5月 27 2013
人としての尊厳
しかし、慰安婦問題はとどまるところを知りませんね、大阪市長さんも忙しくて仕方ないでしょう。
それにしても高だか一市長が、少し慰安婦問題を口にしただけでこの騒ぎです。ちょっと異常なのではないでしょうか。(国内のみならず、米、中、韓が、こぞってその発言を潰しにかかるとは、どう考えても異常です)
女性の尊厳を傷つけている、女性の尊厳を傷つけている、といわれますが、では現在の性の乱れは、その女性の尊厳を傷つけていないのでしょうか?戦時中のことをえらそうにいうほど、現代社会の性のあり方はしっかりしているのでしょうか?戦時中以上に、現在の性が乱れているようでは話になりません。女性の尊厳をいう前に、人としての尊厳をもう少し考えるべきではないでしょうか。
その、女性の尊厳を傷つけているといっている社会、共産主義者の皆さん、ではその人たちは、性というものをどのように考えているのでしょうか?
そのような人たちが子供たちに性教育と称して「性交渉を行う時はコンドームをつけましょう」などと教えていますが、それは人としての尊厳を損なわせることにならないのでしょうか?人を好きになれば自由にしてもよい、この程度のことしか教えられないのであれば、そんな人たちこそ人としての尊厳を貶めています。
大阪市長に女性の尊厳を傷つけているなどとは、とてもいう資格はないでしょう。
性とは、そんなに軽々しくするものではないからです。性は神から、夫婦となるものだけに許された神聖な行為だからです。
私は園頭先生から性の正しいあり方として次のように教えられました。
性を行うには次の四つの要素が揃っていなければならない。
一、目的(目的が正しいこと)
性の結合を行う目的は何か。夫婦愛を完成し、お互いの愛情を確かめ合うためなのか、それとも単なる性欲の満足のためなのか、すべての行為は目的が正しくなければならない。
二、人(人の正しさを得ること)
その人は正しい相手であるのか。なすべき相手ではないのではないのか。性の結合が自分の夫であり妻である場合は罪の意識は起こらず、むしろ好ましい感情が起こるが、なすべき相手ではない場合、罪の意識が伴ってくる。
三、時(正しい時を選ぶこと)
なすべき時が大事である。いかに正しい相手であるとはいえ、人が働いている昼間から行ったのでは善とはいわれない。隣の家を真夜中に訪問したのでは善とはいわれない。すべての行為には、それをしてよい時と悪い時がある。
四、所(所の正しさを得ること)
行為には場所が必要である。なすべき場所で行うのは善いが、なすべきでない場所で行ったのでは善いとはいわれない。
これを善の四要素といい、この四つが揃って初めて性は正しい行為となるのです。
なすべき正しい相手である夫と妻が、正しい目的をもって、なすべき時と所で行う性行為は「善」となりますが、このどれか一つでも抜けているようなら、その性行為は「悪」となります。
この基準を知っているのであれば、ちょっと好きな者同士がすぐ性交渉を行うなど、単に欲望のはけ口でしかなく「悪」なのであって、自分の体をどう使おうが自分の自由などといって、援助交際などしている学生が、いかに悪いことをしているかお分かりいただけると思います。
性とは、神から許された神聖な行為ではありますが、しかしそれは、正しい目的を持って、正しい相手と、正しい時と所を得て行う時に、神聖な行為となるのであって、それ以外は不純な悪の行為でしかないのです。(このようなことを考えますと、最近の皆さんずいぶん悪を犯しています)
性を軽々しく扱っている現代の状況こそ、人の尊厳を貶めています。(今のような性の乱れた状況では、人も動物とかわらなくなります。しかし、私たち人間と動物は違います。私たち人間は、そのような動物たちすべてを支配し善導する、神の心を表す万物の霊長としてつくられました。人間と動物を混同してはならないのです)
女性の尊厳、女性の尊厳と声高にいわれますが、まずその前に、人としての尊厳を持つべきではないでしょうか。



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