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8月 14 2020

罪を持越すということ

いい加減、折れてはどうでしょう。昨日もいましたもんね。(無理して)嫌がらせをしてくる人たちがです。

しかし、そういう人たちにはまず天罰がくだります。もうくだっている人もいるのではないでしょうか。何度も書きますが、最近は天罰が早いからです。天罰覿面ということを地でいっているからです。

運転手など見ているとなんで嫌がらせをしてくるのか本当に不思議ですよね。これだけトラックが減っているというのにです。

やめとけばいいのにね。そんなブシュブシュ嫌がらせをしてくる人たちのどれだけ多くに、天罰がくだったか知れないからです。

それが分かっているにもかかわらずなんでやってくるんでしょう。そういう罰当たりな態度をです。本当に罰が当たっているのにです。

罰が当たりたいのでしょうか?それとも単に無理しているだけなんでしょうか?

もし、無理しているだけなら、これだけ愚かな態度もないのです。

なぜなら、そういう態度を取り続け、それで天罰を食らって命を落とすようなら、その人は確実に地獄に堕ちるからです。そうして罰が当たっているということは、それだけ神の心に逆らっているということであり、そういう不遜な態度を神に取ったまま死ぬなら、その苦しみはどんな地獄に堕とされるより苦しいからです。

そんな苦しみを味わいたいのですか?

皆がそうしているからと、同じようなバカな真似は自分はしない方がいいでしょう。そういうバカな真似をしている人たちは例外なく苦しんでいるからです。(まあ、書くだけ無駄な人も多いのですが、きく人はきくでしょうから)

だから、神理を無視して罰当たりな態度を取っている人たちは、ずいぶん罪深い態度を取り続けているということであり、その罪は来世、再来世まで持越(もちこ)すということになるのです。

罪を持越すということは苦しみを持越すということであり、それがどういう意味なのか。ちょっと具体的に書いておきましょう。その方が分かりやすいと思うからです。

昨日、大目蓮のことを少し書きましたが、その大目蓮がなぜ凶徒に襲われて死ななければいけなかったのか?その理由を書いておきましょう。

それが罪を来世に持越すということであったからです。

大目蓮(マハー・モンガラナー)はこのブログにも何度も書いておきましたが、舎利弗(シャリー・プトラー)と並ぶ釈尊の弟子たちの中では一番の高弟であり、釈尊の右腕が舎利弗であるなら、もう片方の腕は大目蓮であるといわれ、釈尊の二大弟子として舎利弗、大目蓮の名は仏典の中にも遺されています。

その大目蓮は舎利弗同様、よく釈尊の期待に応え、多くの人たちに釈尊の仏法を伝え、そうして自分自身もよく修行し、弟子たちの指導も欠かしませんでした。

そのようなたくさんの仏法の実践の結果、大目蓮は多くの神通力を持つようになり、後に神通第一と称されるようになります。(舎利弗は智慧第一といわれました)

その大目蓮は、いつも決まって禅定をする場所がありました。

大目蓮は昼間は釈尊の指示に従い、仏法の指導を受けたり、他の人たちに伝えたりしていますが、夕方になると決まってその場所にいき、その日一日の反省禅定をしていたのです。

それが大目蓮の日課であったのです。

そうして、釈尊の下で大目蓮の修行は数十年続いたのですが、釈尊晩年のある日のことです。

大目蓮はまたいつものように夕方になると、その場所に禅定をしに出掛けていったのですが、その日は大目蓮がなかなか帰って来ませんでした。

もう外は真っ暗です。それで大目蓮のことを心配した舎利弗が、釈尊の弟子たち数人に大目蓮の様子を見てくるよう頼みました。

数人の弟子たちが出ていってしばらくすると、その弟子たちは血だらけの大目蓮を運んできたのです。

驚いた舎利弗がどうしたのかと尋ねると、弟子たちが、どうも大目蓮様は他の教徒に襲われたようだと答えます。

実際にそうでした。日頃から釈尊や釈尊の弟子たちのことをよく思っていなかったバラモン教徒たちが、大目蓮がいつもその場所で禅定をしていることを知って待ち伏せし、その場所で大目蓮が禅定を始めると、上から大きな石を大目蓮めがけて投げ落としたようなのです。

その大きな石が大目蓮の頭に当たり、それで血だらけになって、その禅定している場所に大目蓮が倒れていたところを弟子たちに発見され、そうして運ばれてきたのです。

息も絶え絶えになっている大目蓮に向かって涙ながらの舎利弗が言葉をかけます。

「君ほどの神通力の持ち主がなぜこれほどの災難を防ぐことが出来なかったのか。君ほどの神通力があるなら、いくらでもこのような災いからは逃れられたはずではないのか」

その舎利弗の問いに苦しい息の中、大目蓮は次のように答えるのです。

「今日私が凶徒に襲われることは分かっていた。しかし、私はこのような死に方をしないといけなかったのだ。私は過去世で自分の両親に対しずいぶんひどいことをしてしまった。その過去世の罪の償いのため、私はこのような死に方をすることになったのだ」

