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11月 03 2017

行いの違い

今日は休みのところが多くて静かでいいです。(ちょっと騒いでいるところもあるようですが…)

悪魔軍団(どこかの会社)がいないと少々ホッとします。この連中、もうかなり追い詰められているようで、最近は朝から晩までテンパっているからです。

しかし、いつになったら自分たちの間違いが(悪いのが)分かるのでしょう。何か起きるたびに(自分たちの行いは棚に上げ)それを人のせいにして怒っています。

本当に哀れなものです。自分たちが悪いと気づかない(認めない)間は、その災いは止まらないからです。

マァ、哀れなのはこの連中だけではありません。この辺りにはたくさんいます。そのような人たちも早く気づいてほしいものです。自分たちが気づかない間は(悪いことを私のせいにしている間は)不幸は起き続けるからです。

昨日は一昨日と対照的でしたね。

というのも、前に通った時まではうるさかったのに(ガンガンやられて)昨日通ったら全然静かになっていた、という会社が三、四社もあったからです。

これだけ一変に(私から見たら嫌がらせばかりして来る)札付(ふだつき)の会社が、静かになるのも珍しいですね。近くを通る時に散々冷やかしたのにです。(「お前ら早く謝ってブログ代はらえ」とか〔静かだったので〕「死んでないか」とかです。普通なら怒ってガンとかゴンとか、やってきてもおかしくないところですから)

最近は急に態度を変えるところも多いです。何が起きているのか知りませんが、あまり私に嫌がらせをし続けている会社など、昨日書いた通り早く詫びを入れた方がいいと思うんですが(必ず災いが起きるからです)こればかりは本人たちの心次第です。

いつまでも、くだらない意地など張らず折れてくれることを願うばかりです。静かにすれば災いが止まるというものではないからです。

静かにしていても、災いは起きてくるからです。(嫌がらせの罪はそのまま残りますから。その罪はどこかで現われます)

だからといって、怒ってまた嫌がらせを始めればもっと災いは起こります。(どこかの会社がその典型です)

心と行いを変えない限り、その災いは止まらないのです。その道の専門家(宗教家)まで同じこと(間違い)をして同じ災いを受けています。

すでにそういう時代に入ったということを自覚すべきでしょう。

もうこれまでのどのような教えも(坊さんや教祖の)どのような力も(神社仏閣、仏像などのです)通用しないのです。(偽の教えや偽の力は通用しないということです)

本当の正しい神の教えを勉強し心と行いを変えない限り、そのような災いはどこかで現われます。だから、もうやるしかないのです。

それ以外で災いから逃れる術はないからです。(まだ分かりませんか、これだけ全国各地で異常現象が起きていてです)

いつまでも、いつ自分が病気になるのか、などとビクビクしていても仕方ないでしょう。そうして、それを「あいつのせい」と恨んでいても、そのような心を持てば持つだけ自分が苦しいだけなのです。

私のせいであろうが(全然違うんですが)誰のせいであろうが、そういう状況が変わらないのであれば、そういう(恨みの)心を持てば持つだけ損ということになります。(苦しいのがずっと続くからです)

では、そんな心などさっさと捨てて心を入れかえた方がよほどよいのではないですか。少なくとも心が変わるなら、その分、楽になるからです。

状況が変わらなくても、苦しい心が楽になるなら、その分は救われます。だから、私などをいつまでも恨んでいないで、もう許してあげてはどうでしょう。(というか、それは逆恨み以外の何ものでもないのですが…)

そういう許しの心が出てきて、自分の心が変わるなら、本当に自分自身が救われるからです。

これは一つの例ですが(このような心が本当の神の教えの心です)要は愛の心を持てばいいのです。そうして愛の行為を行えばいいのです。そうすれば救われていくからです。(その愛の心、愛の行為が自分が返ってきてです)

昨日私は堀川に行ったのですが、昨日の堀川はたくさんのボラが水面近くまで上がってきて泳いでいました。

もうソロソロカモメが来る頃です。(そういえば今年は遅いですね。いつもならもう来ていてもおかしくはないからです。〔もう十一月ですから。一度、数十羽が来たのですがすぐにどこかに行ってしまいました〕)カモメが来ると魚たちは顔を見せなくなります。

