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6月 16 2024

神理の恩

いつもなら梅雨真っ最中のはずなのにね。それなのに、そんな時期に雨が降らずに水不足のところがあちこちにあるなど最悪ですね。(今日そんなことをニュースでいっていました)

しかし、雨が降ったら降ったで、もはや10年どころではなく100年に一度などという大雨が降るかもしれない。もう最悪の最悪です。これでは下手に雨乞いも出来ないからです。そんなことをしたら200年に一度の大雨が降るかもしれないからです。

もはや見守るしかありませんね。こうなってしまうとです。もうなにも出来ない。なすがままという状況なんですが、それにもかかわらず、こちらの人たちは相変わらずくだらないことをしてくる人が多い。布施など誰もしようとしない。益々ひどいことが起きてくるでしょうね。これではです。

こうも罰当たりな人が多いとです。少しも神を思わない人が多いとです。ということは神の恐ろしさがいまだ分からない人たちばかりであるということだからです。

しかし、まだ分かりませんかね。神の恐ろしさがです。これほどのことが起こされていてです。本当にもっとひどいことが起きてきても知りませんよ。自分自身にです。(もう起きている人もいるだろうけど)それから後悔しても遅いからです。

しかし、こんなひどい状況に負けず劣らずこちらもひどいことになっていますね。こちらもまだ分からないんですかね。自分たちの罰当たりさがです。

昨日でも0-10でしょう。ほんと草野球かといいたい。もうボロ負け状態だからです。どこかの球団などです。

しかし、最近はこういう負け方が多くありませんか。大量点を取られて負けるなどという試合がです。その前はなんとか元四番が打ってやっと勝ったみたいですが(1点差で)その前も、その前もなんか大量点とか取られていませんでしたっけ? よく覚えていませんが。

だからもうピッチャーに疲れが出てきて、投壊現象を起こし始めたのではないのかといっているのです。この球団はです。

まあ、このチームは最初からロースコアの接戦ばかりしています。だからそのうち投手にバテがきて打たれだすのではないかと書いていましたが、それが予想以上に早くきたのではないでしょうね。

だいたい、このチームはこういう接戦をしているのは今年だけではありません。もう何年も前からそんな試合ばかりです。そりゃピッチャーも疲労がたまるでしょうね。点差がもっとあるならたまらないはずの、そんなよけいなプレッシャー分も含めた必要以上の勤続疲労がです。

それで今年は予想以上にピッチャー陣の疲労が早く出だしたなどということはないでしょうね。これでこのチームがピッチャーまで抑えきれなくなるなら、もはや勝つ見込みはゼロに近くなってしまうからです。いまだに全然打てないからです。(今年5点以上取った試合って何試合ありましたっけ? ほとんどないでしょう)

もはやこちらもです。お先真っ暗です。どこを向いてもそんなところばかりですが、なぜでしょうか? なんでこうも悪いことばかり起きるのでしょうか?

それは神理を無視しているからです。

まだ信じませんか。それをです。しかし、どこかの球団を見てもそれは分かりますよね。この球団は悪いばかりでなくよい時もあったからです。ありましたよね。首位独走をしていた時がです。春先などです。

今年あんなことが起きていたなどいま考えると奇跡としか思えないんですが。こんなひどい調子にまでなっているこのチームが、一時は首位を独走していたなどです。

しかし、実際に首位にいた。では、なんであの時は首位を独走していたのですか? このチームはです。

少し考えれば分かりますよね。このブログを見ている人たちならです。それは私がいつもいっていた四番が打っていたからです。あの四番の(今は元ですが)調子がよかった時は不思議とチームはよく勝っていたのです。

あの時は四番だけでなく、その周りの選手たちもよく打っていたからです。しかし、四番が調子を落とすと同時にチームも調子が悪くなり、周りの選手も打たなくなって(いいところで打てなくなって)勝てなくなり、またいつもの調子に戻っていったのです。