そのように舎利弗に答えた後、大目蓮は息を引き取るのです。

大目蓮はすべて知っていたのです。自分が今日死なねばならないということも、そして、ひどい死に方をしなければいけないということも、そうして、なぜ、自分がそのような死に方をしないといけなかったのかということもです。

すべて知っていました。仏法の修行によって多くの神通力を得ることにより、大目蓮はそれを知ったのです。

大目蓮はお盆のいわれをつくった人で(もうそのことは何度も書いていますが)自分の死んだ母が地獄に堕ちていて、その母を救いたいがため年に三日ほど日を定めて生きている人たちに布施をする、それがいま日本でいわれているお盆のいわれとなったのですが(いま現在の日本では生きている人に布施することが死んだ人に布施することに変わってしまっていますが)それだけ親孝行であり、そうして仏法(神理)の修行も積んだ大目蓮でさえ、このように罪を来世に持越すということがあるのであり(過去世の親に対する罪…私もやばいんですが。〔汗〕)その持越した罪はです。

ずいぶん大きいのです。(自分が悲惨な死に方をしなければいけないくらいです)

神理をよく勉強し実践した大目蓮でさえこうなのです。では、神理の勉強などまったくせずにいて、その神理に逆らいまくっている人たちの罪は一体どうなるのでしょう。

もうはるかに大きいでしょうね。その罪は、大目蓮とは比べ物にならないくらいです。

それは起きて来ていることを知れば分かると思います。

皆さん方が神理を無視する前までは、これほどひどい天変地変も起きていなければ、コロナ禍もなかったのです。

そういうことは自分とは関係ない、といくらいい張っても、私は前からいっています。

この神理を無視するなら、災いは増えていくとです。

そのいった通りのことが起きていて、私は、このような災いが次々に起き出した理由は神理を無視し続けている皆さん方にあるといっているのです。

そういっている私には次々に奇跡が起き、それを無視し逆らい続けている人たちには次々に災いが起きています。

では、どちらのいっていることが正しいのかはもう明白でしょう。

そのような起きてくる現象が教えているからです。私の(神理を説く者の)正しさをです。

自分たちのしている大変なことを、もういい加減、気づきませんか。ずいぶん前から私はいい続けているからです。皆さん方の罪をです。そうしてそれは正しいことであるからです。

もし、このまま私のいうことを、このブログを見ている多くの人たちが無視し続けるなら、その罪は来世、再来世まで持越すことになります。

しかし、もしそうなるなら、その苦しみは言語に絶することでしょう。これほどの災いを世界中に現したのです。

このブログを見ている多くの人たちの罪は計り知れないものとなっているからです。(こういうことにどれだけ怒っても無駄なのです。悪いのは私のいうことを無視しているあなたたち〔災いを食らっている人たち〕の方であるからです)

神理をきいたのなら、その神理を説いている者のいうことはきかないといけない、そういうものなのです。

そんなこと知らないなどという、薄っぺらなことをいっているのは現代の人たちだけなのであり、昔の人たちは神理をきいたのなら、ちゃんと感謝の布施くらいはしたのです。

それが神理をきいた者の最低限の礼儀なのであり、その礼儀さえ理解しようとしないから多くの災いが現れるのです。

現代の(このブログを見ているだけの)人たちにはです。

その通りのことが起きています。そうして罪を持越すということの具体的な例も書いておきました。

これ以上の罪はつくらない方がいいと思います。これ以上罪を重ねれば、その罪は返しきれないくらいの大きさとなり、この後、自分自身を苦しめていくからです。(そうして、その苦しみは来世、再来世、その先に渡って続くのです)

何度も書きますが、もう大変なことが起きています。だからやれる範囲で結構です。ご協力願えませんか。この正法神理にです。

それが自分自身の(大変な)罪を消すことが出来る唯一の方法であるからです。

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8月 13 2020

死期を悟るということ

しかしまあここに書いた通り、昨日などは猛暑に加え、激しいゲリラ豪雨まであったようですが(それでひどい冠水被害まであったとか)相変らず神の怒りは激しいようです。

それだけ神を怒らせている人たちがたくさんいるからです。

昨日でも、私に対し嫌がらせをしている人でよいことが起きた人など一人もいないと書いているにもかかわらず、まだ、やたら怒って嫌がらせをしてくる人がいましたが、不幸になりたいのでしょうか?まず天罰を食らうのにです。

まったく不思議な行動ですが、昨日書いた天罰ということが面白くなくてそれでしているのか、それとも何か自分たちに起きて来て腹を立ててしているのかそれは知りませんが、そのような行いがまた神を怒らせるのです。(だから心配ですね。そういう人たちにすでに何か起きていないかです。最近は早いですから『天罰』がくだるのがです)

