11月 25 2018
大きな恩
昨日のことです。家の近くの交差点を渡って何気なく前を見るとずっと向こうまでよく見えるのです。(近所の人は分かると思いますが、蜆橋の通りです。太平通りの交差点を渡って前を見たら、その蜆橋の向こうまで見えました)
ずいぶん見晴らしがいいので少し驚いたんですが、その道に車がほとんど通っていなかったのです。だから、そんな向こうまでよく見えたんですが、これだけ向こうまで見えることは正月くらいしかないですね。
その道は広くはないのですが、普段からわりと車の通りは多いのです。(トラックもよく通ります)それが昨日はそのくらい(正月くらい)その道を走っている車は少なかったということです。
帰りも同じ道を通ったんですが、同じようにすいていました。本当にガラガラで正月のようでした。
その後、一号線を歩いていったんですが、やはり道路の先の方を見るとよく見えるのです。
しかし、一号線の場合は車が少ないというよりも(車もたしかに少なかったんですけどね)トラックが少ないのです。(ほとんど走っていませんでした)だから先の方までよく見えたのですが、本当に異様ですね。
いくら三連休の中日(なかび)とはいえです。
いくらなんでもすきすぎでしょう。ただの休日だというのに、あちこちの道路は正月三箇日(さんがにち)くらいの車しか走っていないというのですから。
もうトラックの運転手の顔をまともに見られないですね。(バスの運転手も同じですが)あまりに哀れでです。
だってそうでしょう。これだけトラックが減ってしまっては、もういつその走っているトラックの(私にブシュとやってくるトラックのです)運転手もいなくなるかしれないからです。
ムッとした顔をしてブシュブシュやっていく人もいれば、普通の顔をしてやっていく人もいますが、内心はもう怖くて仕方ないでしょう。
これだけトラックが減っていれば怖くないはずがないからです。
自分たちが乗っているトラックが、ドンドン周りからいなくなっていく。そういう状況で(そういう異様な状況で)普通でいられるわけがないのですが、それでも誰も態度を変えようとしない。本当に哀れというしかありません。
だから、運転手の顔をまともに見られなくなってきたといっているのです。
無理をしていることがアリアリと分かるからです。
私に対し、そういう態度は絶対見せないのでしょうが(見せたくないのでしょうが)この状況で怖くないはずがないのです。(運転手連中は何でトラックがいなくなっているのか?その理由もよく知っているでしょうから)もう無理をせず、頭を下げられてはどうでしょう。
素直に自分が悪かったと認めるなら、そこから救われる道がついてくるからです。
それは歩いている人も同じでしょう。難しい顔をして歩いている人が増えてきました。
ムッとして嫌がらせをしていく人も(または普通の顔をして嫌がらせをしていく人も)まだいますが、ずいぶん減りましたね。
そういう人もです。
そういうことをしていても、もう自分が危ないだけだと、どれだけ私のせいにしていても、もう悪いことは止まらないと、理解する人が増えてきているからでしょう。
これだけ悪いことが増えてきては、誰だってそれは分かるでしょう。それが分からず、いまだに私に嫌がらせなどしてくる人は、相当心が低い人たちです。
心が低いから、そのような冷静な判断が出来ないのです。
だってもう小学生だって頭を下げてきますから。(たくさん出てきましたよ。頭を下げてくる小学生がです。調子に乗って嫌がらせしてくるのもいるにはいますが)
小学生でもこの危ない、どうにもならない状況は理解できるのです。
それが大人が出来ないというのですから、そういう人たちは相当心が低いといわざるをえません。
それでどうされるのですか?
