>>ブログトップへ

7月 10 2016

災いが起きる人生と奇跡が起きる人生の違い

昨日の荒れた天気から一転して今日は朝からいい天気です。(どこかの会社が休みだとほんと天気が違います。〔苦笑〕)

いい天気はいいのですが、この時期いい天気になりますとかなり暑くなります。今日も暑くなりそうです。(熱中症には気をつけましょう。一週間ほど前に母も気分が悪いと医者に行ったら日射病といわれたそうです。ほんとこの時期は気をつけないと怖いです)

その暑いといえばです。昨日も熱い人が多かったです。(熱く怒っている人がです)

あの不正を働いた大手の自動車会社のディーラーの従業員もやたら熱く怒っていましたし(白鳥公園の近くに、その会社の自動車ディーラーがあるものですから)別の大手会社の従業員も激しく怒っていたのですが、こういう怒っている人たちはみな私に嫌がらせをして来た人たちなのです。

そうして、私のブログも読んでいる人がいるようなのです。(このブログにおかしなことを書くとやたら怒っている時がありますので)

この怒っている人たちは、私のブログを読んでいるにもかかわらず少しも感謝しないで、そうして、私に散々嫌がらせをしておきながら、それを一言も詫びようともしない、それで悪いことが起きると私のせいと怒っているのです。

これではあまりに都合がいいのではないでしょうか。

いってはいけませんが、こういう人たちばかりなのです。(私の周りはです)だから悪いことばかり起きているのです。

そういう都合のいいところをまったく反省しようとしないからです。

その都合のいいところを直さない限り、悪いことは起きてきます。自分たちの罪を(私に感謝がないことや嫌がらせをしたことです)そのままにしていれば、その罪はいつかは自分に返ってくるからです。

反省をしない限り、その罪は消えないからです。

その自分たちが放置している罪が(この人たちは反省ということを知らないようですから)ただ自分たちに返ってきているだけなのに、それをこの人たちは私にせいにして怒っているのです。

どれだけ都合がいいのでしょう。だからよけい悪いことが起きるのです。(悪いことを二重、三重に重ねているからです。悪いことをしているという自覚があまりなさそうですが、とんでもありません。自分たちが知らないだけで、そういう人たちはずいぶん悪いことを重ねているのです)

反省されてはどうでしょう。それ以外にもう救われる道はないからです。(何度もいいますが、自分の罪を認め反省する以外に、この辺りで起きている災いを止める手立てはないのです)

悪いことがいつ起きるか分からない、そんなヒヤヒヤした人生の一体何が面白いのですか?

仮に、長く生きられたとしても、そんな不安な心で毎日を過ごすのであれば、その人の人生はよい人生であったとはいえないのです。

どれだけ健康で長く生きようと、心が不安であるなら、その人は不幸でしかないからです。(仮にお金がたくさんあったとしてもです。心に不安があるなら、そのお金をどれだけ使っても楽しくはないからです)

もうこの法に関わり、私に関わった人たちは、その不安を取り除くことは出来ないのです。その不安な心は(いつ自分が恐ろしい病気になるのかと思う心は)私が死んでも続くからです。(私が死ねばそれで終わりだとでも思いますか?とんでもありません。一たび法に逆らった人たちは、その心を反省しない限り、その恐ろしい現象はいつ自分に現れるか分からないのです。それは神がつくられた法則であるからです。〔法則は永遠であるということです。原因・結果、作用・反作用の法則です。いわゆる善因善果 悪因悪果です〕)

そう考えるのであれば、ずいぶん恐ろしいことをしているのですね。神に逆らうとはそれほど恐ろしいことであるからです。

その恐ろしさは(神に逆らっている限り)永遠に続くからです。

もう観念されてはどうでしょう。神に逆らっている(法に逆らっている)あなたたちが悪いのです。

法に従うなら、次々に奇跡が起きてきます。昨日も私は白鳥公園に行き、横の堀川をしばらく歩いていましたが、すずめやムクドリ、カラスやハトが騒いで飛んでくる(マァ、少々うるさいのが玉に瑕ですが。〔笑〕)その騒ぎを見てツバメまで鳴きながら飛び回っている。

横の堀川に呼びかけると、あちこちからさざ波が立ってきて小魚がたくさん顔を出すと楽しいものです。

最近は蝶やトンボまで声をかけると嬉しそうにこちらに飛んできます。

本当に心が癒されます。法を勉強していてよかったなと思える瞬間です。(そういう瞬間が本当に多いです。〔笑〕)

いつ災いが起きるか分からないヒヤヒヤした人生と、いつ奇跡が起きるか分からない楽しい人生と、一体どちらがよいのでしょうか?