もう素直に頭を下げてはどうでしょう。悪いのは自分たちの方であるからです。そのような罰当たりな人たちが頭を下げない限り、天罰は止まらないからです。

前回のゾウの話ではありませんが、誰だって死ぬ時は来ます。そういう態度を取り続けて死ぬのなら(神理に逆らったまま死ぬのなら)死んだあと死ぬほど後悔します。

今のうちに反省してはどうでしょう。いわれているうちが花であるからです。地獄に堕ちてからでは誰からも何もいわれなくなるからです。(苦しむだけでです)

もうずいぶんいやらしそうな顔をして歩いていく人も増えました。そういう顔をしているだけではなく、もう一歩進んで布施でもされませんか。

神理に布施するなら(神理の実践を始めるなら)自分の人生も大きく変わってくるからです。もちろんよい方にです。

祈ると次々に奇跡が起きて、歩いているとあちこちから鳥が寄ってくるような、川や海などいって呼びかけると、多くの魚たちが寄ってくるような、そんな奇跡的な楽しい人生もないでしょう。

そういう人生を歩めるのです。神理を実践している人たちはです。実際に私たちにはそういうことが起きているからです。

しかし、私たち以外の(神理を知らない、あるいは無視している)人たちはどうでしょう。

今回のような猛暑には苦しめられ、激しいゲリラ豪雨や大雨被害にも遭い、癌やコロッと逝く人まで出て、新型コロナの感染などいつするか知れない。(また感染でもしたらどれだけ悪くなるか知れない)

ろくな人生を歩んでいないのです。そういう人たちはです。ただ自分たちがそのような不幸な人生を進んでいることに気づいていないだけなのです。

多くの人たちは物質面しか見ないからです。だから、心の不安定さまでは分からない。

しかし、心が不安定なほど不幸な人生もないのです。どれだけ物質面が充実していようとです。心が満たされなければ物質面がどれだけ満たされていても意味がないからです。(例えばそれは、うつの人がどれだけ金を持っていても満たされないのと同じでです)

そうしてそのような人たちは、自分がいつ死ぬかも分からない、そういうヒヤヒヤの人生を進んでいるのです。

よく考えてみればヒヤヒヤの人生ですよね。自分がいつ死ぬか分からないなどといったらです。だって、それをいったら、明日死ぬかもしれないし、五分後に死ぬかもしれない。

なんて無情なのでしょう。この世の人生とはです。

しかし、それが当たり前だと思っている。人間は死期が分からないからです。

しかし、不思議だとは思いませんか。何が不思議かって、前回のブログに書きましたが、動物たちは自分の死期が分かるというのに人間はそういうことが全然分からないのです。

何で人間だけ分からないのでしょう。自分の死期がです。分かればずいぶん世話なく死んでいくことが出来るのにです。

何で人間だけが分からないと思いますか?というより、人間も分かっていたのです。他の動物たち同様です。自分の死期はです。しかし、それが人間だけ分からなくなったのです。

その理由は、あまりに人間だけが神の心から離れてしまったからです。(それだけ心を汚してしまったということです。人間は他の動物たちよりもずっとです)

それで自分の死期から天上界の言葉から何もかも分からなくなってしまったのです。人間だけがです。他の動物たちはよく分かっているのにです。

だから私のことも分からない。(他の動物たちはみな知っているのにです)人間だけが大きく心を汚したからです。

だから、その心をきれいにするならです。少なくとも自分の死期くらいは分かるようになるのです。

実際、高橋先生が指導されていた頃のGLAでは、自分の死期を悟って「私は何月何日に死ぬことになりました。いろいろお世話になってありがとうございました」と周りの人たちに挨拶されて、そうして、その通りの日に亡くなっていった人がいたからです。

だから、別に自分の死期を悟るということは動物たちだけではなく、人間にも分かることであるのです。分からない人は、単に自分の心をそれだけ汚しているから分からないだけなのであり、その心をきれいにするなら誰でも分かるのです。

自分の死期はです。

そうして、その自分の死期を悟った人たちは、死後の行き先まで分かるといいます。(例えば、天上界のこういう世界に〔幽界なら幽界、霊界なら霊界、あるいは菩薩界なら菩薩界に)往くことになりましたとです。そういう人たちはそういう話をされて亡くなっていかれたそうであるからです。地獄界に往くほど心が汚れているのなら自分の死期は悟れません。だから、自分の死期を悟れるような心のきれいな人たちはみな天上界に往くということです)

そういう心で死んでいくのならです。死後の不安もないでしょう。ほとんどの人たちは死んだ後どうなるか分からないから死ぬのを怖がるのであり、その死後の行き先が分かるのなら、死ぬのを怖がることもないからです。

そういう心で死にたくはありませんか。どうせ死ぬならです。(苦笑)

