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7月 18 2016

時代に即した心

今日はバカ会社は休みのようです。(事務所の連中は来ているんですかね。事務所の窓があいていたようですが)

そうすると、他の連中が(例えばどこかのマンションの連中とかです)じゃましてきます。しかし、この辺り、このブログを書くのを喜ぶ人はいませんね。(パソコンの音がうるさいのかどうなのか知りませんがです。それにしても小さい。〔だって家でパソコンを打っているだけですから〕この辺りも保育園をつくるなという部類の心の狭い人が多そうです。〔苦笑〕)

それでいてブログを二、三日書かないと怒っている人もいます。勝手なものです。(そういうブログを書かないと怒っている人も私に一銭の寄付もしないくせにです。何の協力もしようとしないくせにブログだけは読みたい、本当に勝手です)

私に嫌がらせをするだけして、そうしてブログだけは読んでいるという人も、この辺りはたくさんいるのですがどちらにしてもこういう人たちは救われません。

もう、このような心の人たちは時代に合わないからです。

何かおかしな顔をして歩いている中学生が増えました。(少し前までは、私の顔を見るとニヤニヤして嫌がらせしてくる中学生が多かったんですが、最近は減りましたね)もし、周りで悪いことが起きているのなら、私に詫びを入れた方がいいでしょう。

悪いことをしたのはあなたたちの方であるからです。(私を散々バカにして、嫌がらせした)

悪いことをしたままほっておいても、その悪いことをした罪は消えません。

その罪を消すには、そういうことをして悪かったという反省の心と、私に申し訳ありませんでした、という詫びを入れる行いが揃って初めて、その罪は消えることになります。(その罪は許されます)

そのまま罪を放置しておけば、いずれはその罪は自分自身に返ります。詫びを入れてはどうでしょう。

そうしないと必ず災いは起きるからです。

もう自分たちが悪いことをしているのに、それが返ってくるのがはるか先、などという時代ではないのです。

自分が犯した罪は(人によっては)すぐでも自分に返って来ます。もうそういう時代になっているからです。

早く反省されてはどうでしょう。何か起きてからでは遅いからです。

よいことをしてもらっても感謝一つしない、自分も読みたいくせに(じゃまはしても)少しも協力しようとしない、悪いことをしているのにそれを反省しようともしない、このような人たちはもう時代遅れな、この時代に合わない心の人たちなのです。(こういう人たちは末法の世、二十世紀の心の持ち主ですね)

すでに時代は変わっています。(もう二十一世紀です)時代が変わっているのなら、その時代に合わせた(即した)心にならないといけないのです。

では、時代に即した心になるとどういうことが起きて来るのか少し書いてみましょう。

今この辺りでもセミがうるさいくらい鳴いていますが、この前、知多の海に行った時のことです。(だから六月の末くらいのことです)

名鉄の内海駅について、海岸まで歩いていると途中に神社がありました。その神社の辺りで鳥がたくさん鳴いていましたので、どんな鳥がいるのかと思い、その神社に入って行くと、なんと鳥だけではなく急にセミまで鳴きだしたのです。

「エッ、もうセミが鳴いているの」と少し驚いたのですが(だいたいセミが鳴きだすのは七月の十日前後ですから。名古屋の辺りではそうです)だから何匹かのセミがもう出てきていて鳴いたのでしょうが、セミがこんなに早く出て来ているということは知りませんでしたし、この時期にこれだけ元気よく鳴くセミも初めてでした。

そのセミたちは、私がその神社にいる間は大きな声で鳴いていて、私が神社から出てしばらく歩くと鳴き止みました。

特別私だけのためにそのセミたちは(時期も早いのに)鳴いてくれたようです。

時代に即した心になると、このようなことが起こります。

そうして海まで行き、砂浜を歩いていると、そこにいる鳥や魚たちが寄って来て嬉しそうに飛び回り、泳ぎ回っています。中には私が歩いている砂浜の浅瀬にまで寄ってくる魚もいます。そればかりか砂浜にもぐっている貝まで顔を出し挨拶してくれるのです。(マテ貝などです)

時代に即した心になると、このようなことが起こります。

堀川など歩いていた時のことです。すずめやハト、ムクドリやカラスたちがあちこちから飛んできます。ツバメも元気よく飛んでいます。横の川に声をかけると小魚がたくさん水面まで出てきます。

