです。
この人のようなうつ病は、病院に行って電気治療や精神安定剤など貰って飲んでも治りません。多少は症状が治まっても自分の心でなってしまった病気は、自分の心を直さないと治らないのです。
しかし、心を直すといっても現在しているカウンセリングのような「あなたも苦労しましたね」とか「もう無理をしなくてもいいのですよ」などという気休めのようなことを言ってもダメで、まして、すぐ死にたくなるからといって「親から貰った命を粗末にしてはいけません」などといえば、この人はその親を怨んでいたのですから「怨んでいる親から貰った命などいらない」とよけいに死にたくなります。
人が死にたくなるのは、自分が誰からも愛されていないと思うからで、誰かが自分を愛してくれていると思えば死ぬ気は起こらなくなります(私は体験者ですから)。だから私はこの人が一番怨んでいた父親が、実は一番この人を愛していたのだということを強調して伝えたのです。
自分が愛されていると思えばもう死ぬ気は起こりません。
精神の病を治すには、心に深く思っている間違った思いを引きずり出してそれを捨てさせ、正しい思い(法)で埋めなければなりません。それに霊の作用も関係してきて、それをまったく認めていない、病院やカウンセリングではよくならないのです。
精神科の医者やカウンセラーといわれる人が、患者と同じ病になる人が多いのも霊の存在をまったく知らず、それを無視しておかしな指導をするからそうなるのであり、法を知らずに、精神の病に犯されている人をカウンセリングするのは、銃を持った金がほしくて仕方がない強盗の前に、百万円の札束を持って丸腰で立つのと同じことなのです。
その強盗をうまく説得できればいいですが、できなかったら百万円を奪われ、最悪の場合は銃で撃たれて命まで奪われかねません。それほど法を知らずに、精神の病の患者にカウンセリングすることは危険なことなのです。科学が霊を認めず研究を怠っているため、精神医学の世界では非常に危険なことを平気でやっている、というのが現状なのです。
軽い精神の病なら、病院の薬やカウンセリングがきっかけとなって心の向きが変わり、治ってしまうこともあるのですが、何年も何十年もこのような病気にかかっている人は、法を知らないと治らないのです。先に書いた人もそうですが、どこの病院に行っても何年たっても、精神の病が治らないのはこのような理由からです。
このようなことを考えましても、法というものは政治や経済、あるいはスポーツの世界や精神の病に至るまで、すべてにおいて影響を与えなければならないのです。真の神の教えであれば当たり前といえば当たり前なのですが……。
しかし、先のうつ病の人などは女性の愛がもっと強ければ防げたことではありました。私が話した中で、この人の父親が女をつくったのは母親のせいといいました。こういうことを言えば、現在ではそれは男の身勝手だろうと思う人も多いと思います。(現在の思想がそのようになっていますので)
しかし、それは違うのです。逆に言えば女性の愛はそれほど偉大である、ということを言いたいのですが、それを理解されるにはやはり法というものを、もっと理解されないと分からないと思います。
このうつ病であった人も、この人の奥さんがもっとこの人に愛を出していれば、うつ病になることはありませんでした。現在の人々は、この人のことをいくら父親の会社を助けるためとはいえ、自分の会社までつぶしてしまってはダメだと、結果だけ見てものを言う人が多いと思います。
しかし、そうではないのです。この人は父親に金を貸すとき、そして保証人になるときでも再三業務の改善を求めたのです。「今のままではダメでこのようにしたほうがいい」と、しかし、それをこの人の父親が聞くことはありませんでした。それを分かっていてこの人は父親に金を貸し保証人にまでなったのです。ここまでやれる人がなぜダメなのでしょう。父親の会社がダメになると分かっていて、それでも保証人になれる人がどれほどいるのでしょう。この世界は結果がすべてというようなところがありますが、心の世界の評価は違うのです。
このような人が法を知り心が変わるならば、たちまちのうちに神は救いの手を差し伸べ幸福へと導きます。
自分の身を犠牲にし、人のために尽くせる心のきれいな人こそ、神がもっとも望んでいる人であるからです。



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