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6月 02 2013

夫婦別姓

11:00 AM ブログ

そういえば、この前ニュースでもやっていましたが、夫婦別姓の裁判をやっていたようですね。(「夫婦別姓を認めない民法規定は憲法違反」と訴えた裁判でしたが、原告の敗訴に終わりました)

この夫婦別姓はよく議論に上るのですが、しかしこれは議論するまでもないでしょう。前にも書きましたが、夫婦別姓がいいのか悪いのかなど、すでにキリストが教えていられるからです。

キリストは次のようにいわれています。

「開闢(かいびゃく)の初めより『人を男と女につくりたまえり』『かかるゆえに人はその父母を離れて、二人のもの一体となるべし』さればはや二人にはあらず、一体なり。これゆえに神の合わせたもうもの、人これ離すべからず」

キリストは、人類が生まれた時から、神は人を男と女とにつくられた。しかし、その男と女が縁あって出会い夫婦となるなら、それはもう別々の男と女ではなく、一体なのである。そのような不思議な縁(それがすなわち神の合わせたもうもの)により出会い夫婦一体となったのなら、自分たちの都合などで勝手に別れてはならない、と教えていられるのです。

キリストが夫婦は一体と教えていられるのに、姓が別々では一体となりえません。したがって夫婦別姓は明らかにおかしいということになります。

キリストは愛を説かれました。姓が別々では仕事がしにくいだの、何かの時に面倒だの、あまりにも夫(または妻)に愛のない発言なのではないでしょうか。その程度のことより、愛する人と夫婦となって、同じ姓になれた喜びの方がはるかに勝るはずですし、また、どんな困難なことがあろうと、縁があって夫婦となったのですから、二人で乗り越えていかなければ、愛ある夫婦とはいえないのではないでしょうか。

それが、そんな小さなことで悩む方がおかしいですし、夫(または妻)との愛があるのであれば、その程度のことまったく苦にならず乗り越えていけるはずです。

最近の世論調査では「同じ姓を名乗るべき」と「婚姻前の姓を名乗るようにしてもかまわない」が拮抗し、若い人にいくほど夫婦別姓を、肯定的に捉えている傾向があるそうですが、それは教育を押しつけなどといい、自由平等、男女同権などを教え続けた共産主義(日教組)教育の弊害なのです。

そのような教育を受け続けていたため、若い人たちは夫婦の価値、夫婦の愛が分からなくなっているのです。(だから最近は簡単に離婚するのです)

共産主義教育に愛などありません。そこには自由、平等、同権などという居心地のいい言葉に隠された闘争しかないのです。(各自が自由、平等、同権をいいあったら、その人たちはまとまるでしょうか?絶対にまとまりません。そのような場所は、自分の主張だけしあう闘争の場としかならないのです。民主党がいい例です)

共産主義者は常に闘争に明け暮れるのです。そこには愛も調和もないのです。自由、平等、同権を各自がいっていては、絶対調和しないからです。だから私は、共産主義はもっとも神の心から遠い思想であるといっているのです。(神の思想は愛、慈悲、調和だからです)

このような問題は民主主義うんぬんの話ではないのです。何が正しく何が正しくないのか、それをしっかり分からないといけないのです。

世界がやっているから日本もそうしないといけない、ではありません。世界がやっているよいことはマネをすればよいですが、よくないことまでマネする必要はないのです。(むしろ夫婦別姓など勧めている、キリスト教国家に「キリストの教えをもっとよく勉強しろ」といってやればいいのです。〔笑〕)

私たちが参考にしなければいけないのは、キリストの言葉であり、釈尊の言葉なのです。(それが神の心だからです。すなわち一番正しいことだからです)決して世界ではありません。

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