ふと気づくと私の横を黒い蝶が飛んで行きました。何気なくその蝶に「黒い蝶か、珍しいな」と声をかけたのです。そうしたら、その蝶が急に反転して私の方に飛んできて、私の回りを二、三度飛び回り、嬉しそうに飛び去って行きました。

その蝶を、その後(堀川の辺りで)何度か見ましたが、その度に私の方に嬉しそうに飛んできて飛び回っていました。

初めて見る蝶であっても、少し声をかけるなら、それだけでこちらの愛が伝わり、その蝶が一変になついてしまうのです。

時代に即した心になると、このようなことが起こります。

庄内川など行って川岸を歩いていると、すずめやよく名前のわからない鳥がよく飛んできて、私の横を飛んでいたり、足元まで下りてきたり、私の少し前を私が歩いて行くスピードに合わせて少しずつ飛んで、しばらく私について来る鳥もいます。

ツバメなど私が気づかないと(下を向いて歩いていてです)ピィピィ鳴きながら私の横や頭上を飛び回り(この辺りツバメは八月くらいまでいます。この時期はまだそこらじゅうで見ますね)いろいろな鳥があちこちで鳴いています。

そうして川岸をしばらく歩いて、いつも休憩する場所(南陽大橋の下)に行くのですが、もうそこの川岸には私が休憩する時間にはカニやムツゴロウような魚たちがたくさんいて、歩き回り飛び回っています。

川を見ると、小魚がたくさんいる時もあれば、大きな魚が跳ねる時もあり(そこでエイも見たことがあります)あちこちから亀もたくさん顔を出しています。(川の中に亀もたくさんいるようです)

とにかく川岸を歩いているだけで、多くの生き物たちが顔を出して癒してくれます。

時代に即した心になると、こういうことが起こります。

めぼしいところだけを少し書いてみましたが、これ以外でも、いろいろな生き物が(昨日のミミズなどもそうですが。〔笑〕)寄って来て心を癒してくれます。

時代に即した心になれば、もうこのような愛ある現象が次々に現れる時代になったのです。

正法の世とはそのような時代であるからです。(自分の心が即座に現れる)

もう末法の世の心のままではよいことが起きないのです。(だからよいことが起きる人が少ないのです。時代遅れの心の人たちばかりであるからです)

もうこの時代はくだらないことに意地を張り通したり、物さえ満たされればそれでよいという時代ではないのです。(だから例えば、アメリカンドリームのような、心はそっちのけにして地位や名誉や金だけを求める時代ではもうないということです)

しかし、いつまでも愛ではなく、そういう物だけを求める心の人が多いから、これだけ災いが起きているのです。(この辺りの災いだけでなく、激しい天変地変などもそうです。未だにそのような〔アメリカンドリームのような〕物だけをありがたがる人が多いので、天変地変が激しくなっているのです。そのようなうな物は一たび災害が起きればなくなる、はかないものであると。そういうはかないものにいつまでも執着していてはいけないと気づかせるためです)

私のように愛ある奇跡が現れないと、この時代はもう救われないのです。

どれだけの大豪邸に住んでいようと、東日本大震災のような大災害が起きれば一瞬で消し飛ぶのです。

しかし、愛はどれだけ激しい天変地変が起きようとなくなりません。

愛ある心は物などに左右されないのです。むしろ、激しい現象が起きれば起きるほど愛の心は深くなるのです。

このような何が起きてもなくならない(それどころか困難があればよけい深まる)愛ある心こそが一番偉大なものであり、一番大事なものであるのです。(その愛の心さえあれば人は救われるからです)

いつまで時代遅れの心でいるのですか?