それは聞くまでもないと思います。

ヒヤヒヤして災いが(必ず)起きる人生を送っているより、楽しく奇跡が(必ず)起きる人生を送りませんか?

そのような人生こそ、神の子である人間が送るべき、正しい人生であるからです。

追伸…今日は参議院選挙の投票日です。与党の勢いが凄そうですが、果たしてどうなることやらですね。(選挙は終わってみないと分かりませんから。しかし、野党のあのような演説では〔与党に三分の二を取られたら憲法改正をされますとか、アベノミクスは退場してもらいましょうとかのです〕先の展望がまったくありません。あんな演説で野党に票を入れる人がどれだけいますかね)

それにしても今回の参院選は都知事選挙に食われてしまい、ずいぶん地味なものになってしまいました。(選挙戦の後半などテレビはほとんど都知事選挙の話題でしたから)こういう選挙もまた珍しいですね。(笑)

しかし、今回の名古屋の街頭演説は安倍総理が来てくださらなかったようで、ずいぶん寂しい話でした。(金山に麻生副総理が来られたので、それは聞きに行きましたが)

私たち庶民は、直接総理大臣のご尊顔を拝することなどそうは出来ません。せめて選挙戦の時くらいは拝したいものです。(笑)

どちらにして、やることは山積していて、不穏な動きをする国もあり(北朝鮮などまたミサイルを発射しましたから)この参院選の後は、いよいよアメリカの大統領選も控えています。

これからの世界の混乱は目に見えています。票を入れる候補者と政党は間違えないようにしたいものです。

0コメント

7月 09 2016

心が現れる時代

今日はこちらも雨と風が強いです。(九州など大変そうですが)

何でこんな荒れた天気になるのだろうと思っていたら、なんと、どこかの会社が数週間ぶりに土曜日にやっているではないですか。

「原因はこれか」と妙に納得しました。(苦笑)

もう心が悪いとそれが即座に現れる時代となりました。

法の流布を露骨にじゃましている人たちがたくさん出て来ているのです。こちらの天気も荒れるでしょう。

その荒れるといえばです。

こちらの人たちは荒れている人が多いですね。昨日もそうでした。

どこかの会社はもちろんなんですが、トラックの連中も何か妙に怒っています。(ブシュブシュやってくる連中が多かったし、なんとか貨物とかいう大きな会社の連中がまたずいぶん怒っていました)

市バスの連中も相変わらず怒っていますし、本当に皆さん荒れています。一体どうしたんでしょうか?

何が原因でそれほど荒れているのでしょう。私が原因ですか?

ほんと、くだらない責任転嫁です。もう、そういう時代になったのです。心が悪ければ天罰が次々にくだる、そういう時代にです。

昨日でもそうでした。歩いていたらにらみつけてくる爺さんがいました。それでさっそく辻説法です。

「神から、あの世から、生まれ変わりから、神や心のことを散々教えてもらったのに、それには少しも感謝せず嫌がらせですか。そうして病気をしたら私のせいですか。そういうのを天罰というのです。人が人を病気にしているわけではありません」

「一人でも自分のせいで病気になった人がいるのなら、それだけでもずいぶん心は痛みます。私は次々に人を病気にして平気でいられるのですか?無差別殺人を犯すような人でも、そういうことをした後は後悔するのに、私はどれだけ多くの人を病気にしてもまったく後悔しないんですか?よくそんな恐ろしい者に鳥が寄って来ますね」

「その聞いてる噂は明らかに作り話なのです。少し考えれば分かるでしょう。おっちゃん、よくそんな話し真に受けるね。俺はあんたらの心を救ってやっただけなんだわ。それ以外のことはしていません。それなのに、心を救われたことには少しも感謝しないで人の顔を見れば嫌がらせ。多くの人が、そうやって与太話を真に受けて恩を仇で返しているから、こういうこと(サイレン)が起きるんだ。サイレンを止めたかったら、あんたらが反省しないといけない。悪いことをしているのはあんたらの方なんだから」