もう魚たちの顔もとうぶん見られないなと思い、いろいろ、そのボラたちに向かって声をかけていたんですが、元気がよいこと、よいこと、ピョンピョン跳ねて、あまりに跳ねすぎて川の手すりにまでぶつかるものまでいて、本当にかわいいものでした。(あのぶつかったボラが死んでいないか心配です。凄い勢いでぶつかり思いっきり跳ね返っていましたから。〔苦笑〕)

愛ある行為を行うなら、このような愛の行為が返ってきます。そういう魚たちを見ているだけで心が癒されるのです。

多くの人たちは(特にこの辺りの人たちは)怒りや憎しみの行為しか行っていないのです。だから自分たちにその行為が返ってきて、自分たちが不幸になっているのです。

そのような行いは(怒りや憎しみの)周りを不幸にしかしないからです。周りに不幸を与えればその不幸は自分たちに返ってきます。

その自分たちの行いが自分たちに返ってきているだけなのです。

だから、そのような行為をしていてはいけないと、愛の行為を行わなければいけないと何度もいっているのです。

愛の行為を自分たちが行わない限り、自分たちに愛の行為が返って来ることはないからです。

そのような行いは何もいま始まったことでもないんでしょう。(私のせいにしていますが)昔から、皆さんは怒りや憎しみの心を多く持っていたはずです。(表には出していなかっただけでです)だからこれまで何の奇跡も起きていなかったのです。

心が悪かったからです。

そういう普段からの心が自分自身を不幸にしているのです。何度もいいますが、すでに時代が変わっているからです。(そういう末法の心のままでいては正法の世では必ず災いが起きてきますから)

それを私のせいにしているだけなのですが、だからいっているのです。心と行いを変えないといけないとです。

末法の心(怒りや憎しみの心)のままでいては必ず不幸になるからです。

私は毎日のようにこのブログを書き、人の心を救っています。(そうして表に出て行き、多くの人々の間違いを正しています)人の心を救うブログを書く時に怒りや憎しみが心に満ちているでしょうか?

そういう心でいては人の心を救えるものなど書けないのです。

人の心を救うものを書く時は、愛の心を持たないと書けないのです。だから、そのような心と行いが自分に返ってきて、それで様々な(愛ある)奇跡が起きているのです。

単に普段からの行いが自分に返ってきているだけなのです。

だから私と皆さん方の違いは、ただ、その行いの違いだけということになります。

だから普段から愛ある行いをしないといけないのです。

普段から、人の悪口などいって、怒りや憎しみばかりの心になっているなら、その心は必ず自分に返ってくるからです。

だから、現在起きている現象は、そういう普段からの行いが、時代が変わったためによりよく現われているというだけの話しにすぎないのです。

この辺りの人たちは、そういう自分たちの普段からの心が悪かったせいで起きていることを私のせいにしているだけなのです。

だからよけい悪いことが起きてくるのです。それでは悪い心をよけい汚すことになるからです。(だから悪いことが起きているということは、それだけ自分の心が悪いということを現していることになるのですから、恥ずかしいことなのですが…悪いことが起きているのに堂々としている人が多くて呆れます。それを全部、堂々と私のせいにしているのですから開いた口がふさがりません)

悪いことを人のせいにしている暇があるなら、心を入れかえよいことをしませんか。そうすれば黙っていてもよいことが返って来るからです。

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11月 02 2017

筋を通す

昨日もあちこちでどえらい怒っていましたね。

ほんと、何をそんなに怒っているんでしょう?逆に不思議ですよね。そんなに人に怒るようなことなどそうは起きないと思うからです。(私のように、そこらじゅうで嫌がらせを受けているとでもいうのなら話は別でしょうが)

しかし、ガンガンガンガンガンばかりじゃなく(そういう会社もあったんですが)ある会社など近くを通ると、急に人がバラバラバラと会社の中から出てきて(私が歩いているのはすぐに分かりますから。鳥が騒ぎますから)みな私の方を見ているのです。