愛ある心がある人には次々に奇跡が起きているというのにです。

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7月 17 2016

思いと行いの違い

ここ二、三日ブログを書きませんでした。前のバカ会社がうるさいのと遠出していたからです。

一昨日は遠出していたのですが豊田市の矢作川まで行っていました。どうせバカ会社がうるさくてブログもおちおち書いていられないだろうと思ってです。

朝から出て行って、そうして夕方家の近くまで帰ってくると、やたら怒っているところがあちこちにありました。

そうかと思うと様子が変わってしまったところもあります。

この辺りの皆さん、一日見ないだけで態度がコロコロ変わります。本当にあきないですね。(苦笑)

この辺りだけでなく矢作川の辺りでも怒っている人たちがたくさんいました。

それで辻説法をしながら、矢作川沿いを歩いて行ったんですが、あの辺りの鳥や魚たちは相変わらず可愛いかったですね。

ほんと人とはえらい違いです。(苦笑)

昼飯を川のすぐ近くで食べていたんですが、すると、私の横の川の浅瀬に小さいものが泳ぎ回っています。

「ンッ」と思ってよく川の中を見ると、小さな魚が(一センチくらいのです)数匹寄ってきて、私のすぐ横で泳いでいました。

「何だ、お前ら来たのか」と声をかけると嬉しそうに泳ぎ回ります。本当に可愛いものです。

回りではいろいろな鳥たちも飛び回って鳴いていました。(他に蝶やトンボなどもです)

また、それ以外でも変わった生き物が寄って来ました。

ソロソロ昼飯を食べ終わる頃のことでした。すぐ目の前でもぞもぞ動いているものがいます。

私は、横の川の魚や回りの鳥たちばかりに気を取られていましたので、前に何かいるとは思わなかったのですが、いつのまにか目の前になんとミミズがいるではありませんか。(苦笑)

思わず「チョ、オイ」と突っ込みそうになりました。(飯を食べているのにミミズはちょっとね。〔笑〕)

しかし、ミミズだけ気持ちが悪いからあっちに行けとはいえません。(苦笑)「何だお前も来たのか」と声をかけると、そのミミズが頭をもたげて喜んでいるのです。

それはそれでちょっと不気味でしたが(苦笑)しかし、そういう場面も珍しいので動画に撮っておきました。(私の声に反応してミミズが頭をもたげるのですから珍しいでしょう。〔笑〕)

と、私はこのように、少し自然の多いところに行けばいろいろな生き物たちが寄って来て癒され楽しものです。

何で周りの皆さんがそれほど怒っているのか、まったく意味が分かりませんね。私は皆さん方と会いさえしなければ楽しことばかりだからです。(苦笑)

悪いことをすべて私のせいにして怒る前にです。自分の行いを考えてはどうでしょう。

その違いが、起きることの違いとなって現れているだけだからです。

私は日々、人々に正しい心の在り方を説いて(このブログでです)外に出て行っても、人々の間違いを指摘して、神に祈っています。

それに対して皆さん方はどうでしょう。

私が説いている法を知り心が救われているのに、それには一切感謝しようとせず、証拠が一つもない、正しいかどうか分からない噂話を真に受け、人の顔を見れば嫌がらせです。

そうして、何か悪いことが起きると一時その嫌がらせをやめますが、また悪いことが起きると、やはりそれはお前のせいとまた嫌がらせを復活して、私の顔を見ると嫌がらせを繰り返しているのです。

そのような行いの違いが、起きることの違いとなって現れているのです。

私は常に人を救おう救おうとしているのに対し、私に嫌がらせをし続けている人たちは、人の不幸ばかりを願っているのです。(そうですよね。嫌がらせをしているのに、まさか、そのしている人の幸せを願いながら嫌がらせするという人はいないでしょうから)

そのような思いは当然自分に返ってきます。だから自分たちが不幸になっているのです。

その自分が発している、不幸になれという思いが自分自身に返って来てです。

私はよいことしかしていないのですから、よいことしか返ってこないのであり、その思いと行いの違いが起きることの違いなのです。

心を救われているのに感謝しないのはよいことなのですか?

証拠もないのに、正しいかどうか分からない噂を信じて嫌がらせすることが正しいことなのでしょうか?

嫌がらせを何があってもやめようとしない、そのような態度はよいことなのですか?