いつもの点が取れないロースコアの、いつも接戦で、勝ってもせいぜい1点差とか、そんなギリギリの試合ばかりが続くいつもの調子にです。

それで勝ったり負けたりが続き全然調子に乗れなくなった。一時首位にまでなったこのチームがです。ということは、それだけの実力があるはずなのにです。しかし、まったくチームの調子が上がらなくなった。あの時以降、四番の調子も戻らなかったからです。それから少しもよくならなかったからです。四番の調子はです。

それで最近はこの四番の調子が上がらないどころか益々悪くなってきた。なにかプロになってはじめて自分のバッティングが分からなくなったとかなんとかいっていましたが、そうなったら今度はチームが大量点まで取られだして投壊現象まで始まった。

唯一このチームの命綱だったピッチャー陣まで壊れだしたのです。四番のバッティングの調子がさらにひどくなったらです。

なんでこんなに一致しているのですか? 四番とこのチームの調子はです。私がいつもいっていたこの四番と、このチームの調子はです。

こういうところに不思議さを感じないといけないのです。なんでこんなことになっているのかとです。このような現象をただの偶然、たまたまですましてしまうと、そのような神の力は分かりません。

神の力がかかっているのです。こういうところにです。

だからこうなっている。それがまだ分からないのかと私はいっているのです。

あの四番もこのままでは本当に引退ですよ。今シーズン終了時点でです。こんなひどい調子ではです。

何度もいいますが、あなたはなんのために名古屋のチームにきたのですか? そうして私のブログを(神理を)読んでいるのでしょう。私が何度もあなたのことを書いているではないですか。それを理解しないといけないのです。自分の本当の使命をです。

ダブル翔はです。真っ先に駆け付け、敵を蹴散らしてもらわないといけないのです。昔はそれをしてくれたからです。だから自分の本当の力も出たからです。あの当時はです。

しかし、今はまったくその力を出していない。こちらの四番も、また今アメリカにいるあの二刀流の選手もです。今年は大したことなさそうですが(あの選手の力からすれば)またそのうちなにかポカが起きるでしょうね。あの選手もあの選手で、あちらでいつまでもボサッとしているからです。こちらではこれほどのことが起きているのにです。

そのようなことにまったく気づこうとしない。だから分かるまでいいますが、あなたたちは自分の本当の使命を果たしていないからそうなるのです。いい加減理解しませんか。私のいうことをです。私は正しいことをいっているから、これほど奇跡も起きているからです。

私に心からの布施が出来ないなら、元四番も、どこかの球団もよい成績は上げられないでしょう。元四番もどこかの球団も一蓮托生であるからです。同じ神理に恩があるからです。

だから成績も同じになる。同じ神理の恩に報いようとしないからです。

いい加減なことを書いているのなら、こうもその通りのことが起きてはきません。

このブログを読んでいる人たちは神理に感謝しませんか。それをいつまでも頑なにしようとしないから(いつまでも頑なに神理の恩に報いようとしないから)これほどの不幸も起きているからです。

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6月 15 2024

すさまじい災いと自分たちの態度

昨日は暑かったですね。まだ六月だというのに最高気温が35度超えの猛暑日のところまであったとか。(名古屋も33.3度でした)このまま本格的な夏に突入していくんではないですか。こんな調子ではです。

そうかと思えば、沖縄は(10年ではなく)100年に一度の大雨が降ったとか。ほんと極端さがどんどん増していますね。

一体、誰のせいでこんな天気になっているんだか、ずいぶん天はお怒りのようです。

そんな大雨の沖縄はともかく、こちらなどずいぶん梅雨がのびのびになっているんですが、くるんですかね。その梅雨がです。なんだかんだで記録的な空梅雨になったりして今年はです。そんな極端な天気が相次いでいるからです。

大雨が降ったと思ったら、急に暑くなったり寒くなったり、強風が(というか、もう台風並みの暴風が)吹いたりしています。大きな地震も一月一日から起きているくらいです。

またすさまじい災いの年になりませんか。今年はです。そんなすさまじい数の災いがすでに起きているからです。

だって、天変地変だけでなく有名人など見ていても今年はやけに亡くなる人が多い。それに加えて難病奇病を発症する人も多い。ああいう有名人など見ていて理解しないといけないのです。特にこちらの人たちはです。