神理を実践していれば、そのように最後の最後まで導いてもらえるということです。それこそ死後の世界までもです。

だから私やウナッシーさんもです。死に際が近づいて来たら、あなたは何月何日に死ぬことになりました。(あの世に帰ることになりました)死後の世界は○○界です、という知らせがくるかもしれません。

守護、指導霊たちによってです。

実際そういう話は仏典などにも書かれてあるからです。(釈尊はもちろんのこと、例えば、舎利弗や大目蓮なども死期を教えられていたといわれますから。大目蓮など凶徒に襲われて死んでいるのにです。それでも自分の死期を知って、そのような運命を受け入れ、わざわざ凶徒に襲われて死んだそうです。その凶徒から大目蓮は逃げようと思えば逃げられたのにです。大目蓮は、その凶徒に襲われて死ななければいけないその原因が自分自身にあったからです)

今は時期が時期です。(お盆の)だからこういう話もいいのかなと(まさに時期にピッタリであると。〔笑〕)それで、こういう話も書いているのですが、ここまで面倒を見てくれるのが正法神理であり、これだけ有難い教えをです。

何で皆さんやろうとしないのか(無視し続けているのか)ほんと不思議ですね。

しかし、今のままの心では自分の死期など悟れるはずもなく、ほとんどの人たちが地獄行きです。

何度も書きますが、そのような道から本当に救われる教えが目の前にあるのです。

やらない手はないのではないでしょうか。

真剣に考えてはどうでしょう。これほどひどい(災いが多い)世の中になっているからです。

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8月 12 2020

罰当たりな行いより徳ある行い

しかし、暑いですね。

昨日は四十度を超えたところまであったとか。こんなに暑くなるっていってましたっけ?天気予報はです。

天気予報の予報より明らかに高い気温になっています。まあ、いつものことといえばいつものことなんですが、真夏にこれではねえ。

最近は予報が悪い方にしか外れません。これもまた凄い結果ですよね。多くの人の行いの悪さがよく分かる出来事であるからです。

その行いの悪さといえばです。どこかの会社だけではなく、どこの会社も、あるいはどこの工事現場なども、私に嫌がらせをして来たところは必ず出ているようですね。

天罰がです。

個人までは分かりませんが、何人か人が固まっているところは必ず誰かに出るようです。私に嫌がらせなどしたらとたんに天罰がです。

これなど行いの悪いのがもろに出ている典型なんでしょうが、直したらどうですか。そのような行いの悪さをです。

少なくともそこは直さないと直接自分自身に天罰が現れて来ます。

他のことはともかくです。こればかりは折れた方がいいのではないしょうか。自分たちのそのような行いの悪さを直さない限り、どれだけ自分が天罰を食らうか知れないからです。

と、こういうことをどれだけ書いてもです。この辺りの人たちはビビりもしません。どれだけ天罰が現れても平気で嫌がらせをして来ます。

頭がおかしいのではないでしょうか。現代の人たちはです。本当に天罰がくだっているというのに平気で嫌がらせをし続けているからです。普通であるならです。(昔の人ならです)何度もこんなことが起きて来たら、誰だってそういう態度は直すはずだからです。

しかし、現代の人たちは(この辺りの人たちは)そう考える人はほとんどいないようです。天罰がくだればくだるだけ、よけい意地になって感情的に(怒りまくって)嫌がらせをしてくる人がたくさんいるからです。

バカじゃないでしょうか。現代の人たちはまともに(冷静に)物事を考えるということをしないのでしょうか?

それともどれだけ天罰がくだろうと、それを天罰とは認めず「それはお前が人を病気にしているだけだから、そんなことに負けるか」みたいな考えで、それでしてくるのでしょうか?

私に対する嫌がらせをです。

どういう考えでやって来ているのか、凡人の私では想像もつきませんが(苦笑)しかし、そういう人たちに(神理を見ているのに感謝もせず嫌がらせをしている人たちに)災いが現れていることだけは確かなのです。

そうであるなら、どちらにしても愚かですよね。そういう態度はです。

だって、それが天罰であろうとなかろうと、そういう態度を取り続けているのなら、どこかで自分自身に災いが起きてくることは確実であるからです。

もう私は何度も説明しています。もし、私が人を意識的に病気になどしているのなら自分も病気になるとです。(因果応報です)

しかし、私は病気になるどころか、次々に奇跡が現れて来ています。

そのような起きてくる現象が、私が人を病気などしていないという何よりの証拠なのです。口でいっているだけではなく、そういう現象が起きているのですから、これだけ正しい話もないはずです。

どれだけ認めたくないことであろうとです。私に嫌がらせをして、それで病気になっている人たちは天罰を食らっているのです。

そこの判断を間違えたまま死んでいくのなら、その人は確実に地獄行きなのです。早く正しい判断をしてほしいものです。間違っているのはあなたたち(災いが現れている人たち)の方であるからです。