そのどれもよいことでもなければ、正しいことでもないのです。

そういう悪いことを自分たちは散々しているくせに、悪いことが起きてきたら、自分たちは一切悪くなくて、それも含めて全部、嫌がらせをしている者のせいにしている。

これだけ都合のいい話はないのではないでしょうか。

そういう都合のいいことばかりしているから、悪いことばかり起きてくるのです。

多くの人が、その都合のいい悪いことをなかなか認めようとしませんが、事実は事実なのです。

悪いことをしている事実があるから自分たちに悪いことが起きるのです。

よいことをしてくれた人にはよいことをするのが当たり前のことであり(恩には恩で返す)正しいかどうか分からない噂を真に受け、嫌がらせをしてしまったのなら(そういう間違いは誰にでもあるのですから)そのことを反省し、申し訳なかったと、その嫌がらせをしてしまった人に心から詫びを入れることがよいことなのであり、正しいことなのです。

そういうことを誰もしていないのに、悪いことが起きたのはお前のせいは一体どういうことなのでしょう?

そんなのは責任転嫁以外の何ものでもないのです。

私に対し怒っている人たちは、そのようなよいこと、正しいことをした人は一人もいないのです。(私に謝ってきた人など一人もいないのですから、これはまぎれもない事実です)

では、悪いことしか返ってこないでしょう。自分たちはなにもよいことを(正しいことを)していないからです。

私はよいことをしているからよいことが返ってきているのであり、私に嫌がらせをしている人たちは悪いことをしているから悪いことが返ってきているのです。

それだけのことなのです。自分の思いと行いが自分たちに返ってきているだけなのです。それ以外のことが自分たちに返って来るなどということはあり得ないからです。(善因善果 悪因悪果、因果応報)

では、自分の思いと行いを改められたらどうですか。

それ以外で、自分たちによいことが起きる方法はないからです。

追伸…毎日のようにブログを書くのをじゃまされているのに(今日は今日で、どこかのマンションの連中などがバシバシやっていますから)そんなに無理してブログを書くこともないでしょう。

じゃまされているのに、無理してブログを書いていても、そのじゃましている人たちは何も悪いと思わないからです。(どっちみち書くのだからじゃましてもしなくても同じだと思ってです)

ブログを書くのをじゃまするのであれば書かずにおきましょう。そうすれば自分たちも困まり(そのじゃましている連中もこのブログは読んでいるからです)やっていることの罪の重さも分かると思うからです。

それに毎日書いていると、どれだけこの法は価値あるものです、大事なものです、といったところで、誰もその価値も大事さも分からないでしょう。(毎日書いていれば、それが当たり前だと思ってです。誰一人布施してくれないのが、そのよい証拠です。そんなに価値のないものなのでしょうか。この法はです)

だから少々このブログを書かない方がいいのかもしれません。そうすれば、少しはこの法の価値も大事さも分かると思うからです。

これから、じゃまされなければ書きますし、あまりにひどいじゃまをされるならブログを書くのをやめておきます。(もう無理してまで書かないということです。これまでずいぶん無理して書いてきましたから)

それで日本に何が起きてくるのか、見ていましょう。

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7月 13 2016

愛を出す順序

それにしても九州の大雨はひどいですね。

まだ当分、九州の大雨被害は続くとのことですが、特に熊本は熊本地震があったばかりです。それに大雨被害まで加わるのですから本当に気の毒です。

あれだけ多くの人が愛を出しても(募金やボランティアでです)それでも熊本の災いは止まらない、本当にこの世に神も仏もありませんね。

などと思うのは大間違いです。神も仏もあるからこういうことが起きているのです。

安倍総理が十兆円規模の経済対策を出されました。これほどの規模の経済対策をされるのですから、今度こそ景気は上向き人々の生活も楽になることでしょう…といいたいところですがなりませんね。

政府が、これだけの経済対策をしてもそれでも景気はよくなりません。(それは断言できます)

なぜなら、どれだけ景気対策に金をかけても、人々の心が変わらなければ、その金は結局、多くの人に回らないからです。

なぜ、日本の景気がよくならないのか?それはたくさんの資金がいつまでたっても多くの人に回らず、一部の人だけに集中しているからです。

例えば、この経済対策で中小企業に資金が回るようにしたとします。(そういうのも入っているようですが)それで中小企業が助かるのかといえば助かりません。

なぜなら、その政府から中小企業に回された資金は、結局、大企業に吸い上げられてしまうからです。

ハァ、逆だろうと、大企業から下請けの中小企業に仕事を回しているのだから、政府から資金が入るのであれば、大企業からも仕事が来て、それで中小企業も助かるではないか、と思う人もいるのでしょうが、そういう自然の流れであるなら、こういう天変地変が次々に日本に起きることはありません。