その会社は散々、私に嫌がらせをして来たところでした。(だからもう毎日祈ると宣言してあります)

その会社に何か起きたことがよく分かりましたが、私はその人たちにむかい、詫びをいれてブログ代を払ってくれと、そうしないと祈りはやめないと、はっきりいってきました。

悪いとは思いますが、嫌がらせをしてきたのはそちらの方です。それに、それまで私は何度も説明したのです。私が悪いわけではないと、悪いのは嫌がらせをしている方であるとです。(辻説法)

しかし、その会社の人たちは私のいうことをきこうとしなかったのです。

それでもまだ嫌がらせをしてきたから毎日祈ることにしたのです。それを悪いことが次々に起きてきたからとはいえ(直接いわれたわけではないのではっきりは分かりませんが)一言も詫びを入れられたわけでもないのに(ただこちらをボケッと見ているだけで)祈りをやめるわけにはいきません。(一人二人、頭を下げた人がいたかもしれませんが〔それもはっきり分かりませんでしたが〕それは詫びを入れたとはいいませんから。単に頭を下げただけです)

ちゃんと筋は通してください。(詫びとブログ代)筋さえ通せば、その災いは黙っていても止まるからです。

それは怒っている人たちも同じなのです。こちらは何度も(何度どころか、何十度も何百度も)嫌がらせをされ、何度も(これも同じです。何十度も何百度も)辻説法をしているのです。

それにもかかわらず嫌がらせをやめなかったのはそちらなのです。だから毎日そういう人たちを祈り出したのです。

だから筋を通してもらわねば毎日の祈りをやめるわけにはいきません。そこはご了承ください。(何度もいいますが、そういう人たちが病気をしても、仮に死ぬことになっても筋を通してくれるまでは祈りはやめません。それがその人たちのためであるからです。ちゃんと筋を通してください。そうすれば祈りはやめるからです)

それに一番ひどいことをされているのは私なのです。(そこはお分かり何でしょうか?)

自分が人にした行いは必ず自分に返ってきます。その法則通りのことが自分たちに起きているにすぎません。

では、その自分たちが私にした行いを反省し、私に詫びを入れない限り、その現象は止まりません。

それをしてください。そうすればその現象は止まるからです。(逆にいうなら、それをしない限りは止らないということです。その災いの原因をつくったのは誰でもなく自分たちであるからです)

こういう人たちは、どれだけいっても悪いことを人のせいにし続けていますが、しかし、このような人たちはともかくです。(マァ、いってみればシロウトですから)

宗教の専門家である(ということは、原因、結果の法則を知っている)どこかの宗教団体の会員の人たちまで(そこは相当大きな教団ですが)凄い怒り方をしています。(昨日など舌打ちまでされましたから。その信者のオバちゃんにです。〔苦笑〕)

しかし、それはお門違いでしょう。仮に私が祈って何かをしたとしても、そのような人たちなら自分たちの教団の教義で何とでもなるはずです。(題目かなにかを上げればすぐに止まるでしょう。そんな災いは)

それを私のせいにして怒っている、お門違いもいいとこです。

そこの教団はたしか一千万人の信者がいるところではなかったですか?

そんな大きな教団の会員さんが、たった一人でやっている私が何かしたところで、ちょちょいのちょいで何とかならないのでしょうか?

もし、何ともならないというのなら(だから怒っているんでしょうが)その教団の教義は間違っているのでしょう。

では、潔く自分たちが間違っていました。正しい教えを教えてくださいと私に頭を下げるべきではないでしょうか。

間違った教えをいくら勉強しようと不幸になるだけであるからです。(今のようにです)

私は正しい教えを勉強しているからこのような状況でも奇跡が起きているのです。その奇跡が正しい教えを勉強している何よりの証拠です。

その教団の会員が一千万いようが、二千万いようが、世界中に何億も何十億もいようが、間違いは間違いなのです。

その教えが正しいという人が一人か二人しかいなくても、正しいものは正しいのです。

別に宗教は多数決ではありません。

正しいか、正しくないのかが、はっきり分かる時代になったのですから(正しければ奇跡が、間違っていれば災いが、すぐに現れる時代になったのですから)怒っている暇があるなら、その正しい教えを信仰すればいいのです。

それが信仰者としての正しいあり方であるからです。(違いますか?)

