7月 15 2020
陋習(ろうしゅう)を破る
また、昨日、一昨日の大雨で川の氾濫や土砂崩れ、冠水が相次いだようですね。(それで亡くなった人もいるようですが)
まだこの大雨は(いったんは上がるようですが)週末にかけて続くようです。一体どれだけ悪いことが続けば気がつくのでしょう。自分たちの間違いにです。
前回のようなブログを書けばずいぶん怒っていますね。ダメな大人たちがです。(苦笑)
しかし、ダメなものはダメだから仕方がありません。だから日本は滅びかけているのです。ダメな人が多いからです。しかしそれは大人だけではありませんね。
ああいうブログを書けば子供らまで意識して、昨日歩いていて会った小学生などふてくされた態度で嫌がらせをしてきましたし(いかにも「お前のいうことなどきけるか」という態度でです)女子高校生や中学生、数人とも行き合ったのですが、急におどおどしたり、わざと私を無視したり、意識しているのが丸分かりで、ずいぶん多くの学生がこのブログを見ているのだなと改めて思いました。
昨日はわずか数人の学生と会っただけでしたが、その全員が私のブログを読んでいるようであったからです。
神理恐るべしといったところでしょうか。(笑)この辺りは大人から子供まで多くの人が私のブログを読んでいるようです。
しかし、大人はともかく学生など素直に私のいうことをきけばいいのにね。そうすれば奇跡も現れて来て(心が大人より素直な分)その後の人生は本当に実のあるものとなるのにです。
神理の実践次第で、信じられないくらいよい人生を送る人も出てくるのにです。
しかし、今のまま皆が神理を見るだけ見て、一切実践しようとしなければ、このように日本が滅びかねないほどの災いも現れて来ます。
神理は実践してこそ生命が宿るからです。まったく実践しないでは、それは神理を知らないのと同じであるのです。
だから神も怒るのです。神理を知っている人がこれだけいるのに(特にこちらの人たちなどは)実践している人がほとんどいないからです。
では、それだけ無駄なことはありません。やる気がない者は神理を知るべきではないと神も思っていられるのでしょう。神理を実践する気がない者が神理を見ていても、その神理が活きないばかりか、おかしなとらえ方をされて神理を曲げられてもかなわないからです。
神理は実践しなければ正しさは分からないからです。
昨日も午後から堀川から六番町の辺りを辻説法してきましたが、怒っている人ばかりで呆れましたね。少しも反省する人も感謝する人もいなかったからです。
怒って嫌がらせをしてくる人ばかりです。しかし、もうそういう不遜な人たちに次々に災いが起きているのです。どれだけ天罰を食らえば自分が悪いと分かるのでしょう。
そうして、神の恐ろしさもです。
もうこの辺りだけではなく日本全体が滅びかけているというのにです。
それなのに現代の人たちは神理を真剣に理解しようとしません。どれだけ奇跡が起きても、どれだけ天罰を食らっても、神理のすばらしさも恐ろしさも何も理解しないのです。
これでは神も怒るでしょう。冷やかしもいいとこだからです。他のことはともかく神理の冷やかしは神を怒らせるだけです。
神理を面白半分に知るだけ知って何も実践しないほど恐ろしい行為もありません。いい加減それに気づくべきでしょう。
そのような(中途半端な)人たちのせいで日本は滅びかけているからです。
そういう人たちを相手にするのに疲れて少々神社で休んでいたのですが、そこに一人のオバちゃんがお参りに来ました。
賽銭を上げ、一生懸命祈っているようでしたので「オバちゃん、そんなことしてそれで奇跡が起きたことがあるのか」と声をかけました。
思いっきり無視されましたが(苦笑)まだ分からないのでしょうか?そういうことをいくらしても無駄でしかないとです。
これだけそのようなことをしている人たちにまで災いが起きているのです。こちらなど特にですが、すでに日本中でです。
もし、そのような信仰が正しいのであれば日本全体にこれほどの災いは起きて来ないでしょう。そのような信仰をしている人たちは日本中の至るところにたくさんいるからです。
しかし、そのような信仰などいくらしたところで日本に起きる災いは止まらないのです。止まらないどころか増えているのです。
では、もういい加減理解しないといけないでしょう。
そのような信仰は神の心に叶っていないとです。だから災いが止まらないのである、とです。
そういう信仰をいくらしたところで救われるわけがないのです。その信仰は間違っているからです。
だから、そういう信仰をどれだけしても災いが降りかかってくるのであるし、何の奇跡も起きて来ないのです。
そのような信仰は間違っていたからです。
そういうことに気づかないといけないということです。もうです。どれだけそれを認めたくなくてもです。それが事実であるからです。
だから、これほどの災いが日本中に次々に起きて来ているのです。そのような間違った信仰を多くの人たちがいつまでたっても無神経に続けているからです。
それが神の怒りを買っているということです。だからこれほどの災いも起きるのです。その(これまでの)信仰が正しいのであれば神から守られ、これほどの災いが日本に起きることはないはずだからです。
しかし、ドンドン災いが増えているということは、それだけ神の怒りを買っていることを日本の人たちがしているということであるのです。
その神の怒りを買っている最たる行いが間違った信仰であるということです。(そうして正しい信仰の無視であるということです)
特にこちらの人たちはもうそのことに気づくべきでしょう。身近に次々に奇跡が現れている正しい教えがあるからです。
その教えを目の敵にしている人たちも多いのですが(そういう人たちばかりですが。〔苦笑〕)しかし、その目の敵にしている教えの中に気づきがあるのです。
自分たちの信仰が間違っているという気づきがです。
認めたくはないのでしょうが、自分たちの信仰が間違っているから災いが降りかかってくるのであり、奇跡も起きないのです。その信仰は正しいものではないからです。
目の敵にしている(あるいは無視している)私の信仰が正しいから、私には災いが起きないのであり奇跡も起きてくるのです。
私がしている信仰こそ本当の正しい信仰であるからです。
だから、災いも現れないし、次々に奇跡も現れてくるのです。そうして、その信仰にまともに逆らう人には天罰もくだるのです。
私のしている信仰こそ真実の神の教えであるからです。
そのことにいい加減気づくべきなのです。こちらの人たちはです。いつまでも旧来の陋習に縛られていないでです。
その陋習を破らないといけないのです。そうしない限り、真実の神の教えにはたどり着けないからです。
特にお年寄りなど、その陋習から抜け出ることは至難の業でしょう。もう何十年もそのような信仰を続けて来ているからです。それが正しい信仰であると信じ込んでいるからです。
しかし、もう時代は変わったのです。
そのような間違った信仰をしている人たちに次々に災いが降りかかっているのです。では、もうそんな信仰をいつまでも続けている場合ではないのではないですか。
そんな信仰を続けていれば、いずれ自分にも災いは降りかかってくるからです。
そのような正しい信仰に目覚める時代(正法の世)がもう来ているからです。
だから、こういうことも起き出したのです。間違った信仰をし続けている人たちに次々に災いが降りかかり、ドンドン不幸になっていくという、そのようなことがです。
だからいま現在、多くの人たちに不幸が起き出したのです。多くの人たちがいつまでたっても間違った信仰をし続けているからです。(そのような間違った信仰はもう時代と合わないということです)
これまでの陋習を打ち破り、正しい信仰に目覚めなければいけない時が来ています。
そのような時に陋習を打ち破ることが出来ない者たちは滅びていくしかないのです。
目覚めませんか。正しい信仰であるこの正法神理にです。
神理に目覚めるのなら次々に奇跡が現れて来ます。そのような人たちだけがこれからは救われていくのです。



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