と、こういう話を立て続けにすると、だいたいの人がいやらしそうな顔で逃げるように歩いていくか、急に「あんた誰?何の話をしているの?」と、とぼけた顔をするかのどちらかです。(一切無視して行ってしまう人もいますが、そういう人は少ないです。とぼける人には「俺のこと知らないの。本当に知らないんだね。俺のこと知らないと神に誓っていえる。神に誓えますか」と追い打ちをかけるように聞くのです。そうするとほとんど逃げだしますね。〔笑〕)

それでも怒っている人がいますが、そういう人も、その時は怒っているのかもしれませんが、後で私の辻説法を思いだし、考えてもらえれば自分の間違いは分かるはずです。

だから、そういう辻説法が効いて歩いている時の嫌がらせは段々減りつつあるのですが、バスやトラックの運転手連中の嫌がらせは一向に減りません。(それでも前よりはずいぶん減りましたが、まだまだしてくる人は多いのです。この人たちも私の辻説法を聞いている人は多いはずですが、どうも反省する人が少ないようです)

そうして、この辺りでどれだけ私の辻説法を聞いても、嫌がらせを一向にやめない人たちもいます。

だから、そういう人たち(反省が出来ない人たち)に次々に天罰がくだり始めたのではないでしょうか。

何度もいいますが、すでにそういう時代になっているからです。

どこかの会社の連中でもそうです。

私のブログを読んでそうしていろいろ知ったのです。もちろん心も救われたでしょう。しかし、少しも感謝しないのです。

感謝しないどころか、その自分がいろいろ知って心が救われたブログを書くのをじゃまし続け、私の顔を見れば嫌がらせです。

そういうことをずっと続けているのです。

それはバスやトラック、電車の運転手もそうですし、この辺りで私に嫌がらせをし続けている人たちもそうなのです。

私に心を救われ、いろいろなことを教えてもらったのに、それには少しも感謝せず、やることといえば嫌がらせです。

このような人たちは、先ほどの与太話に完全に騙されている人たちと違い、悪いことが分かっていて(または、悪いことをすべて私のせいと責任転嫁して)それでもまだ私に嫌がらせをし続けているのです。

こういう人たちは、よほどたちが悪いといっても間違いではないでしょう。

自分の罪を絶対に認めようとせず、平気で(または意地になって)悪いこと(嫌がらせ)をし続けているからです。

では、こういうたちの悪い人たちに何も悪いことが起きない方が不思議なのではないでしょうか。

これだけの悪行をし続けているからです。

それなのに、自分たちに悪いことが起きると、それを全部私のせいにしてよけい腹を立てて、また私の顔を見れば嫌がらせをしてくるのです。

だから悪いことが止まらなくなるのです。自分たちがその原因をつくり続けているからです。

こういう連中に天罰がくだるのは当たり前のことなのですが、もはやこのようなたちの悪い人たちだけではなく、普通にいい人といわれている人たちにも天罰がくだる時代となったのです。(そのような証拠が最近激しさを増した天変地変であり、テロや無差別殺人、ストーカー殺人などの凶悪な事件です。様々な災いとなって天罰は現れるのです)

結局(表面上はともかくです)人々の心が悪かったから、悪いことが続出しだしたのです。

何度もいいますが、そのような心が現れる時代になっているからです。(だからどこでも同じなのです。この辺りのサイレンだけではなく激しい天変地変や凶悪事件はもうそこらじゅうで起きているからです。心が悪ければ、そういう悪い現象は現れるのです)

もうただのいい人ではダメなのです。それだけではどこでどんな災難に遭遇するか分からない時代となっているからです。

奇跡が起きるくらいの(ということは、釈尊やキリストクラスの)いい人にならなければいけない時代となったのです。

心が現れる時代となったのですから、その心からよい人にならないと、よいことは起きてこないからです。(ということは、その心をよくしないと災難からは身を守れないということになります)

心をよく(向上)するにはこの法の実践が一番です。(奇跡が起きている私がいうのですから間違いないでしょう)

これもまた何度もいいますが、少しは法を勉強されてはどうですか?そうしないと、危なくて仕方がない時代にすでになっているからです。

心が現れる時代、それは心をきれいにしなければもはや生きていけない時代であるのです。

追伸…ずいぶん恐ろしい現象が次々に起き出したようですが、それでもまだ突っ張るのですか?お前が悪いとです。

お前が悪い、お前が悪いと責任転嫁ばかりしている時代ではもうないのです。

自分の罪をちゃんと認めて、しっかり反省出来た者だけが生きていける、そのような時代にすでになっているからです。(だから、そういう心になれない人たちが次々に死んでいるのです)