それなのにあなたたちは自分たちの教えが通用しないと分かると、それを教えてあげた私に八つ当たりして来るというのですから、間違った信仰をしている人たちは何から何まで間違えています。

そういう時は、正しいことを教えてくれてありがとうと感謝しないといけないのです。

それが信仰者として当たり前の態度であるからです。

私に、そういう間違った態度をして来る教団の信者は何もここだけではありません。だいたい名の通った大きな教団の信者は(既成、新興、問わずです)みな同じように私に嫌がらせをしてきます。(だから坊さんも同じです。私に説法してきた坊主など一人としていませんから。説教して心を入れ替えさせる。こういう人たちはそれが仕事のはずです。それが嫌がらせしかしてこないというのですから話になりませんね)

ということは、みな自分たちの教えは間違っていると認めているようなものです。(それでは宗教者としては負けを認めているようなものですよね。一人として私に説教してこないのですから。有難いご高説をこちらはききたいのに一人としてそれをしてこない。嫌がらせしかしてこないというのですから、それは自分たちの教えが間違っていると自ら認めているのです)

では、もう潔く自分たちの負けを認めて、この教えに従ってはどうでしょう。それが信仰者として筋を通すということであるからです。

とにかく、この辺りで不幸な人が多いのは皆が皆、筋を通さず曲がったことをしているからです。

だから不幸になるのです。

筋から外れたことをしているのであれば、悪いことが起きてくるのは必然であるからです。

この辺りの多くの人たちの心を救ったのは私であるのだし、間違った信仰の間違いをちゃんと教えてあげたのも私なのです。

それをなかなか納得できないからと、私に八つ当たりしたところでよいことが起きるわけがないのです。

全部自分たちが悪かったからです。

もう正法の世となり本物しか通用しない時代になったのです。

だからこれまでの偽の教えに騙されている人たちに次々に災いが起きだしたのです。

それは私のせいではなく、自分たちのこれまでの間違いが、時代が変わったことにより一変に現われ出したにすぎないのです。それは、この辺りの現象ばかりでなく、激しくなった天変地変でも、各地で起きている異常現象でも分かるのです。

それをいつまでも理解せず(これだけ私がいっているにもかかわらずです)同じ(間違った)ことをし続けているからまた悪いことが起きてくるのです。

とりあえず、筋を通しませんか。

そこから正しい行いは始まるからです。

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11月 01 2017

よいこと

昨日は名古屋港に行ってきたんですが、もうカモメもたくさん来ていて(それでも二~三十羽くらいいただけですが)海の上を飛びまわっていました。

これでは魚も跳ねないなと思いながら名古屋港の岸壁で声をかけていると、カモメがいるにもかかわらずたくさんの小魚が底から上がってきて、水面近くで泳いでいました。

その小魚たちは少しの間、水面近くを泳いでいますがまたすぐもぐって行ってしまいます。(それはそうでしょう。カモメが上空を飛びまわっているのですから)岸壁をしばらく行ったり来たりしていたら、そういうことが二、三度ありました。

カモメも近くまで飛んでくるのがいて、カモメも魚もかわいいものだなと、人とはえらい違いだなとつくづく思っていると(苦笑)そのうちにカモメが少しはなれた沖の方まで飛んで行ってしまいました。

それで私が「お前らカモメがずいぶんはなれて行ったぞ」と海に向かって声をかけていたら、また、底からたくさんの小魚が上がってきたのです。

ところが今度は、その小魚たちは水面近くまで上がってくるだけではなく、水面まで上がってきて跳ねだすものまでいます。

私は「えっ」と思いました。

先ほどまでは水面より少し下の辺りまでしかこなかった小魚たちが、私が「カモメがはなれた」と声をかけたとたん、水面まで上がってきて跳ねることまでするのです。

まるで私の言葉を理解しているかのような行いなのですが、こういうことでも分かります。動物たちはちゃんと人間の言葉を理解しているということがです。(信じられないかもしれませんが事実です。昨日ちゃんとそういうことが目の前で起きましたから。小魚まで人の言葉が分かっているのです)