神理が出現しているこちらの人たちは、私がこれだけ怒っている人が多いと書いているからです。

ということは、そんな有名人の人たちと同じことが起きている人が多いということですよね。だからこちらの人たちは怒っている人が多い。そういう恐ろしい現象をみな私のせいにしているからです。

前回書いたような下半身まひの方やら癌やらなった人たちをです。それを全部、一人の者のせいにしていたら、そりゃ、そのようにされている者に対しては怒るでしょうね。それに蛇蝎(だかつ)のごとく嫌われる。死神や疫病神のように思われる。ほんと踏んだり蹴ったりですね。

今の私がまさにそれだからです。(苦笑)しかし、よくそこまで責任転嫁するものです。散々自分たちは筋違いなことをしているくせにです。

それをどれだけ書いてもご理解いただけないようですが(認めようとしないようですが)しかし、そんな恐ろしいことがこの辺りにもたくさん起きていることだけは確かでしょう。

だから、あのような有名人を通して天は教えているということです。この辺りでもたくさん起きている同じような恐ろしいことをです。

あまりにこの辺りはそれにうとい人が多いからです。どれだけ悪いことが(天罰が)たくさんの人に起きていても、自分に起きなきゃ関係ない(分からない)という人があまりに多いからです。

だから平気で私に感謝もせず嫌がらせしてくる。多くの人たちが何度でもです。しかし、そんな人たちに(そうして、その周りの人たちに)次々にあのような災いが現れているということです。それを有名人を通して見せているのです。そういうのを具体的に見せないと分からない人たちばかりであるからです。

天変地変などどれだけ激しくなっても、そんなのはただの自然現象としか認めない人たちばかりであるからです。

しかし、亡くなる人やひどい病気などする人たちが多くの人たちの目の前に次々に現れてくるなら、それだけ分からない人たちも、自分がそうなったらどうしようと、その恐ろしさも分かってきます。

だから、そういうことをより多くの人たちに見せているのでしょう。やはり神理を通してです。

だから私はああいう人たちの中にはこの神理を黙って見ている人たちもいると思います。そういう人たちを通して見せているのです。神理を感謝もせず見ているのなら、このようになるということを天は多くの人たちにです。

だから今年など特に多い。そのような人たちが(亡くなったり、奇病難病になる有名人が)です。しかし、そんな天罰がどれだけたくさんくだっても、皆に知られていない人が、そんな病気になったところでそれが分かるのは、その人と、その人のことを知っている人たちだけなのです。

それでは多くの人に伝わらない。その天罰の恐ろしさはです。だからそんなことがいくらたくさん起こっていても、多くの人たちは知ることがない。その天罰がくだっている人たちは多くの人に知られているわけではないからです。

しかし、多くの人たちに知られている人たちに、そのような天罰がくだるなら(難病奇病になるなら)多くの人に知られることになります。

その天罰の恐ろしさはです。

だから、今年など特に多いのではないですか。そんな天罰がくだるのもです。天気など見ても分かりますが、すでにそこかしこにずいぶん多くの天罰がくだってきているからです。

すでに、そういう事実を正しく認識しないといけない時がきているからです。

だから、いつまでもそれを(そのような災いは天罰だという正しい事実を)知っている人たちが無視していてはいけないということで、もう行動を起こさなければいけないということで、それでこれだけ起きているんではないでしょうか。

この辺りはもちろんですが、このブログを見ている有名人にもたくさんの災いがです。もう十年以上も、そのことを知っていながら一切いわない、そんな悪いことをし続けている人たちもいるからです。そういう人たちにもう次々に天罰がくだり始めている。

それがこんな結果として、現れているのではないでしょうか。案外このブログを見ている人はいるからです。有名人の中にもです。

しかし、そういう人たちが、この十年(以上も)この神理を他の人に伝えなかった。それでどれほどひどい結果になっているか(そんな難病奇病だけでなく、天変地変も)それも含めて、そのようなことを反省しないといけない時がもうきているということです。

だから、このブログを感謝もせず、いつまでも見ている人たちに次々に天罰がくだりだした。そうしてそれが多くの人によく分かるようなことも起こりだした。有名人を通してです。