せっかく法と出会えたのに、それでも心を入れ替えない(法の流布のじゃまをし続け、法を説いている人に嫌がらせを続ける)という人は、天が許さないのですから、そのような人はみなあの世、実在界に引き上げらてしまいます。

この世の修行はそんなに甘いものではないからです。(この世の最大の目的である法に出会っているにもかかわらず、その価値を理解せず、法の流布のじゃまをするなど、この世で最悪の罪です。そういう最悪のことをしている人たちに天は容赦しません)

この法に出会い心が救われたのは事実でしょう。

では、少しは感謝され布施ぐらいされたらどうですか。

それが実践できるのであれば、あなたたちに起きている、その(凄まじい)災いは止まることになるからです。

悪いことが起きているのは自分たちが悪いことをしているからです。

反省し、私がいっていることを行ってください。

それを行わない限り、あなたたちが救われる道はないのです。

2 コメント

7月 08 2016

法の効果

何か相当やばそうですね。次々に悪いことが起き出したようです。どこかの会社です。(もうこの辺りの人はみな気づいているでしょうね。やることは同じようなことをしていても雰囲気がまるっきり違います。それに電話の数も凄いです。一体何が起きているんでしょうか?)

それでも神に頭を下げようとする人もいなければ、手を合わせようとする気のある人もいなさそうです。(やたら怒っている人ばかりのようですから)

本当に凄まじいですね。

何かこちらも気が重いです。もう滅ぼされそうな人たちが目の前にたくさんいるからです。

しかし、そういう状況になっても、まだ、神に手を合わせる気にも頭を下げる気にもならない、本当に現代の人たちは罰当たりです。(普通なるでしょう。あまりにおかしなことが起きすぎてきたらです)

しかし、本人たちが(まったく反省しようとせず)怒っているだけではこちらもどうしようもありません。

よく考えてみてください。怒りたいのはこちらなのです。

こちらが百パーセントの被害者であるからです。

多くの人がよってたかって私に嫌がらせをし続けているのです。では、怒りたいのはこちらでしょう。

それなのに、なんで加害者である嫌がらせをしている人たちがそれほど怒っているのでしょうか?

どう考えてもやっていることが逆でしょう。

しかし、そのような逆転現象がこの辺りでは当たり前のように起きているのです。(バスやトラックの運転手もやたら怒っていますから。自分たちが散々嫌がらせをしているくせにです)

他地域の皆さんはどう思われるでしょうか。どう考えてもやっていることが逆だろうと思われないでしょうか。

しかし、そのような逆転現象が普通に起きている、これこそ法の効果なのです。

どれだけ多くの人に悪いことをされても、その悪いことをされている人が法の実践さえしているのであれば、その人には奇跡が起きて、その人に悪いことをしている人たちには次々に災いが起きる、これこそ正しい教えを実践している何よりの証拠なのです。

正しい教えを実践しているから、そのような人を不幸にしている人に、すぐにそのしている不幸が現れるのです。

そういう法の効果が(現れる現象が早いということです)法を認めない人、法に逆らう人たちに次々に現れている、だからこの辺りは、よってたかって嫌がらせをしている人たちの方が(加害者の方が)怒っているのです。(加害者の方がより不幸になっているからです。その不幸を被害者のせいにしてです。しかし、その不幸は加害者自らがつくりだしたものなのです)

だから、例えばいま問題になっている集団ストーカーなどにあっている人たちも、この教えを勉強するなら、そのような集団ストーカーからも解放されるのです。

集団ストーカーにあっている人が法の勉強をするなら、その集団ストーカーをしている人たちに次々に天罰がくだることになるからです。

だから、一人や二人の人にストーカーをされている人など、法を勉強するならあっという間にその問題は解決すると思います。

少し祈れば、そのストーカーに天罰がくだるからです。

ただ、そのような目的のためだけに(集団ストーカーをされるのが嫌だからとかです)法の勉強をしても、それでは願いは叶いませんが、法をこれからしっかり勉強すると神に誓って勉強するなら、そのような奇跡は起きるということです。

現に(そういう気持ちで法を勉強している)私の周りには次々にそのような奇跡が現れているからです。

やたら怒っている人たちがその証明です。ほんとたくさんいます。そうかと思うと急に静かになってしまった人もいます。

そういう極端な態度を取る人が私の周りにはたくさんいるのです。

こういう態度が変わってしまっている人たちなど、法の効果(すぐに現象が現れる)が現れているなによりの証拠でしょう。

何も自分たちに現象が現れていないのであれば、こうも極端に態度を変えることはないと思うからです。

このように、こちらでは次々に法の効果が現れています。(それは動物の不思議などの動画を見てもらっても分かると思います。法を実践していると、とにかく不思議な現象が次々に現れるのです)

この法に従いませんか?

