7月 31 2010
園頭広周師⑫
それを聞いたその女の人はハッとなりしばらく考えると、その当時のことを少しずつ話し出すのでした。
その人は家庭の事情で婚期が遅れました。気がつくと三十才を超えており(戦前の話ですので女性は皆早くに結婚して、三十才を過ぎるともうあまり貰い手はありませんでした)貰ってくれる人があれば誰でもいいと思って、知り合いから見せられた現在の夫の写真を見て、それほど悪い人にも見えなかったのでその人に決めたのでした。
戦前のことですので、今のように二人で会ってデートなどはせず、結婚式当日、初めてその夫となる人をその人は見たのですが(当時はそういうことが普通でした)、思わず絶句しました。
目の前に立っている自分の夫となる人が、白髪頭のおじいさんだったからです。前に見せられた写真はなんと二十年も前に写したものであったのです。
もっとよく話を聞いてから決めればよかったと後悔しましたが、今さら結婚を取りやめにすることもできず、泣く泣くその人と一緒になりました。しかし、嫌々一緒になったのですから愛などあるはずがありません。
自分が年をとって病気などしたとき、自分を世話してくれる子供が一人くらいいたほうがよいと思い、最初の子は我慢したのですが、あんなおじいさんみたいな人の子は二人とほしくないと思い、最初の子を産んでからは別々に寝ることにしました。ところが年をとっても男は男で、強姦同様にして妊娠させられてしまい「生みたくない生みたくない」と思いつつ生んでしまったのが、発狂した二男でした。
胎児のときに与えられた精神への影響は、その子が思春期頃になると爆発的に吹き出すのです。
その人は夫に対する思い、二男の胎教のときの思いをすべて反省されます。それでもすぐ二男がよくなったわけではありませんでしたが、自分が悪かったと心から夫と二男に詫び、そのような思いを心がけているうちに、二男の病気は徐々によくなり治っていきました。
園頭先生は天に感謝し、このような体験を通して園頭先生自身も成長していかれるのでした。
先生の生活は祈りに始まり祈りに終わる生活でした。この頃はまだ天に祈るだけで、何が自分に答えを与えてくれているのか、その存在ははっきり分かりませんでしたが、それでも自分の祈りに答えてくださる霊の存在は信じていられました。
あるときこんなこともありました。
園頭先生の話を聞きたがっているその人は、昼間は仕事があるので夜しか話が聞けないとのことでした。
それで園頭先生はその人の仕事が終わるまで、近くの神社で待っていることにしたのですが、神社の境内で休んでいるとその前を数人の中学生が通りました。
その中学生たちを見た園頭先生は「こういう若い人たちが将来の日本を背負って立つのだ」と思われ、その中学生たちを呼び止めます。そして法の話をその中学生たちに一生懸命されて、若い人たちだからと飴や菓子などを買ってやって、その中学生たちを「頑張れよ」といって見送ります。
その中学生たちが帰った後、フッと自分の財布の中を見ると百円くらいしか残ってなく、自分が食べる食事代がありませんでした。
園頭先生はこのようなことをたびたびされ、自分のことを二の次にして人に尽くされました。まさに愛と慈悲の塊であり如来の心そのものの方でした。



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