だから最近は特に多いんではないですか。有名人にそのような災いが起きることがです。(こちらの人たちなどさらに多いんでしょうが)多くの人たちに天罰を(そういうことは起きるのだという事実を)知らせないといけないからです。

それを知っている人たちが口で伝えないというなら、身体を通してでも伝えてもらわないといけないからです。

何度もいいますが、もう頭を下げませんか。神理を見ているのなら神理に対してはです。そんな次々に現象が現れてくる教えなどこの正法神理以外ないのです。(ほんとこれももう耳に胼胝〔たこ〕が出来るくらいいっていますが。〔苦笑〕)

そうして前回も書きましたが(親子、夫婦、先生と生徒などは友達ではないと)もう少し立場もわきまえた方がいいでしょう。別にそれで威張るわけではありませんが、そんな現象が現れる教えなど説ける人は私以外にいないのですから。

そんな現象が次々に現れる本当の神の教えが説ける者と、それをきいているだけの者とでは全然違うのです。もう少し謙虚になって、そこは認めませんか。それはそれで凄いとです。

法を説く者と、それをきいているだけの者とでは天と地ほどの差があり(心の)そこはわきまえた態度を取らないといけないのです。その法をきいている人たちの方がです。それほど有難い教えをその人たちはきいているからです。

そうであるなら、それ相応の態度を取るのは忘れてはならない礼儀であるのです。だから、そこを全然わきまえないから、そんなひどいことも起きてくるのです。そんな礼儀知らずもないからです。(では、天罰もくだります。悪いことをしているからです)

口だけではなく、私はそのようなことを(天罰も災いも)起こしています。それがいいだの悪いだのいえるレベルではまだないということを知ってください。そんなことが全然起きない人たちはです。

そこを謙虚にわきまえ、よく考えてただけないでしょうか。自分たちの態度をです。

そうすれば今なにをしないといけないか、このブログを長年読んでいる人たちなら分かるはずであるからです。

それをしないからこれだけ天罰もくだっているからです。

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6月 14 2024

神理に対する態度

なにか、体操のお兄さんといわれている人が下半身まひになったとニュースで流れていましたが、最近はほんと多いですね。有名人が亡くなっただの変な病気になっただのいうニュースがです。

そんな有名人だけでなく、こちらなどそんなことがすさまじい数、起きているんでしょうね。きっとです。そこらじゅうにいますから。やたら怒っている人がです。

だから同じことが起きていませんか? 有名人にも、こちらと同じようなことがです。

単に似たようなことが起きているだけなのか、それともそんな有名人の中にもこのブログを見ている人たちが多いのか、それは知りませんが、神理を感謝もせず見ているとそういうことは起きてきます。

もし神理を見ている人が有名人の中にもいるのならです。感謝した方がいいですよ。そうすればそんなことが起きた人でも(運悪く難病奇病になった人でも)奇跡的に治っていくからです。しかし、神理を見ているのに、感謝もせずそういうことが起きてきたにもかかわらず、まだ黙って神理を見続けてなどいるとです。

さらに運の悪いことが重なって、その人はもう一生、苦しみ続けないといけなくなるからです。(もちろん死んだ後も)

それだけ悪いことをしているということを知ってください。感謝もせず神理を見ているということはです。

その自覚がいつまでたっても出てこないのが怖いんですが(こちらなどこれだけ悪いことが起きていても)もう少し神理を説いている者のいうことは真剣にきいた方がいいでしょう。

そうしないと(適当にきいて無視などしていると)どれだけ不幸になるかしれないからです。

ほんとこちらはいっているだけではないんですけどね。本当にそういうことが死ぬほど起きているからそう書いているんですが、そういうことを理解してもらったうえで、もう少し教育のことを書いておきますが、最近は親子でも、夫婦でも、学校の先生でもです。

なんでも友達のような関係がいいと、そんな友達のような関係にわざとしている人たちがいますが、もちろんこんなの間違いです。

友達は友達、親子は親子、夫婦は夫婦、先生は先生、生徒は生徒であるからです。そこは全部違うからです。立場はです。

そこは秩序を持ってやらないと、それこそぐちゃぐちゃになるのです。人間関係がです。(まあ、それが目的でそういう思想を広めているんですが。左翼思想を広めている人たちはです。それを知らずにやっている人もいるんでしょうが、あまりに哀れです。そのバカさ加減がです)

だって、友達のいうことなどそうそうきかないでしょう。そりゃ自分と意見があうところはきくのでしょうが、あわないところなどきくわけがない。お前はお前、俺は俺ということでです。

では、友達みたいな親子になってしまったら、子供は親のいうことをきくのですか? 友達みたいな先生と生徒の関係になってしまったら、生徒は先生のいうことをきくのでしょうか?

