3月 12 2013
大調和の世界
釈尊は六神通力の最高の力を持たれていたといわれます。
六神通力とは次のような霊能力です。
天眼通(てんがんつう) この世のこともあの世のこともすべてを見通す霊能力
天耳通(てんじつう) この世のもの、あの世のもののすべての音・声を聞く霊能力
他心通(たしんつう) すべての人、また動物、植物の心までも読み取る霊能力
宿命通(しゅくめいつう) すべての人、またこの世の現在、過去、未来を見通す霊能力
神足通(じんそくつう) 意識だけでどこへでも行って見る霊能力
漏尽通(ろじんつう) 一切の煩悩をなくす智慧の力
この六神通力は、キリストやモーゼといわれる方々も持たれていて、このような方々は、その力を縦横に駆使し世に法を拡げていかれたのです。
そのような偉大な霊能力を持たれた方々でも、そのお力の中に特に秀でた力があり、キリストは多くの人を癒され、モーゼはモーゼの大奇跡で有名なように、竜巻を起こし、海を割り、また川の水を変え、天からヒョウを降らし、様々な異常現象を現して、世の人々を正しい道に導かれたのです。
しかるに現代は、その聖書に書かれたことと同じ現象が現れているにもかかわらず、誰一人神の方に顔を向けようとはしません。
そのような態度を取り続けるのであれば、異常現象は次々に現れます。
また何か起きたようですね。これだけ続けて現象が起きているのです。もう平静でいられるわけもなく、何か起きれば、誰かがおかしな態度を見せますのですぐに分かります。
しかし、聖書など、昔の書物を見れば分かりますが、そのようなおかしな現象が現れている時は、神の心から遠い人たちが数多く現れ、そのような態度に気づきを与えるため、反省を促し神の側に心を向けさせるため、そのような現象が現れているのです。
天変地変、恐ろしい疫病など、そのようなものが流行る時は、必ず、人心は神の心を離れ世が退廃している時なのです。
まさに現在の日本がそうではないしょうか。唯物無神論(このような思想など、神の心から離れてしまった最たる思想です)の時代が長く続き、自由、平等の思想が拡がり(ということは無秩序で自分勝手な考えが横行している)自分さえよければいいという、愛も慈悲もない不調和な世界となっています。その結果、天変地変は次々に起き、インフルエンザ、ノロウイルス、風疹などが蔓延し、その他、恐ろしい病も次々に発症しつつあります。(この辺りは特にそうなのではないでしょうか)
現在の日本は、神の心の世界とはかけ離れたものとなっているのです。
神の心の世界とは、神の存在を認め、その神が与えてくれた環境に感謝し(この地球はもちろんのこと、空気や水や太陽の光、そのどれ一つ欠けても私たちは生きられないのです。今ある環境に感謝するのは当然のことなのです)その何でも感謝する心で人にも愛を与え調和しながら生きていく、そのような世界を、神の心が表れた大調和の世界すなわちユートピアというのであり、このような世界が実現しますと、そこかしこで奇跡が起き(天上界の光の天使たちが協力してくれますので)今の世界から見れば、信じられないような発展した平和な世界が現れるのです。
それだけではありません。そのような心に多くの人がなるのであれば、それぞれの人の過去世が分かり、人間の永遠の生命が実感でき、先ほど書いた、六神通力の中のいくつかの霊能力も現れだして(元々私たちには、そのような能力が神から与えられています。それが心に曇りをつくっているため現れていないだけです)人によっては自由にあの世とこの世を行き来したり(ということは亡くなった人とも自由に会ったり、話ができて、天上界や地獄界を自由に観ることもでき、それどころか世界のどこへでも行くことができて〔霊体でてすが〕どこでもただで観てくることができるということです。現実に高橋先生はよくそのようなことをしていられたそうです)先を見通して事前に危険を回避したり、病気の人の病気を癒してあげたり、あるいは日照りが続いてるところに雨を降らせたりできるわけで、世に奇跡が起きるだけでなく、自身でも奇跡を起こせて、しかも普通では体験できないことを次々に体験できるという、すばらしい世界がこの世に実現するのです。(今とはま逆な世界ですが、このような世界はまったくの夢物語ではなく、元々はこの地上界もそのような世界であったのです。それが多くの人が心に曇りをつくってしまったため、その心の曇りが全世界を覆い、今のような何も分からない、何もできない世界になってしまったのです)
しかし、そのような世界を現すことは、それほど難しいことではないのです。神からそっぽを向いている心を神の方に向け、すべてのことに感謝して、誰もが愛ある心を持つのであれば、すぐそこにそのような大調和の世界は実現するのです。
妬み、ひがみ、怒りの心を持っていては、そのような大調和した世界はいつまでたっても現れませんし、また、そのような心ではいけない、という現象が次々に現れています。
その神の心を現している者を冒涜するような行為は、恐ろしい現象が起きるだけでなく、そのような大調和の世界の実現をも遅らせることになります。
これだけ次々に現象が現れているのです。神の側に心を向けなくてよいのでしょうか。



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