いま熊などに襲われる事件が相次いでいますが、こういう光景を見ると(人ばかりでなく熊などとも)話し合いで何とかならないものかと思えてなりません。

人のいうことなど分かるわけがないとはなから思わず、もう少し動物の心も考えて、私たちは生活していかないといけないのです。

動物は、人間の言葉をしゃべれないだけでちゃんと人間のいうことを理解しているからです。

それはともかくです。その帰りのことです。

怒っている人たちのオンパレードでした。本当によく怒っていました。

それはこの辺りでも同じなんですが(今日もどこかの会社はお怒りです)しかし、この人たちは怒っているのはいいんですが、何かよいことはしているのでしょうか?

仕事は自分の肉体維持のためであり、特別よいことではありません。(マァ、仕事を通して社会貢献をしているということもありますから、まったくよいことをしていないとはいいませんが、所詮は取引です。無償の愛ではないのです)

自分たちが何もよいことをしていないようではよいことは起きてこないでしょうし、よいことどころか、自分たちは怒って嫌がらせしかしないのに、悪いことが起きてきて、それを私のせいにされても、それは自分のせい以外の何ものでもないのです。

何度もいいますが、自分のしたことは自分に返って来るからです。だから、よいことをしなければ自分によいことが起きることはないのです。

昨日は北海道の方から寄付をいただきました。

心を救われたことに対する報恩の行為、こういうことをよいことというのですし、何もされないのに人の心をドンドン救っていく、これほどよいこともありません。(しかも自分の好き嫌いを問わずです。自分が好きな人は救うが嫌いな人は救わない、そういうことはしていません。嫌がらせをしている人の心まで私は救っています)

私は、そういうよいこと(これが無償の愛です)をずっと続けているから、どこに行っても奇跡が現れるのです。(昨日の名古屋港でもそうですが)

自分の行いを棚に上げ、悪いことを人のせいにして怒っているなどこれほど悪いことはありません。そのような悪いことをし続けているから、悪いことが起こり続けているのです。

人に罪をかぶせ、怒りまくっている人たちがたくさんいるようですが、逆恨みもいいとこです。

そんな逆恨みをしている暇があるなら、自分の行いを反省し、少しは奇跡が起きている人を見習ったらどうでしょう。(自分も無償の愛を行ってはどうでしょう)

奇跡が起きている人を見習うなら、同じ奇跡が起きてくるからです。

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10月 31 2017

法の理解度

昨日は全国的にずいぶん風が強かったようですね。(木枯らし一号が吹いたそうですが)

その強風のせいで飛行機が着陸するのに手間取ったり、看板が飛んだりしていましたが、そのような強風ばかりでなく急に寒くもなって雪が降ったところまでありました。(北海道などずいぶん降ったところがあるようです)

本当に天気が安定しませんが、これだけ極端で荒れた天気になったのも、台風二十二号が温帯低気圧に変わり、それが急発達して爆弾低気圧になったからということになりますが、しかし、それは表面上だけのことであり、実際に、その爆弾低気圧を現したのはこのブログを見ている人たちです。(この爆弾低気圧も日本近海でこれだけ急発達するのは珍しいそうですから。凄まじい災いぶりです)

何でこれだけ悪いことが起きるのか?