まあ、きかないでしょうね。友達のいうことをハイハイきく友達もいないからです。それではただの親分子分の関係にしかすぎないからです。

だから私はそんな関係はいけないと、親は親としての権威を持って子供の教育はしないといけないし、学校の先生は先生としての権威を持って、生徒を指導していかないといけないと、そうしないと子供はいうことをきかないとそういっているのです。

するとまたバカ左翼が、押しつけはいけない、自由にやらせないといけないとかいうのでしょうが、それでは子供の教育は出来ません。そこは惑わされないようにお願いします。そのようなわざと混乱をつくる、それを目的としているのがバカ左翼であるからです。

基本子供らはです。自分が親に面倒をみてもらっている間は親のいうことはきくべきでしょう。逆らうのは自分が自分で稼げるようになり、自分の分くらいは食べていけるようになってから逆らうなら逆らいましょう。それまでは親のいうことはきかないといけない。

そうして学校の先生に対してもです。自分の知らないことを教えてもらっている間は、そのことに感謝して先生のいうことはきくべきでしょう。自分がその先生のいうことを全部理解し、そうして自分の方が物をよく知っているようになったのなら逆らうなら逆らいましょう。そうしないと部分的な知識だけで(それも今の大間違いな左翼思想だけで)逆らうのは滑稽でしかないからです。

どちらにしても、そのようなけじめは大事なことです。親と子、先生と生徒、夫と妻は全部立場が違い、それぞれの使命役割も違います。

それをごっちゃにしてしまってはならないということです。今のようにです。そうすると今のように天変地変はひどくなり、悪いことがどんどん起きて、景気もまったくよくならず、混乱するということです。

多くの人たちが、秩序をまったく無視して、好き勝手やっているからです。そうすると、天でも地でもそうなり、悪いことがはびこるということです。その大元のこの世の人間たちがそれをしているからです。それでは、それと同じ悪いことがどこでも起きてくるということです。

その通りのことがいま現在、次々に起きてきています。これだけ悪いことばかりが起きてくるのは、それだけ多くの人たちの心が悪いからです。

奇跡が起きるこの神理に合わせて心を変えませんか?それをする以外、このような悪いことばかり起きる世の中をよい方に変えることは出来ないからです。

神理の奇跡があちこちに現れてこない限り、今のように悪いことばかりが起きてくる世の中をよい世の中に変えることは出来ません。

もう少し真剣に神理のことを考えませんか。そうしないとです。

最初にも書きました、そのような不幸なことがどれだけ起きてくるかしれないからです。

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6月 13 2024

立派な子供の育て方

だから、子供に決めさせろとか、押しつけはダメとかいっている人が(左翼が)いますが、そんな小さな子供が自分で正しい判断など出来るわけがないのです。

だから、十五歳くらいまでは全部自分で決めさせるのではなく、ある程度は親が(そうして周りもです。学校の先生などがです)判断して、こうしなさい、ああしなさいと正しい方向に導いてあげないといけないのです。それが(正しい判断が)まだ出来ないのが子供であるからです。

だから子供に対する教育は大事なのであって、そのようにかかわることが子供の教育なのであって、なんでも子供に決めさせるとか、自由にさせるとかいうのが教育ではないということ知るべきなのです。

だから時にはたたいてでも、悪いことはやめさせる、危険なことはやらせないということは、それは子供ためなのであって、愛なのであって、いくら小さな子供とはいえです。そんないつ死んでもおかしくないようなことを(例えば前に書きましたがマンションの窓から身を乗り出すようなことなど)そのままやらせ続けることこそ逆に愛がないのです。

