3月 31 2013
ある例え話
例えば私が本を書いて自分で売り始めたとします。しかし、私のような名の売れていない者が本など書いても、誰も読んではくれないでしょう。
それではじめはその本の宣伝も兼ねて、私はただでその本を配っていました。しかし、行く行くはその本の売り上げなどで生活していこうと決めます。その本とは薄い小冊子で、その冊子の続きを順次書いてお金をもらい、それで生活もして、その本の売り上げも伸ばしていこうと私は決めたのです。
最初は私が書く小冊子も、それほど多くの人が読むということもなかったのですが、段々読む人が増えていきました。それで、ソロソロその小冊子の代金をいただこうと「これからは、この冊子を読むにはお金がかかります。お気持ちだけで結構ですからお金をお支払いください」と小冊子を見ている人たちに呼びかけました。
しかし、ほんの一部の人はその呼びかけに応えてくれましたが、ほとんどの人がその呼びかけに応じようとしません。そればかりか、書いてる内容が気に食わないと私に嫌がらせをする人も出てきたのです。
そのような状況が一年も二年も続きました。(一ヶ月や二ヶ月ではありません)
いくら呼びかけてもお金を払おうとせず、嫌がらせをずっと続けている人もいます。この場合、私は泣き寝入りしないといけないのでしょうか?
書いている小冊子の代金ももらうことができず、嫌がらせも黙って受け続けなければいけないのでしょうか?
そんなことはないはずです。逆にそんなことを続けていれば、何も手を打とうとしないお前も悪い、ということにならないでしょうか。(当然そうなります。多くの人が自分に対する悪いことを続けていて、そのことに対し何もしないということになれば、そのような人たちがしている悪いことを、増長させているのはお前ということになり、私の責任にもなるからです)
それで私は、これではいけないと思い、お上(天)に訴えたのです。
するとお上は、それは、そんなことをしている人たちがいけないと、様々な仕置きをしてくれました。
ある時は大雨を降らせ、ある時は地震を起こし、ある時は大きな台風を呼び、またある時は大雪を降らせました。しかし多くの人は、それでもまだお金を支払おうとせず、嫌がらせをやめませんでした。
それどころか、そんなこと(お上に訴えたこと)をしているお前が悪いと逆恨みして、前以上に私に嫌がらせをする人が増えたのです。
それで私はまたお上に訴えました。
すると今度はお上は直接、その嫌がらせをしている人たちに仕置きを始めたのです。そうしてその仕置きは現在も続いています。
このように考えるのであれば、一体今のような恐ろしいことが起きてきたのは、私のせいでしょうか? それともこのブログを読んでいる人のせいでしょうか?
私はお上(天)の命によりこの小冊子(ブログ)を書いています。
お上の命ですので、当然この仕事を、他にアルバイトをしながらやるとか、遊び半分でやっていては、もっと真剣にやれと、お上に叱られます。
この仕事でお金がもらえなければ生活もできませんし、この仕事を拡げることもできません。ですから私は必死にお上に訴えて、この仕事を続けるしかないのです。
このような場合、悪いことをしているのは私でしょうか? それともただでこのブログを読み、私に嫌がらせなどしている人たちでしょうか?
今起きていることは、悪いことをしている人たちに悪いことが起きる、当然の結果であるように思います。
先週も先々週も(もしかしたらその前も)いったかもしれませんが、もう一度いっておきます。
“私がやってはいけないということを続けていて、何か起きても責任は持てません”
それにこの例え話を読んでもらえれば分かりますように、何か悪いことが起きたとしても、それは私のせいではありません。悪いことが起きそうな人たちが、まず反省しなければいけないのではないでしょうか。
また週が変わり新しい週が始まりました。今週“また”何か起きてもいけません。何度も同じことをいいますが、今日は週の始まりでもありますし、それを断って起きます。
(何度も同じことをいうのは、ずっとおかしなことが続いているのではないかと思われるからです。ということは、このままではまた今週も、何か起きるのではないかと思われるからです)



人目の訪問者です。
