4月 01 2013
天の仕事
さて、今日から年度も変わったことですし、私も新しい仕事を始めたいと思いますが、相変わらず誰も支払いをしてくれません。これでは変えようがないですね。
しかし、困りました。また何か起きてくると他の話題どころではなくなりますからね、取り敢えず出すもの出していただかないと、こちらもやりようがありません。(だからこちらも徹底的に祈るしかありません。どれだけ口でいっても分からないでしょうから)
また今週何か起きてもよろしいんでしょうか? それとも私が勘違いしているだけで何も起きていないんでしょうか? 何が起きてもどうでもいいと思っているなら、こんなことクドクド書きませんが、先週など半分パニッくってる人もいたくらいですからね、やはり相当恐ろしいことが起きてる気がしてなりませんが…。
前回も書きましたが、悪いのはこのブログを読んで何もしない人たちなのです。このブログはただで見ていてはいけないのです。(だいたい書いたことが次々に起きるブログなんて普通ないでしょ)
このブログは電子書籍と同じなのです。毎日書いているから、ブログのような形式になっていますが、これを毎日公開せずに月一にしたらどうでしょうか。十四、五ページの冊子のようになりませんか。(少し前までは、二日に一度くらいしか公開していませんでしたからね。それが最近は毎日のように公開しているのです。ページ数も増やしたのに、それでもまだお金を払ってくれないとは、一体どういう了見でしょうか?)
犯す間違いも、一度や二度なら小さな罪ですみますが、それが十回も二十回も同じことをしていれば、かなり重い罪になります。それが百回や二百回ならどうでしょう。もう死刑になっても仕方がないのではないでしょうか。(それくらいの罪は負っていることになりませんか?)
私は天の命でこのようなことをしているのです。それなのにただそれを見ているだけの人がほとんどで、嫌がらせまでする人がいるのですから、それは天も怒ります。(そのような人がどういう目に遭っても、それでは責任持てません)
仕事といえば、何かをつくったり、それを売ったりするだけではないはずです。
自分の芸を見せてお金をもらう人もいれば、いろいろな情報を流してお金をもらう人もいます。そのようなことを報道してお金をもらう人もいるのです。
私は神の心を伝えています。そうして、その神の心を現象として現しています。これも立派にお金のもらえる仕事ではないでしょうか。釈尊やキリストは世界中の誰もが知っています。少なくとも私は(その心の程度は違っても)そのような偉大な方々と同じ仕事をしていると思っています。
そういう偉大な人たちには、多くの支援者がいて多くの援助をされたから、その人物の偉大さと共に、その教えも後世に伝えられ多くの人が救われたのです。
もし、このような偉大な方々を、その当時の人が誰も相手にせず知らん顔をしていたら、いくら偉大な方々とはいえ、その人物像や奇跡が多くの人に知られることもなく、その教えも後世に遺るということはなかったでしょう。(ということは、多くの人が救われることはなかったということです)
偉大な方が生まれても、その周りの人々が何もしなければ、そのような偉大な方でも偉大な業績を遺すことはできないのです。
それだけ偉大な方が生まれることも大事なことですが、その同世代に生まれた人たちの使命もまた重大であるということです。(私たちは同時代に生まれている同期生なのです。その縁の大事さをもっと知らないといけないのです)
いつまでも知らん顔をされていては、私も天の仕事をすることができません。
今、この時代に生まれている使命の重大さをもっとご理解ください。



人目の訪問者です。
