6月 22 2013
檀家制度の悪弊①
台風は九州に上陸する前に勢力を弱め、温帯低気圧に変わったのはよかったんですが、それでも各地、大雨被害や土砂崩れの被害など起きているようです。
皆さん方が、何が起きても自分は関係ない、どんな天罰も持さずと頑張っていられるなら、それも仕方ないでしょう。気が変わるのを待つしかありません。早く気が変わられることを祈っています。(それが心の成長ということになるのですから)
では、檀家制度のことを書きましょう。
園頭先生のご著書「正法と現代宗教」から抜粋します。
<檀家制度と先祖供養-仏壇・墓
かくしてその翌年さらにキリスト教厳禁の令を出し、さらにまた、その翌年1639年、ポルトガル船の来航を厳禁して、徳川幕府は完全な鎖国政策をとることになった。
1640年に来航したポルトガル船は焼却し、宗門改めを制定、寺請、宗旨人別帳を作成させることになり、1642年にはキリシタン大名を追放した。宗門改めによる寺請制度が檀家制度である。
宗門改めによって、日本人は必ずどこかの寺の門徒にならざるを得なくなった。キリシタン摘発のために踏み絵を強行した。踏み絵に応じない者は殺された。
それまで本山と末寺の関係は明らかでなく、地方の寺は僧個人の伝道によって造られたものが多かったが、新制度により、地方の寺は必ずどこかの本山の末寺になることが義務づけられた。檀徒数の多少によって寺格が決められ、それによって僧の袈裟の色も決められた。
宗旨(門)人別帳の記載形式が全国的に統一されるのは1671年(寛文十一年)であるが「宗門改之儀に付御代官公達」という法令が出された。家の中の一人一人について、宗派、生国、年齢、名前、続柄、檀那時名を書きあげ、家ごとにまとめたものを集め、代官は巻末に寺名と一村毎の総人数と男女数の内訳を出し、寺ではこれだけの者を引き受けましたという寺請証文を出した。そしてそれらは全部本山に集められた。
つまり寺が戸籍係をすることになったわけである。すなわち檀家制度とは、信仰によって作られたものではなく、幕府の政策と寺の権力によって作りあげられたものである。このことには特に注目しなければならない。>
園頭先生の「正法と現代宗教」に書かれてあるとおり、檀家制度とは、宗教的発想から起こされたものではなく、なんと幕府の政策と寺の権力から起こされたものであったのです。
驚きの事実ではありませんか?檀家制度に何の宗教的意義もないのです。それを多くの日本人は、宗教的に意義があるかのように勘違いして、何も宗教的に意味もないことを毎日のように行っているのです。(仏壇にお経を上げたり、花やローソクを上げるなどのことです。このようにしていることが信仰であるかのように、現在の多くの日本の人々は思っていますが、実は全然信仰になっていなかったのです。衝撃の事実ですがお年寄りの方々、落胆のあまり寿命を縮めないでください、まだ救われる道はあります)
幕府は寺に、いわゆる戸籍係と門徒を統制させる代償として寺領を与え、寺の経営は檀徒が協力して支持することを命令します。
先祖を大事にするという、儒教による倫理道徳観念が定着するのもこの頃からです。(つまり、それ以前は現在のように、先祖を神様のように思い祈るということはされていなかったのです。これまた衝撃の事実です)
このようにして、信仰の有無にかかわらず、強制的に寺と檀家の関係が決められ、寺の維持は寺領より獲れる米と檀家の負担によってされるのです。こうなると僧たちは、苦労して法を説いて人々を教化しなくても、ただ座ってさえいれば檀家が葬式を頼みに来て、布施をもらってそれでやっていけるのですから、それ以前、あるいは鎌倉期の僧たちにみられるような、求法、弘法の情熱もなくなり、堕落した無気力な僧が出てくるのもまたやむを得ませんでした。
実際に、この檀家制度がつくられた後の僧たちの腐敗はひどかったのです。



人目の訪問者です。