そうすれば必ず何らかの奇跡が現れてくるからです。

(そうして、この法に逆らい続けるのであれば、必ず滅ぼされると思います。現にそうなりつつある人たちが近くにたくさんいるからです…本当に凄い電話の数ですね。〔電話がかかってくるとずいぶん引いている人もいるみたいだし〕何が起きているんですか?)

追伸…関東の水不足は未だ続いているようですね。(昨日もニュースでやっていました)

だから節水ですか。

何でそれ以上のことをしようとしないのでしょう。(確実に雨を降らせる方法があるのにです)

本当に不思議ですね。

(もう法に気づいた人たちは関東にはたくさんいるはずなのに、誰もそれをやろうとしない。本当にどこの人たちも同じですね)

0コメント

7月 07 2016

心と行いを正す

今日は七夕ですね。

とりあえず私の願いでも書いておきましょうか。(たんざくがないのでブログにです)

かなりささやかなものであるからです。(笑)

とりあえずの私の願いは静かにブログが書けることです。そうして静かに生活が出来ることです。

しかし、このようなささやかな願いも、なかなか叶えられそうもありません。(笑)

ずいぶんお怒りの方があちこちにいられるからです。

どこかの会社も明らかに様子が変ですし(本当に元気がない)運転手連中もそうです。何か相当やばくないですか?態度がおかしい人が多いからです。(凄い怒っていたり、凄い引いていたりです。態度が極端な人が多いようですが…)

どうも状況が正確に分かっていない人が多そうですので、今の構図を簡単に説明しておきましょう。そうすれば誤解を解いてくれる人もいるかもしれないからです。(淡い期待ではありますが)

私はただ多くの人の心を救っただけなのです。

私がしたことは多くの人の心を救った、ただそれだけのことなのですが、その心の救い方が多少荒っぽいこともしたものですから(それは無神論など信じている人たちが多かったので仕方がないと思うんですが)あらぬ噂を立てられ、その噂を私に心を救われた多くの人たちが信じてしまい(何の証拠もないのにです)それでそこらじゅうで嫌がらせをされているという状況なのです。

しかし、その多くの人に流布されている私に対する噂は間違いなのですが、それをどれだけいっても信じてもらえないのです。

それで、そこかしこで嫌がらせを受けているのですが、こういう問題は警察に行っても解決しないでしょうし、弁護士などに相談しても解決しないでしょう。(集団ストーカーなど受けている人の問題がなかなか解決しないようにです。私もそれと同じような状況だからです)

いま私に起きている問題は、誰に相談しても解決出来そうもないから、それで私は後は神にでも祈るしかないと思って神に祈っているだけなのです。

そうしたら今度は、その神への祈りまで悪いといわれてまた嫌がらせを受けているのです。

簡単に説明するなら、今の状況はこのようなことなのですが、このような状況下で私は一体どんな悪いことをしているというのでしょう。

私は被害者以外の何ものでもないのではないでしょうか。

私は多くの人の心を救っただけなのです。

そうして、そうしたことで誤解を受け(いいことをしているのに悪く思われる、これ以上割が合わないことはありません)そこらじゅうで嫌がらせを受けるようになったものですから、ほとほと困って神に祈っているだけなのです。

こういうことは誰でもしますよね。(苦しい時の神頼みってよく聞く話ですから)ところが私は神に祈ってもいけないといわれるのです。

こちらは多くの人の心を救っているのに、それに感謝もされず、あらぬ噂を流され嫌がらせの数々、それで誰にも相談できないので、神に「助けてください」と祈っていたら、その祈りまで悪いといわれまた嫌がらせを受ける。

この私は、一体どんな悪いことをしているというのでしょう。

自分がしていることを振り返ってみましても、私は悪いことなどしていないと思うのですが、それどころか、悪いことをしているのは私に嫌がらせをしている人たちのようにしか思えないのですが、そこはどうなんでしょう。

人の心を救うことが悪いことでしょうか?(こういうことは釈尊やキリストもされたと思いますが)

あらぬ噂を立てられて嫌がらせをされ続けているのです。その嫌がらせをされませんようにと祈ることが悪いことなのでしょうか?