怒っている人たちは(心の低い人たちは)ほっとけばいいのですが(そういう人たちはもう少し時間が必要ですから)難しい顔をしている人たちはです。
モタモタしていると、手遅れになります。難しい顔をして歩いているだけでは救われないからです。
また、私に頭を下げていく小学生たちは救われていくでしょうが、いまだに私の顔を見ると嫌がらせをしてくる小学生など、やはり運転手同様、近いうちにいなくなるでしょう。
そういう現象は、運転手だけではなく、学生たちにも同じように現れているはずだからです。(だから学生連中もみな怒っていたのでしょう。ずいぶん前からです)
傲慢で心が汚い者たちは、もうこの時代と合わなくなり、いなくなっていくのです。(病気になっていくのです。それもひどいです)
しかし、私に頭を下げられるくらいの謙虚さと素直さを持ち合わせているのであれば、そのような者たちは救われて行きます。
だから私は、先ほど、私に頭を下げる小学生は救われると書いたのです。そのような心が自分を救うからです。
しかし、そのような心を持ち合わせていない者たちは、救われることはありません。必ずどこかで災いは現れるでしょう。
だから学生たちは、最低、そのくらいの(このブログを読めたことに素直に感謝して謙虚に頭を下げられるくらいの)心にならないといけないのです。
何度もいいますが、そういう心が自分自身を救うからです。
しかし、大人はそれではいけません。大人の人たちも、たしかに最近は頭を下げる人が増えてきましたが、それだけではダメでしょう。
大人の場合は、ちゃんと私に感謝しないと救われないからです。それには報恩の行為は必要であるからです。
もう何度も書いていますので、クドクド書きませんが、子供たちは私に謙虚な心で感謝できれば、それで救われていくのでしょうが、大人たちは謙虚な心で感謝するというのなら、それは報恩の行為が必要です。
大人の場合、そこまで出来て、はじめて感謝したと認められるからです。
では、大人たちは私に報恩の行為まで出来て、はじめて救われるということになります。
されてはどうですか?もうソロソロです。そういう人たちはみな私のブログを読み(または噂をきいて)多かれ少なかれ心を救われている人たちばかりであるからです。
心が救われたのなら、感謝しないといけません。
それをしないから(心が救われた人に対してです)これだけ悪いことが起きているのです。
それだけ自分たちは、その人から受けた恩は大きかったからです。だから、これだけ悪いことがたくさん起きているのです。
多くの人が、その受けている恩の大きさに気づいていないからです。
大きな恩を受けているにもかかわらず、その恩のお返しをいつまでもしようとしなければ、その恩のお返しをしなければいけないという、気づきの現象は、当然、激しくなります。
それがこの辺りには特によく起きているのでしょう。それだけ大きな恩を受けている人たちがたくさんいるからです。(まあ、それを認めない人たちばかりですが。〔苦笑〕)
そういう人が多ければ多いほど、起きる現象も多くなります。その気づきの現象が次々に起きているのが、この辺りでしょう。
だから、それをしない限り(私に対する感謝と報恩の行為)この辺りで起きている災いは止まらないと、私は何度も(何十度も)いっているのです。
それが事実であるからです。
神の教えを知るということは(しかもこれだけしっかりです)生きている間だけではなく、死んだ後まで救われ、その後、輪廻転生して行ったその先まで救われていくことになるのです。
ここで知った正法神理は、自分の心の中に永遠に残るからです。
自分の心の中に正法神理が残っているのなら、その正法神理は、自分の心がある程度のレベルに達するなら、いつでも取り出せるようになります。
そうであるなら、その人はもう未来永劫、救われていくということになります。
この教えはどういう問題に対しても正しい対処の仕方を教えてくれるものであるからです。どこにいようとすぐに神の力が現れてくる、そのような教えであるからです。
ではどこにいても、またどんな状況でも救われていくということになります。
だから、尊ばないといけないというのです。この教えを知るなら、その後、救われる道が永遠についてくるからです。
そういうことが事実であるから、私には奇跡が起きているのだし、私に逆らっている人たちには災いが起きているのです。
それでもまだ突っ張るつもりですか?
それでは逆に、永遠に救われることはないのです。
(この教えをきいていることの有難さ〔有難いとは、有ることが難しい、本当に稀であるという意味ですから〕を理解できない間は救われることはないのです。滅びる前に気づいてください。この教えの本当の有難さをです)



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