神理を説いている者に嫌がらせなどすれば罰は当たるのです。それは別に今だけのことではなく、過去から起きていたことであるのだし、過去にも神理を説いている人に嫌がらせなどすれば天罰がくだったのです。

それだけ罰当たりな行いもないからです。行いの悪い最たるものであるからです。だからすぐに天罰がくだるのです。

だからいっているのです。そんな罰当たりな行いをするのではなくです。神理をきいたのなら感謝して布施しなさいとです。

そうすることこそ正しいのであり、それだけ徳ある行いもないからです。

神理を知るということは、それだけ徳を得るということであるのであり(もちろん実践出来ればという話ですが)それに対して、真反対の嫌がらせを返しているようでは当然罰は当たるのです。

それだけ恩知らずな徳のない行いもないからです。

だから私に対し少なくとも嫌がらせはやめた方がいいでしょう。私に嫌がらせをしている人でよいことが起きた人など一人もいないからです。しかし、天罰がくだった人はごまんといるからです。

二、三日前でしたか、堀川にいって川に向かって声をかけていると、細かい魚たちがまたずいぶん上がって来てピチャピチャやっていました。

その時はたまに大きな魚も跳ねて、バシャバシャもしていたのですが、そうやって川をのぞいていると、私の上空ではすずめやらムクドリやらがあちこちから飛んできて、飛び回っています。

たまに変わった鳥も(というか、単に私が鳥の名前を知らないだけなんでしょうが。〔笑〕)飛んできて、私の近くでよく鳴いています。

少し前に、あるところを歩いていると前を何か小さな黄土(おうど)色をした生き物が横切りました。明らかに猫とは違います。

何だろうと思って、横切っていった辺りを見ながら歩いていると、木陰からその生き物がこちらをジッと見ていました。

多分、イタチかテンか何かだと思うんですが、そういう生き物もたまに見かけます。

町中を歩いていてもですよ。ちょこちょこ出てくるのです。私が歩いているとそのような生き物がです。

タヌキを見たこともありますしね。名古屋の町中でです。(笑)だから案外こういう生き物は町中でもあちこちに生息しているのでしょう。(とはいえ、中川区とか、わりと畑や田んぼが多い場所でではありますが)

私が何をいいたいのかといえばです。徳ある行いをするなら、こういういろいろな生き物も挨拶してくれるのだし、癒される行いも取ってくれるということです。

そういえば昨日の中日新聞に東山動物園のアフリカゾウが死んだと書いてありました。

このゾウは、私が観にいくとよく私の前まで来てグルグル回っていたり、水浴びや砂浴びなどして、楽しい姿を見せてくれていました。このゾウは特別私になれていたのではないでしょうか。

それがこの前、東山にいってこのゾウを観にいくと、何か知りませんがあまり元気がなさそうでした。

私が「オイ元気か」と声をかけながら近づいていくと、いつもなら歩き回ったり、鼻を上下に動かしたりして元気がいいのですが、その時は動きもせずジッと私の方を見ていました。

「あれ、暑いんで元気がないのかな」とその時はそう思っていたのですが、いま考えるとです。このゾウはその時もう自分の死期を悟っていたのではないでしょうか。

だから名残惜(なごりお)しそうに私の方をジッと見ていた、そう思えてなりません。

動物は自分の死期を悟るといいます。

例えば猫など、自分の死期が近くなると一匹で山の中に入っていき、そこで死ぬといわれます。(嘘か本当か知りませんが、そういう話をきいたことがあります)

だから野良猫など急に姿が見えなくなると「あの猫死んだな」といわれるようですが、だから、この前、私が東山動物園にいった時、あのアフリカゾウは寂しそうにこちらを見ていたのでしょう。

もう自分の死期が近いことを知っていたからです。

悲しい話ですが、しかし、この肉体の世界は時間が来れば、やがてその肉体は朽ち果て意識の世界に帰らなければいけません。

これもまた神がつくられた法則なのであり、誰も(そうしてどんな生き物も)この法則からは逃れることは出来ないのです。この肉体の生を得るなら死もまた受け入れなければいけないのです。

しかし、私はずいぶんこのような動物たちに救われています。私もやがてこの肉体が朽ち果てあの世に帰る時が来ます。

そのようなあの世、意識界に帰った時には、この動物たちがいる世界を訪ねようと思っています。

そうして「肉体の世界でずいぶん人間たちにはいじめられたが、お前たちには癒された。ありがとう」とお礼をいってこようと思っています。

また、その時に、東山のアフリカゾウとも会えることでしょう。あのアフリカゾウとはしばらくお別れしますが、また会えることを楽しみにその時を待ちます。

このような動物たちはずいぶん神理に対し協力的ですが、それに対し人間たちの非協力的な態度は言語に尽くしがたいほどです。(決して大げさな言い方でなくです)

