8月 16 2010
愛の心③
深い愛をキリストに感じていたマリアは、平然としているキリストの苦しみを一人見抜いていました。マリアはキリストの苦しみが、どこからきているのか(十字架にかからなければならない)は分かりませんでしたが、キリストの苦しんでいる心を思うと、いてもたってもいられなくなり、少しでもキリストの心を癒したいと、高価な香油を買いキリストの下に走ったのです。
この時キリストは、自分の苦しみのことを周りの誰にも伝えておりませんでした。しかし、愛する男の苦しみを、その男が何も言わなくても感じるのが、その男を愛する女の心でしょう。キリストの心の苦しみを思うと、マリアはジッとしてはいられなかったのです。
そのマリアの心をすべて知っていられたキリストは、マリアの愛の行為をすべて受けられます。この時キリストは、このマリアの行為によりずいぶん癒されたことでしょう。この後、受けなければならない十字架の苦しみを、マリアは大いに癒したのです。
キリストは人の心の中はもちろんのこと、その人の現在、過去、未来の三世を一瞬で見通す力をもたれた方でした。そのような偉大な方が、自分の罪を免れたいがためだけに、わざわざ高い香油を買い、自分の下に許しを請いに来た者の行為など見抜けないはずがありません。
もしマリアがそのような思いでキリストの下に来ていたら、弟子たちが言う前に「その香油を金に買え貧しい人々に施せ」とキリストは言われたでしょう。キリストは気性の激しい方でした。そんな小さな考えで食事中のキリストの下にマリアが来ていたら「私たちの食事の邪魔をするな」と叱りつけられていたでしょう。
しかし、マリアは一人キリストの苦しみを知って、キリストが食事中であろうと少しでもキリストの苦しみを癒したいと、キリストの足に香油を塗り自分の髪でそれを拭いたのです。マリアの流した涙はキリストの苦しみをおもんばかってのものでした。キリストにお金を寄付したり、食べ物を寄付したりした人は大勢いたと思いますが、ではキリストの心を癒した人が一人でもいたのでしょうか。聖書を見る限りでは、それはマリア一人だけではなかったかと思います。
こういう無償の愛の行為を女からされて、そのような行為をしてくれた女を好きにならない男はいないでしょう。たとえキリストといえども例外ではなかったと思います。またキリストほど愛深い方もおられませんので、当然、キリストもこのマリアという女を愛されたと思います。
マリアはキリストが十字架にかかったと知ったときどうしたのでしょう。十字架にかかっているキリストを見に行ったのでしょうか。私はいってはいないと思います。心根の優しいマリアは、愛する人が十字架にかかっている姿を、とても見れなかったのではないでしょうか。そしてキリストが十字架にかかったことを知って、一人泣いていたのではないでしょうか。その後のマリアのことが、聖書には書かれていませんので分かりませんが、キリストのことを一人思い、生きていったのではないかと思います。
キリストは二千年前にイスラエルに出られたときは一人で法を説かれました。しかし、今度、生まれ変わられるときは、このマリアも一緒に生まれて、マリアを娶って夫婦として法を説かれてはどうでしょう。そうすればキリストの説かれる愛も、より深く人々に伝わるのではないでしょうか。
私がキリストのことを、あれこれ言うのも非常に恐れ多いことですが、今、アメリカのシカゴが銃規制をして死亡事件が激減したとのことです。
そんなシカゴを、アメリカ政府が銃の規制は違憲であると訴えて、法定で争っているようですが、現在のアメリカは銃の乱射事件が多発して頭を痛めているのに、アメリカ政府のやっている法廷闘争はおかしなことといわざるをえません。(シカゴの銃規制は違憲との判断が下ったようですが)
つい二~三日前にもニューヨークで、銃の乱射事件があったとニュースでやっていました。しかもその銃乱射事件があったところは、結婚パーティーが開かれていたところだったそうです。人生で最高の幸福の場が、最悪の場に変わってしまったのです。こういうことが多発しているのに、銃の規制は違憲とはどういうことでしょう?シカゴでは銃規制を行うことにより、死亡事件が激減しているのです。アメリカ政府は何か銃規制をしてはいけない理由でもあるのでしょうか?なぜ憲法改正をしないのでしょう。
あまり深くは追求しませんが、アメリカの憲法は人のための憲法なのか、憲法のための人なのかよく分かりません。
しかし、どれだけアメリカ政府が邪魔をしても、これからシカゴからカナダにかけての五大湖周辺は、心ある人がたくさんでて治安はよくなり浄化されていくことになります。
これより百五十年後、そこにイエス・キリストが生まれることになっているからです。



人目の訪問者です。
