4月 26 2013
この世の修行の難しさ
昨夜テレビのニュースで、お腹の中の子の病気や障害が分かる(病気や障害がすべて分かるという訳ではありませんが)新出生前診断のことをやっていました。
最近は医学が発達したものですから、何でもかんでもよく分かるようになりましたが、もちろんこんなことはやりすぎです。この出生前診断で、お腹の中の子の病気や障害が分かったから、お腹の子供をおろした人がいますが、いくら生まれてくる前だからとはいえ、こんなことをすればその人は人殺しということになります。
ここまで医学がやってしまってはいけないのです。生命倫理の観点から、様々な意見が出て混乱を招くのは当然でしょう、やってはいけないことまでやってしまっているのですから。
先にお腹の子の障害などが分かり、それで自分の子供をおろしてしまっては、自分の親としての使命を果たせなくなるだけでなく、その障害を持って生まれて、この世の修行をしようとしていた子の使命まで奪ってしまうことになるのです。これではこの世の修行にならないのです。
そのような子を産むには産むだけの理由(前に少し書いたことがありますが)が親にはあるのですから、どれだけこの世で、その子を産んで育てるのに苦労をしようと、それはそのような苦労をすることにより、その親も子も心が成長するわけですから、その親子はそのような体験をしないといけないのです。
それをさけてしまっては、まったくこの世の修行にならないのです。
本当に困ったものです。このような出生前診断など禁止すればいいのですが、そうもいかないでしょう。そうであるならば、せめてこのブログを読んでいる女性の皆さんは、これから子供を産むことがあるのでしたら、こんなことはやらないことです。結婚して子供ができれば、天の授かりものとして、妊娠したことを素直に喜んで「生まれてくる子は男の子かな、それとも女の子かな」と子供ができたことに感謝して、楽しみに待てばいいのです。
それが自然で一番いいのです。
最近は医学に関しても、あまりに不自然なことをしすぎています。いろいろいいたいことはありますが、あまりいってしまっても、まだ多くの人は法を理解していません。すると当然反発されます。あまり反発の心を強くもたれてしまうと、それが正しいことだと後で分かっても、なかなか受け入れるのに時間がかかります。やはり、時間をかけていわなければいけないことは、時間をかけないといけないのです。
もう一つだけ医学に関していっておきますが、臓器移植など今盛んにいわれます。この臓器移植など本当はしてはいけないのです。(このように書けば多くの人は反発します。だから時間をかないといけないのですが)
この臓器移植は、この世からだけしか見ていないからです。
「このような体では長く生きられない」「このような体ではかわいそう」と、この世の寿命を延ばすこととか、こういう体ではこの子がこの世を生きていくうえで不自由だから、というこの世から見た理由だけで、そのように多くの人がいっているのです。
しかし、そのような体でその子が生まれてくるには、生まれてくるだけの理由があるのです。(親の問題や自分の問題)
人は皆百歳まで生きれば幸せで、五歳や十歳で死ぬのは不幸と多くの人は思いますが、一概にそれはいえないのです。いくら百歳まで生きても、ずっと寝たきりであるならば、その人は幸せな人生であったといえるのでしょうか?
現在の人は、何でもかんでも長く生きればそれが幸せと思っている人も多いのですが、それはあくまでこの世だけの意見であり、人はこの世に生まれてくる時、様々なこの世での修行方法を選んで生まれてきているのです。
ある人は、どんなことがあっても百まで生きる、と決めて生まれてきた人もいれば(こういう人は百まで寝たきりで生活していても、それは自分の使命を果たしたことになります)ある人は十歳までこの世で修行し、あとはあの世に帰り、あの世で修行すると決めてきた人もいます。また、自分の親があまりに生活が不調和であれば、それに気づかせるため自分は早く死のうと決めてきた人もあるのです。(そのような人たちは、早く死ぬことで自分の使命を果たすことになります)
障害を持って生まれてきた子が、仮に十歳で死ぬことになっても、それはその子の使命(どうしても助けられない障害を持って生まれてきた子はですが)を果たすことになり、その十歳で死ななければならない子に、臓器移植などして、この世の寿命を延ばせば、逆にその子の修行の妨げとなるのです。(ちょっと考えてみてください、人の臓器を移植してまでこの世で生きるということになりますと、人の体を犠牲にして自分が生きるということになります。倫理上でも少しそれはおかしいのではないでしょうか)
人の臓器を自分に移植してまで、この世で生きていてはいけないのです。(まして脳死移植などもってのほかです。またその理由は書きます)
人はいろいろな修行の方法を決めてこの世に生まれてきます。この世に長くいることも勉強なら、あの世に早く帰ることも勉強なのです。
どれだけ苦労しても、この世でやらなければいけないことはやらなければいけないし、また、どれだけこの世で、その人と一緒にいたいと思っても、早く別れなければいけないなら、早く別れなければいけないのです。
この世の修行はそんなに簡単でも単純でもありません。非常に複雑で難解なのです。だから心の修行になるのです。



人目の訪問者です。
