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5月 03 2013

続、起きている現象の意味

11:08 AM ブログ

今日は憲法記念日ですが、憲法改正が最近は頻繁にいわれるようになりました。安倍総理の発言を、時代錯誤といわれる人がいますが、そのようにいっている人が、時代錯誤にならないよう気をつけないといけません。どちらにしても、もう憲法改正の流れは止められないでしょう。

時代はこれからドンドン変わっていきます。

時代が変わるといえば、昨日の続きですが、今この辺りで私の噂がドンドン拡がっています。(昨日もアスナル金山で何かやっていたようで、多くの人が集まっていましたが、私の方をジロジロ見る人が何人もいました)

ということは、神を信じるようになる人、仏の存在(釈尊だけでなく高橋先生や園頭先生、キリストやモーゼなどすべて仏と呼ばれる存在です)を知るようになる人、あの世の存在や人の輪廻転生を信じるようになる人など、たくさん出てくるということになります。

こういうことを知るのも法のうちですから、そうであるならば、知らず知らずのうちに法が拡がっているということになります。

そうすると名古屋は、日本で一番法が知れ渡っているところということになり、奇跡も起きやすくなるということです。(起きてますけどね、すでに。日に何度もしている救急車のサイレンなど、その奇跡の一つです。〔最近は減りましたけど、それでもまだちょこちょこ聞こえてきます〕何か現象が起きているから、あれだけサイレンの音が聞こえてくるのです)

これだけ現象が、この辺りに起きているということは、やはり多くの人が法を知り始めた証拠でもありますし、そういう意味では、この辺りの人の心のレベルはぐっと上がっている人が多いと思います。(このような現象、迷惑かもしれませんが、心の成長はかなり早いのです。何せ命がけですからね。ほとんど強制的ですけど。先ほどもいいましたが、もう時代が変わっているのです。考え方を変えるしかないのです)

しかし、法が拡がり始めると必ず悪魔が邪魔をします。悪魔は私が邪魔で仕方がないのです。

それはそうでしょう、私さえいなければ悪魔の存在など、ほとんどの人が信じなかったのであるし、そうなれば当然、神の存在も光の天使の存在も、あの世の存在も信じなかったのであるのですから、悪魔は好き放題やれたわけです。しかし、そういう存在を多くの人が認識してしまうと(いくら普通の人に悪魔の姿は観えないとはいえ)悪魔は自分の正体が何時ばれるのか不安で仕方なくなります。おのずとやることも制限されるようになるのです。(悪魔は正体がばれるのを一番嫌がります。あのどこかのダメ弟子が、自分たちの居場所がばれそうになった途端、嫌がらせのコメントを止めたのがいい例です。陰でコソコソやるからあの連中は強いのです。多くの人の前で堂々とはできないのです)

昨日も白鳥公園にいくと、私にやたら嫌がらせした奴がいましたが(私の方を見て、つばを吐きたくっていました。私のことを知っていたようです)当然そいつを祈りましたが、祈りながらそいつの顔を見ていると、その顔が一瞬キツネに変わったのです。すぐ普通の顔に戻りましたが、何かに憑かれた人を祈ったりしていると、一瞬ではありましたが、その憑いているものが正体を現わす時があるんですね、驚きました。

しかし、高橋先生のご著書の「悪霊」にも書かれてありますが、そんなものに憑かれていると、自分の心だけでなく身体にまで支障をきたすようになります。心のあり方だけは間違えないようにしたいものです。

と、このようなことを少し前に書けば、ほとんどの人は頭から信じなかったわけです。ところが現在は(少なくとも私のことを知った人は)頭からそのようなことを否定するということはないわけです。すぐに信じないまでも、そのようなこともあるのかな、という疑問を持つわけです。結構です、結構です、それで。そんなに一変に唯物無神論だった人が、唯心有神論に変わるわけありません。少しでも疑問に持っていただけるなら、それで十分です。そのように思うだけでもずいぶん(心的には)進歩しているのですから。

こういうことを書くから、よけい悪魔は気が気でないのです。(自分たちの存在が段々ばれていくからです)だから、前の会社の連中など(また、いるんですよ、こいつ明らかに憑かれてるな、という奴が)必死にこのブログを書くのを邪魔するわけです。

とにかくおかしなもの(地獄霊や動物霊)に憑かれてしまうと、もう私のことが邪魔で邪魔で仕方なくなります。(実際、そのような連中は私のことが邪魔で仕方がないのですから)少しのことが気に食わなくて仕方なくなるのです。だから、何かにつけて私の邪魔をし嫌がらせするのです。あいつの態度が気に食わない、書いていることが気に食わない、というように、そのように悪魔たちにコントロールされるわけです。

しかしご本人はそれに気づいていないのですが、それを気づいていようがいまいが、悪魔にコントロールされていようが、自分からやっていようが関係ありません。本物の神の使いにそのようなことをすれば、そのようなことをした人は、後で大変な責任をとらされることになるのです。

それは、園頭先生の悪口をいっただけで、人がバタバタ死んだということでも、その事実が分かります。(これは釈尊の悪口であろうとキリストの悪口であろうと同じです。疑う人は自分でやってみればいいのです。半年一年もそんなことを続ければ、必ず何かよくないことが起きてきます。それでも悪口を止めなければその人は死ぬことになります)

死ぬというと恐ろしいのですが、要は、あの世に引き上げられるということです。絶対にやってはならないことを続けていれば、もう、この世の修行をさせておけないということで、天上界の光の天使たちがその人の魂を、あの世実在界に引き取ってしまうのです。

そのように引き取られた魂は、そのやってしまったことが(如来の悪口)どれだけ悪いことかをいやというほど反省させられます。(地獄でですけどね)しかし、光の天使たちが引き取った魂は厳しい修行はさせられますが、しっかり反省されたその後は、また心の成長ができる場所を与えられ、心の勉強をしていくことになるのです。(よい例が、釈尊を殺そうとしたダイバー・ダッタが、今回は高橋先生の義理の弟として肉体を持ち、今生の高橋先生の悟ることを手助けされた、ということでもその事実が分かります)

しかし、これとは別に地獄霊に憑かれたまま死んだ人などは、自力で自分の間違った心を反省するまで地獄で苦しみ、反省したその後も、心の成長がよくできる場所を与えられることなく、また厳しい場所から修行を始めないといけなくなるのです。

同じ死ぬにしても、その人の心のあり方(光の天使にかかわるか、地獄霊にかかわるか)でずいぶん違うということです。

しかし、如来の悪口をいっただけで死ぬ人が続出したということは、それだけ如来とは偉大な存在である、ということです。だから、如来を悪く思うことだけでももってのほかなのです。偉大な方は、尊敬の念を持って接し、思うことさえ悪く思ってはならないということです。

その人が偉大か、そうでないかは、その人に起きている現象、また、その人によくないことをした時に起きる現象で分かります。(園頭先生がよい例です。肉体を持っていられた時は次々に癒しの奇跡を行われ、亡くなられた後も、悪口をいった人に次々に不幸が起きたのです)

ゆめゆめ間違いがないようにしたいものです。

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