私が人の心を汚したとか、嫌がらせをしてきた人に暴力を振るったとかしたのであれば、確かに私は悪い人なのでしょうが、私はそんなことはしていません。

普通に誰でもするようなことをしているだけなのです。(というより大勢の人の心を救っているのですから、大変よいことをしていると思うのですが)

では、私は何も悪いことはしていないのではないですか?

それなのに何で私が悪者になり、皆が私に対し怒りまくっているのでしょう。本当に不思議ですね。その怒っている人たちの方がよほど悪者であるのにです。

私に対し嫌がらせをしている人たちは恩を仇で返しまくっているのです。これだけ悪いことをしている人たちもいないでしょう。

普通であれば、心を救ってくれた人には感謝するのが当たり前のことでありますし、ちゃんとした証拠もないのに、噂だけでその人を悪人扱いするのはどう考えても間違っています。

それに苦しい時に神に祈るのは誰でもする普通の行為です。それをとがめるということも明らかにおかしな行為であるのです。

普通であればここまでおかしな行為を大勢がしないと思うのですが、この辺りの多くの人たちは、そのような普通ではやらないような二重、三重の悪を、私に対し(心を救ってもらった者に対し)し続けているのです。

こういう悪いことを何年にもわたって続けていて、それで罰が当たらないのでしょうか?

これだけの悪いことをずっと続けているのです。そのような人たちには天罰がくだって当然ではないかと思うのですが、そこはどうなんでしょう?

今日は七夕です。いい加減気づかれたらどうですか。自分たちの悪をです。(あんまり七夕は関係ありませんが。〔苦笑〕)

いつまでも気づかないと不幸になるのは、その知らずに(本当に知らずにいるのかどうかは疑問ですけどね。もうとっくに自分が悪いのに気づいている人も多いように思いますけどね)悪いことをし続けている人たちの方なのです。(現にそうなっているようですし。どこかの会社急にキレたのがいましたが、また何か起きたんでしょうか?)

最近は、これまで以上の異常な現象が現れてきているようです。(それはこの辺りに起きている現象だけではなく、天変地変もそうですし、昨日書いたテロなどの事件もそうです)

そのような多くの災いは、多くの人々の心と行いが現れているだけなのです。

心と行いを正しませんか?そうすれば奇跡が現れてくるからです。(現に私には奇跡が現れていますし)

0コメント

7月 06 2016

神への愛

昨日ウナッシーさんからちょうどコメントが来ましたので、そのコメントのことをもう少し詳しく書いておきましょう。

そのコメントとは、あのバングラデシュのテロ事件のことです。(あのバングラデシュのテロ事件は、なぜあのようなことになったのか?と疑問に思う人も多いと思ったので、一度ブログに書いておかないといけないなと思っていたからです。そう思っていたところにウナッシーさんからのコメントです。だから、ちょうどと思ったのです)

あのテロの犠牲となった七人の日本の方々は、皆バングラデシュ発展のため努力されていた方々ばかりでした。

そのような善人が、なぜ、あのような悲惨な最後を遂げられることになったのか?

それは昨日のウナッシーさんのコメントに書いたように、この方々が神を思うことがなかったからです。

もし、この方々が法を知って、神を思う心があって、そうしてバングラデシュに行かれていたのなら、このような最後を遂げられることはなかったでしょう。

神に守られたからです。

しかし、この方々は(多分)人のことは思っても、神のことはそれほど思っていなかったのでしょう。それがこのような悲惨な結果となった理由なのです。

たしかに、このようなテロは卑怯で理不尽なことではありますが、こういう理不尽な目に遭うのも、やはり自分に足りないところがあるからそうなるのであり、私たちは人を愛するより先にまず神を愛さないといけないのです。

その神への愛が足りなかったということです。(このテロの犠牲者は日本の人だけではありませんが他国の方も同じです。やはり神への愛が足りなかったのです。間違った信仰をやり続けていても本当の神への愛は出て来ないからです。一方的な神への偏愛は出てきてもです。そのような偏愛では本当に神を愛しているということにはならないのです)

それはこのようなテロに遭うだけではなく、日本に起きている異常現象も同じなのです。

だから熊本の募金などいくらしても熊本の災いが止まらないのです。

困っている人を助けたい、そういう人が日本にはたくさんいるのですから(募金もたくさん集まるし、ボランティアもたくさん集まるのがそのよい証拠です)そのような(大雨や地震などの)異常現象など止まってもよさそうなものですが、そういう善行をいくら行っても災いは止まらないのです。(特に熊本などひどいものです)

それはなぜか?