もう罰当たりな態度はやめませんか。そのまま死んでいくのなら確実に(このブログを見ている多くの人たちは)地獄行きだからです。

しかし、動物たち同様、神理に協力的な徳ある行いをするならみな天上界に昇れるのです。(だから動物たちはみな天上界に往くということです)

天上界に往きたいから徳ある態度を取るというのでなく、神の子の人間は徳ある態度を取ることが正しいことであり、そのような態度を取るべきなのです。

動物でさえやっていることを人間が出来ないようでは動物にも笑われます。

徳ある行いを取ってはどうでしょう。それこそ神の子の人間が取るべき正しい態度であるからです。

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8月 10 2020

ザルで水をくむ

何かずいぶん異常な暑さが続くようですね。

最初は先週とか先々週とかが暑さのピークだとかいってませんでしたっけ?それが昨日の天気予報ではこの暑さはまだまだ続くとか。(名古屋など今週は三十七度にもなる日が続くようなこといってましたが…コロナではなく熱中症で死ぬかもしれません。〔涙〕)

「話が違うではないか」と文句の一つもいいたくなりますが(苦笑)こうなるんでしょうね。

前回のブログではありませんが間違った考えの人が多いとです。悪い方、悪い方へと導かれるからです。

神を信じないなど最大の間違いです。少なくとも、その間違いはいい加減、正してほしいものです。その最初の大きな間違いが、後々もっと大きな間違いへと繋がっていくからです。

しかし、盆だというのにニュースなど見ていてもどこもガラガラですね。

駅も飛行場も高速道路もです。去年までとは大違いです。いつもの盆の風景が一変してしまいました。とても盆とは思えませんね。

これだけ新型コロナの感染者が増えてはそうなるのでしょう。しかし、いつまで続くんでしょうね。こんなペースがです。

愛知県など毎日百人超えです。東京や大阪ほどではありませんが、しかし、こんなペースで感染者が増えれば当然、入院するところもなくなって(あっという間に病床が満杯になり)自宅療養や待機者が増えて、そこから感染が広がり巷に感染者があふれるということになってしまいます。

すでにそのような悪循環に陥(おちい)っているところもありそうです。(沖縄などひどいですもんね)どちらにしても、これからは新型コロナだけではなく、猛暑にゲリラ豪雨、そうして台風も心配です。(こちらなど癌もです)

まだこれからドンドン起きてきそうですね。災いがです。

それでも態度を変える気などないんですよね。反省もサラサラする気がない。いやいやさすがですね。このブログを見ている多くの人たちはです。(苦笑)

これほどの状況が現れて来ているのに、それでも「我関せず」を通しているからです。

そうであるなら、その心の通りの災いがドンドン現れてくることでしょう。

しかし、このブログを見ている人たちが、この神理に帰依し、心を入れ替えるならです。ずいぶん変わってくるのにね。起きてくることもです。

それなりに多くの人が心を入れ替えるなら、天なる神に(光の天使たちに)与える影響もそれなりに大きいはずであるからです。

しかし、何年たってもそういう心にはならないようです。これほどのことが起きて来てもです。このブログを見ている多くの人たちはです。

すさまじいまでの自分本位さですが、しかし、そのような人たちは皆、死後は地獄行きです。それだけは覚悟しておいてください。私のいうことは正しいからです。

昔の人たちなら、こういうこともよく信じて(それが正解だからです)ブルって帰依する人もいたのですが、しかし、現代の人たちはそれも理解しようとしません。

実際に自分が堕ちないと分からないようです。これだけの地獄がすでに現世に現れているのにです。

しかし、どちらにしてもこういう心の人たちばかりでは災いが増えるのはもう目に見えています。やれるだけのことはやっておかないといけないでしょうね。そういう(最悪の)時の準備をです。

その最悪の時は必ずくるからです。(ハァ~)

昨日ですか。安倍総理が医療機関への追加支援を検討するといわれていましたが、もうバンバンやってもらわないといけないでしょう。医療機関への支援をです。ドンドン医療機関を支援してもっともっと医療体制を広げてもらわないと、先ほども書きましたが、こんなペースでコロナの感染者が増えては他の病気まで手が回らなくなるからです。

だから、医療機関は病床から、医療機器から、マンパワーから、何から何まですべて増やしておいてもらわないと追っつかなくなってからでは遅いからです。

そして交付金も各都道府県にたっぷり配ってもらはないと、このコロナの広がり方では地方は金ばかりかかるからです。もうすでにずいぶんかかっているからです。休業補償やら医療体制やら何から何まで整えてです。

そうして、先ほどの盆とは思えないと書いたことでも分かりますが、この前、東山動物園にいった時もそうです。ずいぶんすいていました。もう夏休みだというのにガラガラでした。

その前にいった時もそうでした。去年まであれだけすいていたことなどなかったのに、夏だというのにガラガラです。動物園がです。

動物園でもそうなのです。では、他のところはどうなるのでしょう。(観光業、飲食業、その他)