例えばマンションの窓から落ちてはいけないからと、台になるようなものを置かないとか、二重のカギなどつけて窓を開けられないようにするとか、そういうことをいくらしたところでです。

そういう危ないところは別に、そのマンションの中だけではないのです。外に出ていくのならいくらでもあるのです。危ないところはです。

それなのに、その危ないことをしてはいけないということをしっかり教えないで、そのままそのような子供を外に出して、それでその子は危ないことを回避出来るのですか? 家の中のことはもちろんですが、こういう危ないことをしてはいけない、ああいう危ないことはしてはいけないとなにも教えていなくてです。

そういう子供が外に出て、自分で判断出来るというのでしょうか。危ないことにです。

とにかく家の中では猫かわいがりして、あれもいいですよ、これもいいですよ、そうして危険は親が先に察知して、その子供が危ないことが出来ないようにして、そうして、そのままそのような子供を外に連れていく。

本当に危ない。外など家の中以上に危険なところはいっぱいあるのにです。それなのに、その子は危険ということをまるで知らない。

それでその子は危険を回避出来るのでしょうか。親が四六時中、その子を見張っていれば(もはやそのような言葉がピッタリです)よいのでしょうが、子供は親の手からだんだん離れていくのです。そうなった時に、その子は出来るのですか、そんな危険からの回避が自分でです。

やれないと思いますけどね。そういうことをしっかり教えていなければです。

まあ、これは一つの例ですけどね。危険の回避などたくさんしないといけない子供に対する教育の中のたった一つの例ですが、それ以外でも礼儀にせよ、食事にせよ、普段の態度にせよ、学校の勉強にせよ、教えなければいけないことはたくさんあるのです。

このように、たった一人の子供に対する教育だって山ほどあるのです。その子に対する教育はです。

それなのに、出来るのですか。自分はあれもしたい(仕事もしたい)これもしたい(遊びもしたい)などいって、そうして、それで子育てもしたいなどいって、そんなこと全部です。

それが出来ないから昔から家のことや子育ては女の仕事、外で働くのは男の仕事と決めていたんでしょう。そういう役割分担をしっかり決めて、専門にそれをしていたからちゃんと出来たのです。私たちの生活はです。

つまりです。たとえはおかしいのでしょうが、匠の仕事と同じですよね。

そういう人たちは、それを専門として、伝統としてそのやり方を守り続けてきたから、その仕事はよいものが出来るのです。男が外で仕事をするということも、女が家で家事育児をするということも同じなのです。そのような専門職の人たちが専門として続けてきたから(男は男の仕事を〔外で働き金を稼ぐ〕女は女の仕事を〔家事育児〕)人間生活は連綿として続き、立派で様々なよいことを行う人もたくさん出てきたのです。そのような匠の家庭からはです。(これは立派な人をつくるという匠の技です)

それなのに、そのようなやり方をやめて、あれもこれもやりたいからと、あちらもして、こちらもして、そうして自分の本来の仕事もしてなどということをしていたらです。そんな匠の技などと呼ばれるようなよいものが出来てくるのでしょうか?

今の左翼思想に侵されて、あれもしたい、これもしたい、そうして子育てもして、子供には好きなことをさせていればいいなどという人たちは、それと同じであるということです。ろくな生活は出来ないということです。そういうやり方をしていればです。

いま現在は、それ以前に男も女も働かないと食べていけないというよけいな問題まで増えてきましたが(貧困化)それでもです。よくテレビでもやっていますが、節約の達人などと呼ばれている人たちもいます。(笑)出来るものなら女性は結婚したら家庭に入り、子育てに専念してもらいたいものです。それは夫育ても兼ねているからです。

家事育児とは、もっと稼ぐことが出来る(そうして人柄もよい)夫に成長させる、そのような夫育ても入っているからです。(こちらも大事)

それがよい(幸せな)家庭が出来るコツであるからです。女性が(母が)家庭にいるかいないかでは全然違うからです。

そういうことをしなくなったから(家庭の専門職である女性が家から出ている時間が長くなったから)これだけ問題ある家庭が、そうして社会が増えてきた。そのような専門職を皆がやめて、ごちゃごちゃにしてしまったからです。そのような(男と女の)役割分担をです。

