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5月 25 2013

愛の足りなさ

11:09 AM ブログ

全日本の柔道連盟の問題が今ずいぶん話題になっています。

暴力指導に助成金の不正使用、今度はセクハラですか。残念ですね、私は小さい時「柔道一直線」を観ていた世代なので、わりと柔道には興味があったんですが。(特別柔道だけではなく剣道や空手のような武道には昔から興味はありますけどね)

もちろん、行き過ぎた暴力や不正使用、あるいは金メダリストの強姦事件などは徹底的に正さなければいけませんが、セクハラというのは、どこからがセクハラで、どこまでがシャレの範囲なのかよく分かりません。

それとも、少しでも女性の体に男が触れればセクハラになるのでしょうか?(例えば肩を触ったり腕をつかんだりしただけでも)

それも少し世知辛い、愛想のない態度であるともいえるのではないでしょうか。(こう書くことがすでにセクハラですかね)

昔はよく女の人のお尻など触って、ギャーギャーいわれている爺さんがいましたが、今はとてもそんなことできませんね。(笑)

しかし、前にも書きましたが、男は女の体を触わることにより、神のエネルギーをもらうことになっています。だから、どうしても女の体を触るということを男はしてしまうのです。

少し前にNHKのアナウンサーでしたか、酔っ払って電車の中で女性の体を触って捕まった人がいましたが、この人などは奥さんも子供もいてNHKのアナウンサーという地位も名誉もあったのに、こんなことをしてしまったのです。この人はなぜ、こんなことをしてしまったのでしょうか?

酒のせいでしょうか?それともこの人の人柄でしょうか?(特別スケベであったとか〔笑〕)それとも、その触った女性が自分の好みであったからでしょうか?

私はこの人を全然知りません。(テレビで何度か観たくらいです)ですから、これから書くことは私の勝手な推測です。それをご了承ください。

多分この人がこんなことをしたのは、奥さんの愛が足りなかったからではないかと思われます。だから、こんな行為をしてしまったのでしょう。

何で奥さんなのかと、この人がした痴漢行為が奥さんのせいのわけないであろう、と多くの人は思うかもしれませんがそうではありません。

もし、この人の奥さんがこの人に愛をたくさん出しているのであれば、いくら酔ったからとはいえ、よその女性の体を、このような地位も名誉もある人が、電車内で触るなど考えられないからです。

その奥さんが愛を出すとは、普段の身の回りの世話だけではありません。一番大事なことは自分の体をこの人(夫)に自由に触らせていたかどうかということなのです。

結婚をすれば、その体は自分のものであって自分のものでなくなる(妻の体は夫のものであり、夫の体は妻のものである)と前に書きましたが、その夫のものである自分の体を、奥さんはこの人の自由にさせていたのでしょうか?

もし自由にさせていれば、どれだけ酔っ払っても(その人は奥さんの体で満足していますので)よその女に手を出すことはありません。しかし、自由にさせていなければ、このような酔っ払った弾みで、他の女性に手を出すということは十分考えられるのです。神のエネルギーが足りていないからです。(奥さんからもらえませんので)

別に痴漢行為やセクハラを容認しているわけではありませんが、もう少し女性が愛を出していただければ、このような行為もグッと減るということを私はいいたいだけです。

特別女性の愛だけではありませんが、愛がない人が多いから人に平気で嫌がらせなどできるのであって、愛がある人が多ければ、私がどれだけ祈ろうと恐ろしい現象が現れるわけがないのです。

私は人が不幸になるように祈っているわけではないからです。また、そんな祈りなどすれば(祈りは循環していますので)その祈りが自分に返ってきて自分もやられてしまいます。

私は、そのような人に対する愛がない人が多いと思ったから祈ったのです。「神よどうぞそのような人たちを正しくお導きください」と。そうしたら、恐ろしい現象がいろいろ現れたのです。それは、そのような愛のない人が多かったから、そのような現象が現れたのであり、愛を持っている人が多いのであれば、逆の現象が現れたはずです。(例えば、よい道がついてくるとか、よいことが起きるとかです。私は正しくお導きください、と祈っているだけだからです)

これはこの辺りの人だけではありません。全国的に見てもそうです。私が祈って大雨や地震が起きたのは、やはり愛がない人が多かったからでしょう。だから、そんな現象が現れたのです。(私は同じように祈っているだけだからです。もし愛ある人が多ければ、やはり逆の現象が全国的にも現れたはずです。例えば、日照りの地域に雨が降るとか、大雨で被害が出ているところの雨が早くやむとかです)

しかし、全国的にも異常気象が現れたということは(それは現在も続いています。昨日も気温が三十五度を超えたところがあったようですが、まだ五月です)愛ある人が少ない証拠でしょう。

他の地域でこのブログを読んでいる人も、もし私が近くにいれば、この辺りの人と同じようなことをされるのではないでしょうか。それは、このブログをただで平気で見ているということでも、その事実が分かります。

「私はこの法を説いて生活しているのです。ですからお気持ちだけで結構ですから寄付してください」と、このブログ上で何度も頼んでいるのです。もし、愛ある人が多ければ、何度もこのブログを読んでいれば、そう書いている人のことも考えて少しくらいは寄付してくれるはずです。ところが毎日のようにこのブログを読んでいて、自分が参考になったこともあるはずなのに、一銭もお金を払おうとしないのです。

これは愛のない証拠であり、人のことなど知らないという態度がアリアリと出ています。このブログを読んでいる人は、このような人がほとんどなのですから、それは私が祈っていいこと起きてくるわけありません。

しかし、愛は世の中を救うだけではなく、自分自身をも救うのです。(それは私が祈り出る現象でお分かりいただけるのではないでしょうか。愛をその人が持っているなら、私が祈って決してその人が不幸になるということはないのです)

せっかく何かの縁でこのブログを読んだのです。せめて、このブログを読んでいる人くらいは、もう少し愛を出されたらどうでしょうか。

そのような少しずつの愛が、大きな愛となり、世を救うことになるからです。

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