>>ブログトップへ

9月 01 2010

あるたとえ話

10:28 AM ブログ

今週は女子プロゴルフのトーナメントのゴルフ5レディースが岐阜であります。営業がてら観に行こうと思っています。(あまり営業になっていませんが)

ということで今週はあまりブログも書けませんが、キリストはよくたとえ話をして、そのたとえ話を通して福音を説きました。種まきの話や「心の貧しい人は幸いなり天国はその人のものなり」から始まる、山上の垂訓(さんじょうのすいくん)など有名は話は数ありますが、私もキリストに習って一つたとえ話を書いてみようと思います。

ある場所に、たくさんの食べ物の屋台が集まっている所がありました。多くの人がいろいろな食べ物の屋台を出しています。それを目当てにたくさんの人がその場所に集まっていました。

その多くの屋台の集まっている場所に、一人新参者が入って屋台を始めました。その新参者は非常に話が面白く、多くの人がその新参者の屋台に集まったのですが、集まってきた人たちは、その新参者の話を聞くだけで、屋台の食べ物を食べようとしません。

しかし、その新参者の屋台で売っている食べ物は、おいしくて非常に体にいいものなのです。何とか自分の屋台の食べ物を食べてもらおうと、その新参者はいろいろな話をして、自分の屋台で売っている食べ物は自然食であり、おいしくて栄養満点であるということを説明するのですが、屋台に集まってきた人はその話を聞いているだけで、買って食べようとしません。他の屋台で売ってる食べ物は、中に合成着色料やら保存料など入っていて、体にもよくありませんしあまりうまくもないのですが、そこそこ売れています。

新参の屋台の主人は仕方がないので一~二人の人に、その食べ物を試食してもらったのですが、その試食した人は「すごくおいしくて体も急に元気がでた。不思議だ」と、周りのみんなに話はしてくれるのですが、それを周りの人は「へぇー」と聞いているだけで、誰もその屋台で売っている食べ物を買って食べようとしません。

何日もそのようなことが続きました。不思議なことに買って食べないのに、毎日顔を出す人もいれば、ある人は三日に一度、またある人は一週間に一度と、顔だけは出して新参者の話を聞きに来る人がいます。しかし、その屋台に売っている食べ物は誰も買って食べようとしないのです。

そのうちに、その新参者の屋台は来なくなりました。仕事にならなかったからです。しかし、その新参者の屋台に話を聞きに来ていた人たちは、その新参者の屋台が来なくなっても「あの屋台来なくなったな」と思うだけで、他に食べるものもあるし、特別困ることはありませんでした。

しかし、その人たちは死ぬ間際に気づくことになります、その新参者の屋台に売っていた食べ物が、どれだけ貴重な食べ物であったかということを。それを食べていれば自分自身が飛躍的に成長できたのに、それを食べなかったため、むしろ自分が退化してしまったということを。そして、その食べ物は一生に一度めぐり合えるかどうか、分からないほど貴重な食べ物であったということを。

それを死ぬ間際に気づくのです。しかし、死ぬ間際に気づいてももう遅いのです。その人たちは、この世に生まれてきて飛躍的に成長できるチャンスを失っただけでなく、今度その食べ物にめぐり合うには、たくさんの時間とよほどよい運に恵まれないと、その食べ物を食べることはできないのです。

ある人が海で遭難し、ある無人島に流れつきました。その無人島には不思議なことにおいしい食べ物が山のようにあり、きれいな川が流れていて飲み水もたくさんありました。ところがその無人島に流れついた人が、自分一人では食べ物を食べようとも川のきれいな水を飲もうともしません。誰か人が来たらその人に食べ物を食べさせてもらい、飲み水を飲ませてもらおうと思っています。はたしてこのように思っている人が、この無人島で生きていけるのでしょうか?

上記に書いた二つの文章は、自分自身が積極的に動かないと、よい縁にも恵まれないし、自分の永い輪廻転生の過程で大きな損をしますよ、ということをたとえで書いたものですが、このブログを見ている方に言っておきます。

決してここに書いた人たちのようにはなりませんように。

0コメント

Trackback URI | Comments RSS

コメント記入

Spam Protection by WP-SpamFree


あなたは人目の訪問者です。