それは法を知らされている人たちが、いつまでたっても自分の心と行いを直そうとしないからです。

何度ひどいことを起されれば分かるのでしょう。(ほんと重症ですね。何度、悪いことを起きても神の心を理解しようとしないのですから)とにかく、法を知っている人たちの心が悪すぎるのです。だからこんな天気も現われて来るのです。

最近、歩いていると周りに誰もいないのに視線を感じるのです。

誰かいるのかとキョロキョロしていると止まっている車の中に人がいて、こちらをジッと見ているのです。

よく見ていると、あちらの車の中にも、こちらの車の中にもみたいな感じで、よく止まっている車の中から私のことを見ている人がいるのです。

見ているというよりにらんでいる感じですね。皆、相当、怒っている(というより恨んでいる)ようなのです。

歩いていて信号待ちなどしていると、たまに道路の向こう側でやはり信号待ちをしている女性などいるのですが、そういう女性がよく私のことをチラチラ見ているのです。

「何だ、何だ、気があるのか」などと思いながら、信号が変わったので歩いていくと、そういう人は百パーセントすれ違いざまに嫌がらせをしていきます。(足をザッとすったり、この前など持っている傘を地面にガンガン叩きつけながら歩いていくネエちゃんがいました。相当、怒っていました)

よく考えてみれば五十をこえたおっさんに若い女性が気があるわけがないのですが(苦笑)チラチラこちらを見ているのは、みな怒ってにらんでいるようなのです。(ただ、たまにです。たまに頭を下げていく子もいます。本当に少ないんですけどね。〔苦笑〕)

まったく参りますね。相変わらずブシュブシュやっていく運転手も多いですし、あちこちの人が、何から何まで悪いことを私のせいにしているようだからです。

これまで起きていないような悪いことが次から次に起きて来るので、ある程度は仕方がない面がありますが、しかし、この人たちは皆、法を知っている人たちばかりなのです。(私の顔を知っているのだからブログを見たことがある人ばかりでしょう)

そういう人たちが、いつまでたっても法を知らされたことには感謝せず、逆恨みして怒っているだけだというのですから、それでは天も怒るでしょう。

そういう態度を取るのは、その人たちが法をしっかり理解していない何よりの証拠であるからです。

法を知らされているのに(昨日今日、法を知らされたというのならともかくです)何年たっても、その法をしっかり理解しようとしないでは天は怒ります。

これでは、次から次に異常現象が現れ、荒れた天気になるのもある意味、当然なのです。

何年も前から、法を知らされていながら(この世でこれ以上の幸運はないはずなのに)いつまでたっても無理解で無反省な人が多いからです。

法を知らされていて、それだけ進歩のないことではいけません。

だからこれだけ悪いことが起きているのです。法の理解度があまりに低い人が多いからです。

しかし、これだけここに書いていることが起きているのです。ここに書かれている法をいい加減、もっとしっかり理解しませんか(信じませんか)そうすればよいことが起きてくるからです。

よく考えてみてください。ここに書いたことが起きてくるということは、ここに書いていることは天の意志なのであり、だから、ここに書いたことがこれだけ起きてくるのです。

もし、個人の考えだけでここに何か書いているのなら、一度や二度、書いたことが当たることはあっても、そんなに何度も書いたことが起きるということはないはずだからです。

しかし、ここに書いていることは何度も起きているのです。

なぜでしょうか?

それはここに書かれたものが個人の意志で書いているものではないからです。だから書いたことが何度も起きてくるのです。

このブログは天の意志で書かれて(書かされて)いるのです。だから、このブログに書いたことが次々に起きるのです。(だから、このブログをじゃまする者たちには特にひどいことが起きているのです。どこかの会社の連中はもう悲惨の一言です。次から次に何か起きてくるようで引きたくっています。天の意志を現すのをじゃましているのです。当然そうなります)

それを多くの人たちは理解していないのです。だから、平気で無視できるのです。このブログに書かれてあることをです。

そのような人たちは、このブログを私個人が書いていると思っているからです。

しかし、個人のブログでここまで書かれたことが実現することはないのです。それ以上の力がこのブログの中に働いているから、このブログに書いていることが次々に実現していくのです。(だから、このブログに書かれたことを実践すると奇跡が起きるのです。天の力がこのブログの中には働いているからです)

法の理解度が低い人は、それがいつまでたっても分からないのです。

どれだけ書かれたことが起きても、それがどうしたとか、たまたま当たっただけだとか(そういう人は何回たまたまが続けば、たまたまじゃないと理解するのか知りませんが)あまり深く理解しようとしないのです。