物のつくり直しは出来るが、子供のつくり直しは出来ないとよく園頭先生はいわれていました。子供の育て方を間違えると親は一生困るのです。その育て間違えた子供に悩まされてです。

もう少し子育てを(というか、妻は夫も育てなければいけないので〔これは夫も同じ。妻も子も育てないといけない〕人育てといった方が正確かもしれませんが)真剣に考えませんか。親である人はもちろん、これから子育てしないといけない女性などです。

やはり子育ての中心は女性が(母親が)しないといけないからです。それも半々でなどという左翼思想の言葉にいつまでも騙されていてはいけないからです。女の愛と男の愛は違うからです。子育ては女の愛が(母の愛が)なければ出来ないからです。

最近はそんな女性の育児ノイローゼになる人が増えているそうですが、それもやはり子育ての勉強をしっかりしていないことと、そのような子供の教育に対するきびしさを忘れてしまった(たたいてでも悪いところは直すという)結果であると私は思っています。

愛があるなら、子供をきびしく育てませんか。そういう子供の中から立派な(たくさんの人を救う)人は出てくるからです。

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6月 12 2024

大事な教育

もう少し教育のことを書いておきますが、例えば最近など3~4歳児がマンションの窓から(あるいはベランダから)転落死したなどというニュースがよく流れてきます。

そんなニュースを見ると、親がしばらく、あるいはほんの少し目を離したすきに子供が勝手に窓を開けて、そこから身を乗り出して落ちてしまったなどといわれています。

では、こういう子供の転落死などどうやって防ぐのですか?

いくら口で窓を開けてはダメだとか、高いところに昇ってはダメだとかいっても、活発な子はしてしまうのです。そんなことはいくらでもです。

だから、親が目を離すなとか、台に(窓から乗り出せる足場に)なるようなものを置いておくなとかいってもです。親が四六時中、子供を見続けているわけにもいかず、そんな台になるようなものなど子供はどこからかみつけてきて、それを台にして高いところなどのぼるのです。

そういう子供たちに、そんなことやってはいけませんよとか、窓を開けて身を乗りだしたら下に落ちるかもしれず危ないから、絶対にそんなことをしてはダメですよ、などといっても止められないでしょう。3~4歳児など、その意味も分からず、そういうことがどれだけ危険かもまだ分別出来ないんですから。

だから、そういう子供の事故をどうやって防ぐのですか? ときいているのです。

だから体罰は必要でしょう、といっているわけです。いくら口でいっても分からなければ、高いところに上がったのなら、ひっぱたいてやればいいのです。尻の辺りでもいいから二、三発です。一度で分からないなら、二度三度たたいてやればいいのです。そうすれば3~4歳児などそういうことはやめるからです。

それをすると叱られると、そんな痛い目をみるならそういうことはやめておこうとそう思ってです。いい、悪いがまだ判別出来ない年の子など、そういうやり方もしなきゃいけないからです。それが教育であるからです。少々ひっぱたいたって死ぬよりいいからです。

あるいは、最近はよく小学校などで学級崩壊など起きているようですが、その理由が一人二人の問題児がいて、その問題児が暴れるのでまともに授業が出来ず、それで学級崩壊を起こしているということのようなんですが、そういう問題児もそうです。

そういうことはしてはいけないと、先生がいくら口でいっても分からないのです。その問題児がいるせいで他の勉強したい生徒たちはまともに勉強が出来ず、学級崩壊まで起きているのです。そういう生徒をどう教育するのですか? 他のまじめな生徒に迷惑をかけているそんな生徒をです。

もちろん、そういう生徒は体罰を行えば、そういう態度を直すのかといえば、そんな単純な話ではないのかもしれませんが(当然、親の問題もありますから)しかし、そのような体罰も一つの手段として教育には必要でしょう、と私はいっているのです。