そういう危ないところがもうそこらじゅうにあるのです。そういうところも補償しないとみな潰れてしまいます。

そういうところがすべて潰れるなら、日本には何もなくなってしまいます。

とにかく、この新型コロナは金がかかります。(もう大恐慌が起きそうなのですから)もうバンバン配りまくりましょう。(中国のようにです。〔苦笑〕)通貨発行権がある日本政府が、その自国通貨(円)をです。

日本中の人々にです。そうすれば、これほどのピンチもです。

あるいはチャンスに変えられるかもしれないからです。というか、金をいくらでも配れる(インフレにならない限り…この状況ではインフレになるわけがありませんが)政府がそれをしないと、先ほども書きましたが、大方のところは潰れるからです。(そうして医療機関も潰れて死人続出となります)

とりあえず、あの予備費(十兆円もある)からでも出してもらえませんか。いま一番必要なところに現金をです。予備費はすぐにでも出せると思うからです。今すぐ出しても、このコロナの異常な広がり方です。遅いくらいだからです。

しかし、これではです。一体いくらその金が必要になるのか、想像がつきませんよね。このコロナ禍はまだまだ終わりそうもないからです。そうしてその他の災いもです。

今の心のままの人たちばかりならまだこれからいくらでも起きてくるのです。その災いはです。

それではザルで水をくんでいるようなものなのです。どれだけ金をばらまいてもすべて消えてしまうということです。

たまって来ないということです。心が悪い人たちばかりでは、その金はすべてどこかに流れていってしまうからです。

心を変えるということは、そのザルの穴を段々小さくしていくことと同じなのです。ザルの穴が小さくなるなら、段々水もたまってきます。

水がたまってくるようなら、金もたまって来て、幸福もたまってくるのです。

心を入れ替えてはどうでしょう。この神理に合わせてです。

そうすれば(禍ではなく)奇跡が現れて来て段々幸福になっていくからです。

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8月 09 2020

神を信じた正しい判断

昨日でも朝もはよから怒っていました。どこかの会社などです。

そうして、その日一日怒っていました。よくああも毎日怒っていられますよね。この会社などもう毎日何か起きているようだからです。

しかし、怒りより先に怖くはないのでしょうか?次は自分に何か起きるかもしれないとか思わないんですかね。この連中はです。

本当に不思議ですね。この辺りの人たちは、そういう発想の人たちばかりです。(大人から子供まで)何で怖がらず怒っているのでしょう。

怖くはないのでしょうか?癌になるような人がドンドン出ているにもかかわらずです。

普通であるならです。こんなことばかり起きれば怒りより先に恐れがくるはずですが(または絶望ですか。もう自分がいつ癌になるか知れないなどと思ったら先がありませんもんね。普通は絶望しますよね)しかし、この辺りの人たちは全然恐れません。

本当に頭がおかしいのではないでしょうか。もうボンボン災いが現れているにもかかわらず、それをまったく恐れようとしないからです。

恐れるどころか災いに対し怒っているだけだからです。

そのような傲慢な態度がよけい災いを呼んでいるのです。正しい態度を誰も取ろうとしないからです。

だいたい態度がおかしですよね。この辺りの人たちは誰もです。

普通であるならこんなことが立て続けに起きれば、恐れおののいてお経を上げるだの、お祓いをするだの、もう少し焦ってもいいはずですが、この辺りの人たちは焦るどころか、それを私のせいにしてただ怒っているだけです。

それで最近などもうこの辺りは、ひどい災いがボンボン現れているようなのですが(そういうところが多いようなのですが)それでもそれを私のせいにし続け(バカの一つ覚えか、と突っ込みたくなりますが。〔苦笑〕)何一つ自分たちの態度は変えようとしない、バカじゃないでしょうか。

態度を変えれば起きてくることは変わるのにです。態度をいつまでも変えようとしないから、いつまでも同じ(恐ろしい)ことが起きているのにです。

だからもう気づいたらどうでしょう。私のいうことをきかないから悪いことが起きているとです。そうして私のいうことをきくなら、その悪いことは起きなくなるとです。

それが事実であるからです。どれだけ認めたくなくてもです。

しかし、それだけ災いが起きているのならです。(どこかの会社を筆頭に、そういうところがいくつもあるようですが)普通であるなら、もう同じ態度はやめようと誰だって思うはずですが、この辺りの人たちの多くは(そこもほんと不思議なんですが)どれだけ災いが起きてもです。

嫌がらせをやめようとしません。私の顔を見れば嫌がらせです。(これもまたどこかの会社を筆頭にいくつかの会社や運転手連中など)それでまた災いが起きる、その繰り返しなのです。

そういうことをし続けているところがいくつもあるのです。

分からないのでしょうか?そういうところは、その嫌がらせをやめない限り、災いは止まらないとです。止まらなくてもいいのでしょうか?それよりも悔しさが先に立って、それでやめられないのでしょうか?