表面上だけで簡単に流してしまうのです。だから、このブログの不思議さ、奥の深さが分からないのです。物事を深く考えないからです。(だから、こういう人は一事が万事そうなのでしょう。考え方が浅いのです)

しかし、物事を深く考える人は(たとえばウナッシーさんのような)最初はおかしなことを書いているなと思っても、よく読んでみると案外ここに書かれてあることは深いのではないか、と気がつくわけです。(実際、深いのだから気がつく人は気がつきます)

そうして、法の理解度を深めていくうちにここに書かれたことはすばらしいと理解して、それで実践されるわけです。(すると奇跡が起きるとこういうわけです)

しかし、このブログを見ているほとんどの人は、そこが今一深まらないのです。深いところにいったり、浅いところにいったりして、行きつ戻りつしているわけです。(そういう人が、このブログを長く見ているだけの人たちです。そういう人は、自分の都合のいいところだけ実践したり、時には怒ったりしているわけです)

そうしてこのブログを浅く見ることしか出来ない人たちが、私に怒りの心を持って恨んでまでいる人たちでしょう。

そういう人たちは、見方が浅いので悪いことが起きてきたのは(自分たちの心は一切かえりみず)みな私のせいと単純に思っているわけです。

それで私のことを怒っているわけですが、その怒っている人たちの中には、悪いことが起きたからと、それを逆恨みして私に怒っている人も多いのでしょうが、それもまた見方が浅いから、そういう思いが出てくるのであり、もっと法をよく知るなら、自分が悪かったからこういう悪いことが起きたと理解(反省)できるのです。

だから、理解しないといけないのです。この法をもっと深くです。

そうしないと、中途半端に法を知ったところで不幸になるだけであるからです。

だから、ここに書かれてあることは天の意志であると理解して、布施くらい進んでするのです。

そうすればよいことが起きてくるからです。

それを頑なに拒否しているから、これだけ荒れた天気を現され、周りに悪いことも起きてくるのです。

天のいうことをきかないから、天(気)が悪くなる、これは当たり前のことだからです。

天のいうことをきくなら天気もよくなるのです。

もっと深く法を理解されませんか?

そうすれば必ずよいことが起きてくるからです。

追伸…何度もいいますが、ここに書かれたことは天の意志なのです。私の意志ではありません。

個人的なことを書いていて、これだけ書いたことが実現するわけがないからです。

それを理解するか、しないか、それで自分が幸せになるのか、それとも不幸になるのかが決まるのです。

ここに書いていることを理解し行うなら奇跡が起き、無視し逆らうなら災いが起きます。

なぜ、このようなことが実際に起きているのにいつまでも無視しているのですか?

くだらない意地などもう捨てないといけないのです。

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10月 30 2017

間違った態度

また今回の台風でもあちこちで被害が相次いでいるようです。(でしょうね)

しかも、その台風が温帯低気圧に変わり、また急発達して強い冬型の気圧配置に変わるというのですから目も当てられません。(台風が温帯低気圧に変わってまだ急発達などしますかね。〔爆弾低気圧になったそうですが〕ほんと最悪です)

これから、その温帯(爆弾)低気圧の影響が大きく出そうな北日本や関東の人たちはお気をつけください。

とにかくよい目は出そうもありませんから。

しかし、先週、先々週と週末に台風が来たものですから、この時期は各地でいろいろな催し物があるようですが、その催し物のほとんどが中止になってしまったようです。

大きな被害はあちこちに出るわ、たくさんの催し物は中止になるわ、まさに弱り目に祟り目、本当にいいことが起きません。多くの人が神に逆らっている典型のような出来事が続いています。

それもこれも、本当の神の教えを無視している人が多いからでしょう。そういうことをしていればこのような(最悪な)結果が現われてくるのです。

いい加減、理解していただけないでしょうか。どこの人たちもです。(どこもかしこも悪いことばかり起きているんですから…この辺りは特にそうなんですが東京の人たちでも〔電車の件ばかりじゃなく〕もう八月くらいから晴れの天気がまともに続かないようではないですか。〔天気が悪い日ばかりで〕本当に最悪ですね)

法の大事さをもっと理解しないといけないのです。

とにかくこのブログを見ている人たちが態度を変えないことにはいいことは起きてきません。いつまでし続けるのですか?