みな同じ理由なのです。多くの人に困った人を助けたいという人への愛はあっても、神への愛がないからです。

特に日本の人々は神への愛は少ないでしょう。(無神論ですから)だから他国以上に災いが起きているのです。(天によるです)

だから私はいっているのです。困った人を助けたいだけではダメだとです。それだけでは本当に人を救うことが出来ないからです。

神を一としないといけないのです。

神を一とし、神にまず感謝をささげ(「神よありがとうございます」とです。私たちは神がいるお蔭でこのように生かされているからです)そうして「神よ、どうぞお力をお貸しください。私を正しくお導きください」と祈ってから何かをするなら、神から守られもするし導かれもするのです。

そのような祈りこそ、常に神を思っている、即ちそれは神を愛している、何よりの証拠であるからです。(私たちは愛している人のことは常に考えているはずです。それと同じなのです。神を愛するとは、常に神を思うということなのです)

そういう常に神を思いながら何かをするなら、不思議とよい結果が出たり(それは、私だけではなくウナッシーさんなどのコメントからでも分かると思います)悪いことからも守られるということになるのです。

神から守られるということは、園頭先生の体験など知れば特によく分かります。

何度も書いていますが、園頭先生は銃弾が飛び交い、爆弾が降り注ぐ戦場で神を思って禅定され、傷一つ負わなかったという体験を二度もされているのです。

一度そういうことがあったというのなら、偶然だろうということでかたずけることも出来ますが、二度もそういうことが起きたのです。

神に守られた何よりの証拠でしょう。(園頭先生はこのようなこと以外でも、戦場で不思議と助かったという体験を何度もされています)

戦場にいても守られるのです。では、戦場でもない場所であるならなおさら大丈夫でしょう。銃弾が飛び交い、爆弾が降り注ぐ戦場以上の危ない場所はないからです。

どうでしょう、神を愛する大事さが、この法を知ることの大事さが、このような悲惨なテロなど知ればよけい分かるのではないでしょうか。

本当の神の教えを勉強するなら、そのような不慮の事件や事故からも守られることになるからです。

最近は、世界のあちこちでテロが相次いでいますが、そのようなテロをしている人たちも、そのようなことが間違っていると知るなら、そのような間違ったことはもうしないのです。

では、それが間違いであるとどうやったら知らせることが出来るのでしょうか?

それは「本物の神の教えを知らせる」それしかないのです。

奇跡が次々に起き、そうして不思議な導きと神から確実に守られる教えは、この私が説いている法しかないのです。(この法の流布をじゃましている者たちに災いが次々に起きているということでも、その事実が分かります。今日もいろいろやっていますが妙に元気がありません。〔それでも意地でやってくるのですから呆れます〕災いが起き続けている証拠でしょう)

即ちこの法こそ、本当の神の教えなのであり、この教えを世界に拡げるなら、必然的に、そのようなテロもなくなって行くということです。

この教えを知るならば(この教えによって何が起きているのかを知るならば)本当の神の教とはどのようなものなのかが分かり(本当の神の教えを実践すると、どのようなことが起きるのかが分かり)そのようなテロが正しいことではないと分かるからです。

そんなことを続けていれば地獄に堕ちると分かるからです。

この本当の神の教えを世界に拡げない限り、間違った教えは増え続け、テロのような悲惨な事件も、天変地変も増え続けるということです。

そのような間違った心が多くの災いを呼ぶからです。

奇跡を呼ぶ教えはこの法しかありません。

いつまで皆さん眠っていられるのですか?この法を知っている人たちが動きださない限り、様々な災いは止めることが出来ないのです。

この教えを世界に伝えてくだされば、戦争もなくなり、テロもなくなり、天変地変もなくなり、真の世界平和が実現するのです。(これは絵空事ではありません。本当に出来るのです。この法を実践するなら、神の偉大な力が現れることが実感できるからです)

少しずつでもされませんか?

それが真の世界平和への第一歩となるからです。

2 コメント

« Prev - Next »


あなたは人目の訪問者です。