6月 03 2013
夫婦のあり方
キリストは夫婦のあり方を次のようにもいわれています。
「妻たる者よ、その夫に服(したが)へ、これ主にある者のなすべき事なり。
夫たる者よ、その妻を愛せよ、苦(にが)きをもて之をあしらふな」(コロサイ書)
妻が夫に従うことは、キリストを信じ、キリストに従う者と同じで、キリストは神を敬うことを教え、そうして神の道を教えられたのですから、妻が夫に従うということは、それがそのまま神を信じ、神の道を行うということであり、神の心を表すことになるのです。
夫もまた、妻を愛することが、そのまま神を信じ神を愛することになるのです。特に夫は、妻の心を悩ませたり、苦しみを与えたりしないようにしなければならないのです。
そうして、次のようにもいわれています。
「夫はその分を妻に尽くし、妻もまた夫に然(しか)すべし。妻は己の実を支配する権をもたず、これをもつ者は夫なり。
かくの如く、夫も己が身を支配する権をもたず、之をもつものは妻なり」(コリント前書)
夫は、夫のなすべき分を尽くすということが、同時に妻を愛するということになるのであり、妻はまた、妻の与えられた役割を十分に果たすことが、夫を愛することになるのです。
夫が夫の役割を放棄することは、それが妻を愛さないということになり、妻が妻の役割を十分に果たさないことは、夫を愛していないということになるのです。妻は妻らしくあることであり、夫は夫らしくあることが、同時に神を愛するということになるのです。
「妻は己の身を支配する権をもたず、これをもつ者は夫なり」
ということは、妻は、妻自身の身体を自分のものだと思い、夫を無視して自分の気ままにふるまってはならないのであり、妻の身体をどのように支配し動かすか、その権利をもっているのは夫なのですから、妻は自分の身体を動かす時に、夫の心にそうように、夫の心を満足させるように動かさなければならないのです。妻自身の行動が、夫の心を苦しめるようであってはならないのです。
このようにキリストはいわれているわけですが、キリストの言葉を実践していられるご夫婦は、現在の日本に一体どれくらいいるのでしょうか?
よその家庭のことなど分かりませんので、どれくらいいるかは知りませんが、男女平等、同権などといっていては、このようなキリストの教えは百年たっても理解できないでしょう。ですから、そんなことをいう人が多ければ多いほど、キリストの教えのような夫婦は少ないのではないかと思われます。
妻が夫に従うということは、キリストの弟子たちがキリストに従うのと同じで、それは神の道を行うことであり、夫は妻を、妻は夫を愛することが、同時に神を愛することであり、夫は夫としての、妻は妻としての、役割を果たせとキリストはいわれているのです。そうして夫婦になれば、自分の身体は自分の身体であって、自分の身体ではないのですから、妻は夫を無視し、勝手気ままにふるまうなともいわれているのです。(もちろんこれは夫も同様ですが)
残念ですがキリストは、男女平等、同権などとは一言もいわれておりません。
世の中多くの家庭があり、それぞれ家庭内の事情があるのですから、妻が専業主婦でないといけないとか、絶対妻が主婦業をしなければいけないとかはいいませんが、一番大事なことは、家庭では、夫を一として夫に従えるかということです。これを無視して、妻が先に立ってあれこれ夫に指示を出すと、その家庭はもめるということです。まず夫を一としなければいけない、そこから家庭の調和は始まります。
キリストの教えに従うか、それとも昨今いわれる自由、平等、男女平等、同権という思想に従うかは(そうなると誰が主か分かりません。必然的に家庭内はまとまらないということになります)自分たちの勝手ですが、ただ、キリストの教えはもう二千年も言い伝えられています。
それが正しい教えだから二千年も言い伝えられているのではないでしょうか。(それとも高だかここ数十年の思想が正しいと思われますか?)
追伸…それにしても、意味深なはずしかたしたり、バチバチ当てにきたり、まったくいい読みしてます。(九割がた当てられてます)見た目そんな風に見えないのにねぇ…これだから女は怖い。(笑)



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