そんな神にまともに逆らっているような態度をです。

そのような神に逆らう方ばかり頑張るのではなく、少しは従う方に頑張っていただけないでしょうか。そうすれば(これだけ悪いことばかりも続かず)よい事が起きてくるからです。

本当ですよ。何度もいいますが、このブログを読んでいる人たちが少し態度を変えてくれるだけでいいのです。それだけでもこれだけ悪いことが続くことはなくなるからです。

別に難しいことではないのです。私に対する態度をもう少し変えてくださればそれでいいのです。(この辺りは少しくらいではすまないかもしれませんが。〔苦笑〕)

しかも変える態度も簡単なものです。いま皆さん方が坊さんなどにしている態度を、それをそのまま私にしてくださればそれでいいからです。

誰だってえらい坊さんなど見たら頭を下げて布施くらいするでしょう。それと同じことを私にしてくれればいいということです。

それだけで功徳を得られるからです。

皆さん方は勘違いしているのです。(どれだけいってもです)末法の世の坊さんたちに、そんな態度を取ったところで何の功徳もないのです。

末法の坊さんに人を救う力などないからです。(その坊さんたちは間違った教えを信じているからです。間違った教えでは人を救うことは出来ません)

その何の力もない坊さんたちを(単に昔からの習慣というだけで)えらいと勘違いして尊敬の念を持って布施などしている、これはまったく意味がありません。

そういう意味がないことを続けているから奇跡が起きないのです。(また災いも止まらないのです)

しかし、末法の世に(本当はもう正法の世に変わっているんですが、まだ末法の心を持っている人が多いということでこう書きますが)本当に人を救う力を持っているのは法を知っている人たちなのです。

だから、そのような人たちは(法を知らない人たちは)法を知っている人に、そのような態度を(有難いと合掌したり、布施したりです)取らないといけないのであり、その肝心な法を知っている人たちに間違った態度を取りつづけているから、これだけ悪いことばかりが起きているのです。

そのような法を知っている人たちが、本当にこの世を(多くの人たちを)救える人たちであるからです。

その本当にこの世を救える人たちのいうことを無視したり、逆らったりして嫌がらせまでしている、こういうことをしていてよいことが起きると思いますか?

だから、悪いことが起きているのです。多くの人が態度を大きく間違えているからです。

だから、その間違いを正し、法を説いている人に正しい態度を取るならよい事が起きて来るのです。

それは昔からいわれている通りです。(坊さんに感謝したり、布施などしたりすれば功徳を得る、といわれていることです。それは坊さんではなく、法を説いている人に感謝して布施などすれば、ということなのです)

だから、態度を正してください、といっているのです。

そうすれば黙っていても災いは止まり、奇跡が起きてくるからです。

分かってもらえるまで何度でもいいます。分かってもらわねば、この起き続けている災いは止まらないからです。

今これだけ多くの災いが次々に起きて来るのは、多くの人の態度が間違っているからです。その間違いに気づいて態度を正すなら、今度は多くの奇跡が現れてきます。

それに気づけるのは、このブログを見ている人たちだけなのです。このブログを見ている人たちが気づいて行うなら、これだけ悪いことが起き続けている日本でさえ、よいことが起きて来るのです。

これだけ悪いことが続いているのです。いい加減、折れて(自分たちが間違っていたと認めて)もらえませんか?

こちらがそれを認めるわけにはいかないからです。(悪くない私が悪いと認めたら、今度はこちらに罰が当たりますから。私は折れようがないのです)

とにかく、このブログを読んでいる人たちが、心を入れかえ間違った態度を正してもらうしか、この災いを止める方法はありません。

では、やってもらうしかないのです。それをしなければ、この起きている災いはひどくはなっても収まることはないからです。

すぐにでも態度を正してもらえませんか?そうすればすぐにでも災いは止まるからです。

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