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6月 16 2013

本物の教えと偽の教えの違い

11:06 AM ブログ

私は何度か、高橋先生の本を読んでいられる方から電話をもらい、いろいろ質問を受けたことがあるのですが、そのような人の中で「高橋先生の教えと、他の人の教えの違いがよく分からなくなる時があるのですが、どうしたらいいですか」という質問をされた人がいました。

私はその時次のように答えました。

「それはまず高橋先生の本を百回ほど読んでください」

テレビで、何とか鑑定団などという番組をやっていて、よくテレビに出てくる鑑定士がいますが、あのような物の鑑定士の人たちは、最初は本物の物ばかりを徹底的に見るそうです。そうして本物をよく頭に入れてから、初めて偽物を見るそうです。そうせずに、最初から本物と偽物の両方を見ていると、本物か偽物かがゴッチャになり、見分けがつかなくなるからです。

法もこれと同じで、まず、正しい教えをしっかり知らないといけません。(高橋先生か園頭先生のご著書をよく読むということです)それから偽の教えを知らないと、他の人も高橋先生と同じようなことをいっている部分もあるので、そのような箇所に惑わされ、どちらが正しい教えか分からなくなるからです。

これは、高橋先生の弟子たちさえ、そのような(見分けがつかない)人が多いのです。(つまり、しっかり高橋先生の教えを理解している人が少ないということです)高橋先生に、直接教えを受けていない人はなおさらです。

それこそ、暗記するくらい高橋先生の本を読まれてから、他の人のいうことを聞かれることです。そうしないと間違えてしまうからです。(私も百回以上は高橋先生と園頭先生の本を読んでいると思います)

そうして本物の教えを完全に自分が知れば、もう迷うことなく他の人のいっていることの、どこがおかしいかはすぐに分かります。そうなって始めて、いろいろ法の実践ができるようになり、奇跡も起きだすのです。

本物の教えと偽の教えの決定的な違いは、この“奇跡”という部分です。これが違うのです。つまり偽の教えの奇跡はなかなか起きませんが(全然起きないということではありません。偽の教えも、すべて間違ったことをいっているわけではありません。正しい部分もありますので、その正しい部分を実践すれば、それなりの奇跡は起きます。それと偽の教えは地獄霊が奇跡的なことを起こすこともあります。このような理由から、偽の教えでも奇跡が起きることがあるのです。だから、ますます本物と偽物の教えの区別がつかなくなるのです)本物の教えはそれを実践すれば、次々に奇跡が起きるということです。(ですから、本物の教えを知っていながら、奇跡がなかなか起きないという人は、実践が足りないのです)

しかし、本物の教えと偽の教えの違いはもちろんあります。一つ挙げてみますが、例えば、本物の教えは絶対に相手の不幸を祈ることはないということです。

これを多くの人は勘違いしているのです。つまり私が祈ると、次々と不幸な出来事が起きるように見えますので、私の祈りは人を呪っている、と思っている人も多いのではないでしょうか?(特にこの辺りの人は)

これが間違いなのです。とんでもありません。そんな祈りなどするわけがない(できるわけがない)のです。なぜなら、釈尊がいわれた「善因善果・悪因悪果」「因果応報」は神理だからです。そんな祈りなどすれば、自分自身もその呪いにやられてしまうからです。

本物の教えを知る人はそのことを知っています。だから、人を呪うことなど絶対しないのです。

ではなぜ私が祈ると、呪ったような結果が出てくるのか?

これが正しい導き、天の導き、というものだからです。

私が祈り、その人にどのような結果が出ても、それはその人の心にとってはプラスなのです。(その人の肉体的にはマイナスかもしれませんが)

私は一昨年の夏でしたか、あまりに大きな台風が次々に日本に直撃するので(一昨年は大きな台風の被害が続出しました)さすがにこれ以上は、日本に台風を直撃させるのはやめてくださいと、天に祈ったことがあります。

そう祈ったとたん、私の心から『おまえは人の心を救いたいのか、それとも肉体を救いたいのか』という思いが上がってきて、その祈りがきかれないことを知りました。

神は人に、神の心を忘れれば、その忘れた分の気づきを与えられるよう仕組まれています。それを天は法則としてこの世に現すのです。それがこの世の人から見れば不幸なこと(天変地変であったり、事故や病気であったり)に見えるのかもしれませんが、それこそが天の導きであり、そのような体験をすることで、自分の心の成長があるのです。(何も起きなければ、何も気づかないからです。だから私は、その地域に住む人々の心と、そこに起きる災害は関連していますと、何度もいっているのです)

ですから、もし現在の人々の多くが、神の心から遠い心を持っていたとしたら、私が祈ればおかしな現象が現れるのは必然ということになります。

それは今ある人の心が悪いからです。

そのような心を直すまでは、私が祈れば、おかしな現象が現れるということになります。ですから私は、おかしな祈りをしているのでもなんでもなく、この人このままでは、心が成長しないし死ねば地獄行きだなと思うから祈るのであり、それは慈悲の心以外の何ものでもないのです。(だから私には何も起きないのです。むしろ祈って、次々に奇跡が起きるようになってきているのです。それは人に対する慈悲の行いを実践しているからです)

とにかく本物の教えを知り、それを実践すれば次々に奇跡が起きるようになります。

これこそ本物の教えと偽の教えの違いなのです。

追伸…一人大変面白い子がいますね。(面白くない子もいるんですが〔笑〕)その子は法を勉強しないと、あまりよい人生を送れないそうです。他の子はともかく(他の子はともかくって、もちろん他の子もやっていただかねばいけませんが)その子は少し本格的に法の勉強をされたらどうでしょう。(高橋先生の本を百回くらいは読んでもらった方がいいと思います)

あなたはやった方がいいと思いますよ。(もちろん他の子も同じですが、とにかく、この教えは勉強した者が勝ちです)

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