しかし、災いが起きてくるより嫌がらせをやめた方がよほどいいと私は思うんですが、そうして、それだけでは災いが止まらないということであればです。(そういうところがほとんどでしょうが。ずいぶん悪いことをしていますから。こういう連中はです)

それこそ、頭を下げて布施した方がいいと思うんですが、そのような災いが起きるだけでも不幸なのに、その災いでもし自分が命を落とすようなことでもあればです。

地獄に行かなければいけないということももう分かるはずであるからです。

そういうことを私はすでに何度もいっているからです。

私のいうことはずいぶん当たっています。もう信じてもいいのではないですか。それを信じようとしない人たちにこれだけ災いが現れているからです。そのような災いが現れることが証明なのです。

私のいうことを信じないといけないというです。

しかし、未だ多くの人たちは私のいうことを信じようとしない。だからバカじゃないかといっているのです。

私のいうことを信じ行うなら救われるのにです。しかし、信じないから(そうして私のいうことに従わないから)不幸が起きているのにです。

しかし、それをいつまでたっても認めない。その通りのことがこれだけ起きているにもかかわらずです。

その通りのことが起きているのですから、これだけ正しい話もないはずですが、それが分かっているのに、それでもその事実を認めず、逆らい続けている。

では、その災いは止まりません。私のいうことをきかないからです。

私の(神理を説いて奇跡が起きている者の)いうことをきない限り、災いは止まらないからです。

しかし、昔の人たちなら(何度もいいますが)こういうことが何度も起きて来たのなら、もう奇跡が起きている者のいうことを信じ従ったのです。だから救われたのです。災いもおさまったのです。

その奇跡が起きている者のいうことこそ唯一正しいことであったからです。

だから災いが止まらないのです。その奇跡が起きている者以外の人のいうことは、間違っているからです。(いっていることにどこか一ヶ所でも間違いがあれば、それは正しいとはいわないからです。すべて正しくないと正しいとはいえないのです)

少なくともです。いま起きている災いについて、正しいことがいえるのは、神理を説いて奇跡が起きている者(私)だけなのです。

その者がいっていることが正しいから奇跡が起きているからです。その起きている災いは奇跡でないと(奇跡が起きて来ないと)止まらないからです。

だから、奇跡が起きている者のいうことをきかないといけないというのですが、しかし、現代の人たちは、その唯一正しいことをいって奇跡が起き続けている者のいうことを無視し、同じ間違いを(同じ態度を)し続けています。

だからいつまでたっても災いが止まらないのです。増えてくるのです。間違いをし続けているということは、ドンドン心が退化しているということであるからです。(間違いをし続ければ当然心は退化しいきます)

心が退化すればするだけ災いは増えてくるからです。(だから逆に心が向上すればするだけ奇跡も増えて来ます。釈尊、キリストがよい例です)

何で、災いが(必ず)起きるのに、神理を説いて奇跡が起きている者に嫌がらせをし続けているのですか?

何で、災いが起き続けているのに、神理を説いて奇跡が起きている者のいうことをきこうとしないのでしょう?

それでは災いは止まらないのです。

いい加減、まじめに考えませんか。いま起きていることをです。あまりに軽く見すぎているのです。現代の人たちは、その起きている災いをです。

だから私のことも、私のいうことも、そうして私に起きていることも軽く見ている。(見すぎている)私のいう神という言葉を信じないからです。

しかし、昔の人たちは、その神という言葉を重く見て、起きていることを真剣に考え、そうして従ったのです。

そのような奇跡が現れる人にです。皆、神を信じていたからです。

それが唯一の正解であったのです。だから、救われていった。昔の多くの人たちはです。

神を信じ、正しい判断が出来る人が多かったからです。

しかるに現代の人たちはあまりに間違った判断しか出来ない人が多い。

神を信じない人が多いからです。(もうそこから間違えています。だから神を信じないということは最初から間違えているということなのです)

それがこれだけ多くの不幸を呼んでいるということです。神を信じない人が多いがためにです。

しかし、もう神を信じて、正しい判断をしないといけない時が来ています。いつまでも神を信じないばかりに、どれだけ多くの災いが起きているか知れないからです。

実際、そのような災いがもうすさまじい勢いで起きているからです。

さすがにもう、それが分かるところまで(分からないといけないところまで)来ているのではないでしょうか。いくら神を信じようとしない現代の人たちであってもです。

この災いは多くの人の間違った判断(考え)によって現れて来ているものです。

もう神を信じて正しい判断をされませんか。そうすれば、その起きている災いは起きなくなるからです。

神を信じれば多くの奇跡が現れて来ます。奇跡が起きている者のいうことをきいてはどうでしょう。

そうすれば多くの人たちが救われていくからです。

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