11月 03 2017
行いの違い
今日は休みのところが多くて静かでいいです。(ちょっと騒いでいるところもあるようですが…)
悪魔軍団(どこかの会社)がいないと少々ホッとします。この連中、もうかなり追い詰められているようで、最近は朝から晩までテンパっているからです。
しかし、いつになったら自分たちの間違いが(悪いのが)分かるのでしょう。何か起きるたびに(自分たちの行いは棚に上げ)それを人のせいにして怒っています。
本当に哀れなものです。自分たちが悪いと気づかない(認めない)間は、その災いは止まらないからです。
マァ、哀れなのはこの連中だけではありません。この辺りにはたくさんいます。そのような人たちも早く気づいてほしいものです。自分たちが気づかない間は(悪いことを私のせいにしている間は)不幸は起き続けるからです。
昨日は一昨日と対照的でしたね。
というのも、前に通った時まではうるさかったのに(ガンガンやられて)昨日通ったら全然静かになっていた、という会社が三、四社もあったからです。
これだけ一変に(私から見たら嫌がらせばかりして来る)札付(ふだつき)の会社が、静かになるのも珍しいですね。近くを通る時に散々冷やかしたのにです。(「お前ら早く謝ってブログ代はらえ」とか〔静かだったので〕「死んでないか」とかです。普通なら怒ってガンとかゴンとか、やってきてもおかしくないところですから)
最近は急に態度を変えるところも多いです。何が起きているのか知りませんが、あまり私に嫌がらせをし続けている会社など、昨日書いた通り早く詫びを入れた方がいいと思うんですが(必ず災いが起きるからです)こればかりは本人たちの心次第です。
いつまでも、くだらない意地など張らず折れてくれることを願うばかりです。静かにすれば災いが止まるというものではないからです。
静かにしていても、災いは起きてくるからです。(嫌がらせの罪はそのまま残りますから。その罪はどこかで現われます)
だからといって、怒ってまた嫌がらせを始めればもっと災いは起こります。(どこかの会社がその典型です)
心と行いを変えない限り、その災いは止まらないのです。その道の専門家(宗教家)まで同じこと(間違い)をして同じ災いを受けています。
すでにそういう時代に入ったということを自覚すべきでしょう。
もうこれまでのどのような教えも(坊さんや教祖の)どのような力も(神社仏閣、仏像などのです)通用しないのです。(偽の教えや偽の力は通用しないということです)
本当の正しい神の教えを勉強し心と行いを変えない限り、そのような災いはどこかで現われます。だから、もうやるしかないのです。
それ以外で災いから逃れる術はないからです。(まだ分かりませんか、これだけ全国各地で異常現象が起きていてです)
いつまでも、いつ自分が病気になるのか、などとビクビクしていても仕方ないでしょう。そうして、それを「あいつのせい」と恨んでいても、そのような心を持てば持つだけ自分が苦しいだけなのです。
私のせいであろうが(全然違うんですが)誰のせいであろうが、そういう状況が変わらないのであれば、そういう(恨みの)心を持てば持つだけ損ということになります。(苦しいのがずっと続くからです)
では、そんな心などさっさと捨てて心を入れかえた方がよほどよいのではないですか。少なくとも心が変わるなら、その分、楽になるからです。
状況が変わらなくても、苦しい心が楽になるなら、その分は救われます。だから、私などをいつまでも恨んでいないで、もう許してあげてはどうでしょう。(というか、それは逆恨み以外の何ものでもないのですが…)
そういう許しの心が出てきて、自分の心が変わるなら、本当に自分自身が救われるからです。
これは一つの例ですが(このような心が本当の神の教えの心です)要は愛の心を持てばいいのです。そうして愛の行為を行えばいいのです。そうすれば救われていくからです。(その愛の心、愛の行為が自分が返ってきてです)
昨日私は堀川に行ったのですが、昨日の堀川はたくさんのボラが水面近くまで上がってきて泳いでいました。
もうソロソロカモメが来る頃です。(そういえば今年は遅いですね。いつもならもう来ていてもおかしくはないからです。〔もう十一月ですから。一度、数十羽が来たのですがすぐにどこかに行ってしまいました〕)カモメが来ると魚たちは顔を見せなくなります。
もう魚たちの顔もとうぶん見られないなと思い、いろいろ、そのボラたちに向かって声をかけていたんですが、元気がよいこと、よいこと、ピョンピョン跳ねて、あまりに跳ねすぎて川の手すりにまでぶつかるものまでいて、本当にかわいいものでした。(あのぶつかったボラが死んでいないか心配です。凄い勢いでぶつかり思いっきり跳ね返っていましたから。〔苦笑〕)
愛ある行為を行うなら、このような愛の行為が返ってきます。そういう魚たちを見ているだけで心が癒されるのです。
多くの人たちは(特にこの辺りの人たちは)怒りや憎しみの行為しか行っていないのです。だから自分たちにその行為が返ってきて、自分たちが不幸になっているのです。
そのような行いは(怒りや憎しみの)周りを不幸にしかしないからです。周りに不幸を与えればその不幸は自分たちに返ってきます。
その自分たちの行いが自分たちに返ってきているだけなのです。
だから、そのような行為をしていてはいけないと、愛の行為を行わなければいけないと何度もいっているのです。
愛の行為を自分たちが行わない限り、自分たちに愛の行為が返って来ることはないからです。
そのような行いは何もいま始まったことでもないんでしょう。(私のせいにしていますが)昔から、皆さんは怒りや憎しみの心を多く持っていたはずです。(表には出していなかっただけでです)だからこれまで何の奇跡も起きていなかったのです。
心が悪かったからです。
そういう普段からの心が自分自身を不幸にしているのです。何度もいいますが、すでに時代が変わっているからです。(そういう末法の心のままでいては正法の世では必ず災いが起きてきますから)
それを私のせいにしているだけなのですが、だからいっているのです。心と行いを変えないといけないとです。
末法の心(怒りや憎しみの心)のままでいては必ず不幸になるからです。
私は毎日のようにこのブログを書き、人の心を救っています。(そうして表に出て行き、多くの人々の間違いを正しています)人の心を救うブログを書く時に怒りや憎しみが心に満ちているでしょうか?
そういう心でいては人の心を救えるものなど書けないのです。
人の心を救うものを書く時は、愛の心を持たないと書けないのです。だから、そのような心と行いが自分に返ってきて、それで様々な(愛ある)奇跡が起きているのです。
単に普段からの行いが自分に返ってきているだけなのです。
だから私と皆さん方の違いは、ただ、その行いの違いだけということになります。
だから普段から愛ある行いをしないといけないのです。
普段から、人の悪口などいって、怒りや憎しみばかりの心になっているなら、その心は必ず自分に返ってくるからです。
だから、現在起きている現象は、そういう普段からの行いが、時代が変わったためによりよく現われているというだけの話しにすぎないのです。
この辺りの人たちは、そういう自分たちの普段からの心が悪かったせいで起きていることを私のせいにしているだけなのです。
だからよけい悪いことが起きてくるのです。それでは悪い心をよけい汚すことになるからです。(だから悪いことが起きているということは、それだけ自分の心が悪いということを現していることになるのですから、恥ずかしいことなのですが…悪いことが起きているのに堂々としている人が多くて呆れます。それを全部、堂々と私のせいにしているのですから開いた口がふさがりません)
悪いことを人のせいにしている暇があるなら、心を入れかえよいことをしませんか。そうすれば黙っていてもよいことが返って来るからです。



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