それを完全に排除してしまっては教育が出来ない部分はあるからです。

それを完全に排除してしまった結果が、先ほど書いた小さな子供の転落死や学級崩壊が増えている結果となって現れているのではないですか。そんな口だけでいいなどという、甘えた教育などしているからです。

だから夏休みなど終わったとたん、自殺してしまう子供も増えてきているんでしょう。そんな甘やかされて育てられている子供ばかりでは、少しばかりの苦労にも耐えられないからです。

そんな夏休みが終わるくらいで、それが嫌で自殺する子供がいるなど私たちの小さい頃ではきいたことがありませんでした。

私などいつも夏休みの宿題をやりきれていなくて夏休み明けるのが嫌で嫌で仕方なかったんですが(苦笑)しかし、そんなことくらいで自殺します。(まったく不思議です。その発想がです)そんな休みが明けるのが嫌なくらいで自殺するなら、少々嫌なことがあればどちらにしても自殺してしまうのです。そういう子供はです。

仮に私たちの小さな頃にそんな話などきけばです。多分、皆が笑っていたことでしょう。バカじゃないのそいつ、などといってです。それほど小さな行いであるからです。夏休みが明けるのが嫌で自殺するなどです。その頃なら小学生に笑われるくらいのです。

私たちの小さい頃など、もちろん小学校へいき、悪いことをするならビンタはられていましたからね。普通にです。それは誰でもそうでした。男の生徒ならです。たまに女の生徒までたたく先生までいましたからね。(今なら大問題。〔苦笑〕)しかし、だからなに、という感じで、それでもなかなか悪いところは直らなかったんですが、しかし、そういう者は(私のようなぐうたらな)そういう教育をされないと絶対に直さない。

口でいわれるだけなら今ごろはまだぐうたらなままだったでしょうね。あの時にたたかれてでもやらされたから、私も少しはまじめになり、このような神理も書けるようになったのです。

それで、心の耐久性はついたようで、もし、その時にそういう教育を先生たちにされていなければです。もう私はとっくに自殺しているでしょうね。こんな集団ストーカーなどこれだけ続けられればです。(苦笑)

痛い目をみてもよい悪いを教えてくれたあの時の小学校の先生方の教育があったから、いま私はどれだけひどいことをされても神理流布は続けないといけないと、そういうことも出来るのであって、小さな時でないと(若い時でないと)そのような心の耐久性もつかないのです。大人になってからではなかなかです。

だから「可愛い子には旅をさせよ」とか「若い時の苦労は買ってでもせよ」といわれる言葉は神理なのであって、そのようなことは将来に必ず生きてくるのです。

また、最近はそれをしていないから(そういう言葉が死語になったから)これだけ若い子供の自殺や事故が増えたのです。先ほど書いたような起きなくてもいい事故や自殺がです。

そういえば私の小さい頃など子供の自殺が少なかったのはもちろんですが、そんな小さな子供が高いところから落ちて死んだなどという事故もきいたことがありませんでした。

それこそ小さな子供が、そんな高いところにのぼるなど親がさせなかったし(それこそひっぱたいてでも止めたし)周りの人たちからも強い口調でよく注意もされたからです。(外でよその人から怒られることなどしょっちゅうでした。私たちの子供の頃はです)

しかし、今はどうでしょう。よその子に注意などするなら親が怒ってきますし(私などもそうでバカガキが先に嫌がらせをしてきたのでこちらが文句をいったら、その近くにいた親に文句をいわれたことがあります。なんでも子供がすることは自由なようです)また逆に子供らが少々危ないことをしていても知らない顔をする人も増えてきています。

子供らに対するきびしい教育が足りないのと同時に、あまりに甘やかせすぎていると感じるのは私だけでしょうか。だから子供が死ぬのが増えているのです。そのような教育の仕方が間違っているからです。

ザッと書きましたが、まあ、体罰もです。そんな極端に叩いてしまってはいけませんが、中道の範囲内ならそれは教育の一環としてよいではないでしょうか。というよりです。体罰という大事な教育をなくしてしまったから、よけいな子供の自殺や事故など増えているのではないのでしょうか。

今の世相に真っ向から反するブログを書きましたが、そのような世相も踏まえてです。よくよく考えてみてください。私が書いていることをです。

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