8月 11 2010
愛の心①
愛というと男女の愛を思い浮かべる方が多いと思います。中には男女の肉体関係を愛と思っている人もおりますが、夫婦の性ならともかく、それ以外の肉体関係など、愛ではなく欲望以外の何者でもありません。
また最近は夫婦の間でも、それが愛なのか恋なのか、ただの思い込みなのか分からないような人たちもあり、本当の愛とは何なのかよく分からない、というのが現状なのではないでしょうか。
もちろん法で言うところの愛はキリストの愛であり、他の思いを愛とは言いません。
キリストの愛とは「右のほほを打たれたら左のほほを出せ」「汝の敵を愛し、責め憎む者のために祈れ」という深く広い愛であり、調子のいいときは一緒にいても、調子が悪くなるとサッサと逃げ出してしまう人や、主人を散々働かせてその主人が定年退職したとたん、その退職金を奪って別れてしまうような人を愛のある人とは言いません。
しかし、キリストの言われるところの愛はすべてを生かし、育むのであり、特に女性はこのような愛の心を持たなければならないのです。
前に私は、うつ病の人のことをこのブログに書いたことがあります。そのうつ病になった人の奥さんは、その人の仕事の調子がいいときには一緒にいて、その人が父親の保証人になって会社がつぶれ、借金ができうつ病になってしまうと、子供をつれて出て行ってしまわれます。
夫が借金をつくり、うつ病にまでなってしまったのだから仕方がない、と世間の人は言うかもしれません。しかし、では、なぜこの人の夫が借金をつくりうつ病にまでなってしまったのでしょうか。
それも全部夫の責任であり、奥さんに責任はないといわれる人もいるでしょうが、それは違います。
私は前に、このうつ病になった人の奥さんが、もっと愛を出していれば、この人がうつ病になることはなかったといいました。
私はこのうつ病になられた人が、奥さんの悪口(よいことも含めてですが)を一切私に言わなかったので、この人の奥さんがどんな人かは分かりませんが、しかし、どんな人であろうと自分の夫が(自分の父親のためにです)借金をつくり、うつ病にまでなってしまったのに、それをほっておいて逃げてはいけなかったのです。
もっというなら、この奥さんにもっと智慧があったのなら、この人の夫が会社をつぶして借金ができる前に、夫の会社をつぶすことなく父親の会社もつぶすことなく、すべてうまく収まったかもしれなかったということです。
このように書けば、ではすべてこのうつ病の人の奥さんの責任なのか、ということになり父親や夫の仕事にもっと口を出せばよかったのか、ということになりますが、そういうことではありません。男の仕事に女が口など出せば、それこそうまくいきません。口を出すのではなく、愛を出さなければならなかったのです。
もし、この奥さんにキリストのような愛があればどうされたでしょう。
自分の夫を思うと同時に、その父親のことも夫と同じくらい思われたはずです。であるならば、父親と夫が仲が悪いということは分かっていたはずですので、その仲の悪さを直すため、自分の愛を父と夫の両方に同じように出されたでしょう。
そのような無償の愛を女から貰った男はどうなるでしょう。どんなに突っ張った男でも、そのような女の愛の前には素直になるのです。どんなにかたくなな心の持ち主でも、そのような愛の前には、自分の心はやわらかくなるのです。そんな心になった父親と息子が話せば、今までのような突っ張った話し合いではなく、腹を割った心から自分の意見を出し合える、有意義な話し合いができたと思います。
そのような話し合いができていれば、父親は息子の意見を素直に聞き入れ、会社をつぶすこともなかったでしょうし、父親の会社がつぶれなければ息子も借金をつくることもなく、うつ病になることもなく幸せな生活を続けていけたと思います。
そんなにうまくいくか、と思われる人もいるでしょうが、女の無償の愛は天に通じます。するとそこに奇跡が起きるのです。女の無償の愛は多くの人を救う力があるのです。
母性愛という言葉はありますが、父性愛という言葉はありません。男に女ほどの細やかで深い愛はないのです。そのような細やかで深い愛は多くの人を救えるのです。ところが最近の女は愛を貰うことばかり考え与えようとしません。これでは奇跡が起きませんし世の中も浄化されません。女の愛は母なる大地と同じように、すべての悪いもの(汚物)を浄化し、よいものに変える力があるということを知ってください。
しかし、もしそれが逆に働いた場合、鬼婆という言葉はあっても鬼爺という言葉はありません。
女が愛を出さず、自分の我を通すことばかり考えているのなら、愛のある平和な世の中は永久にめぐって来ないでしょう。一人でも多くの女性が、真の愛に目覚めてくれることを願ってやみません。



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