途中で不自然な流れになっているから、これだけの天変地変が日本に起きているのです。

その不自然な流れとは、前にも書きましたが、例の毎年大企業から中小企業に出される値下げ申請です。

毎年、大企業から中小企業は仕入れ値を下げろといわれるのですから、どれだけ大企業から仕事が来ても、その仕事の製品単価を毎年下げられては利益がなくなります。

だから私はいっているのです。中小企業にどれだけ資金を回しても同じだとです。結局大企業にその金は搾取されてしまうからです。(その合法的な値下げ申請でです)

だから熊本にあれだけの災いが集中して起きているのです。

これも前に書きましたが、熊本は自動車や電機の大手メーカーの一大拠点であるからです。

その大手メーカーに天罰がくだっているということです。あまりに大企業の仕事の仕方が(特に下請けに対するです)傲慢であるからです。(だから私はいっているのです。神も仏もあるからこういうことが起きているとです)

では、この九州の大雨はどうやったら止まるのでしょうか?その止め方は分かると思います。

そのような大企業の人々が心を入れ替えればいいのです。そうすれば、この九州の大雨は明日にでも止まるのです。

だから、私はいっているのです。大企業がそんなことをしていてはダメだとです。

神の心は集中より分配です。だから富は分配しないといけないのに、大企業はその力に任せて富を独占しているのです。

だから、景気もよくならないし(中小企業にまで金が回らないからです)天変地変も収まらない、その天変地変の多くが大企業への天罰であるからです。(結局、そういう天変地変が起きれば大企業は損をするのです。自社が被害をこうむるだけでなく、下請け企業まで被害を受けて必要な製品も入らなくなるからです)

もう少し愛の心で(自分のところだけではなく)中小企業にも富を分配されてはどうでしょう。

そうすれば景気もよくなり、天変地変も収まってくるからです。

被害地域などに寄付などしているといわれるところもあるかもしれませんが、それは順序が違います。一番先に愛を出さなければいけないのは、そのいつも仕事をしてくださっている下請け企業なのです。(仕事を出してやっている、ではなく、こちらの仕事を手伝ってくださっているなのです。それくらいの謙虚な心は持つべきなのです。その下請け企業がなければ、その大企業はそれだけ大きな企業にはなっていなかったからです。仕事が忙しかった時に、そのような下請け企業が手伝ってくれたから、その企業は大きくなれたのであって、そのような恩は忘れてはいけないのです)

そういうお返しの心、そういう愛の心がないからこれだけ悪いことばかり起きているのです。(だから募金やボランティアではダメなのです。大元の〔大企業の中小企業に対しての〕愛がないからです。遠い人の愛よりまず大元の愛なのです。そこが抜けていては天罰は止まりません。その天罰の意味は大元の愛がないことであるからです)

どれだけ大きな力を手に入れても、神の力にはかないません。

今のような傲慢な態度を大企業が続けるのであれば、この天変地変は激しさを増し、最後にはそのような企業は(あまりに傲慢な企業は)潰されてしまうのです。

恩を仇で返していてはいけません。(どこかの人たちもそうですが)

もう少しお世話になった人々に愛を出されてはどうですか?

そうすれば、天変地変も収まり景気もよくなっていくからです。

追伸…どこの世界でも専門家という人はいます。

これだけ災いが起きている日本で、奇跡が起きているのは私だけなのです。では、私のいうことをもう少し聞かれてはどうですか?

そうすればもっと奇跡が起きてくるからです。(私は奇跡を起こす専門家であるからです。〔注、災いではありません〕)

災いが起きるのは愛がないからであり、そうして、その愛を出すにしても順序を間違えてはいけないということです。

私はそのような心の在り方を説いています。そうして、そのような心の在り方をするなら奇跡も起きるということを実際に見せています。

私は、釈尊やキリストと同じことをしているのですが、本来このようなことは坊さんたちがしなければいけないことでした。

しかし、最近の坊さんたちはどうでしょう。

心の在り方を説いて、人々を正しい道に導くなどということを積極的にしている人はごくわずかで(そういう坊さんでも何の奇跡も現しませんが)ほとんどは葬式、観光宗教化して人を正しく導く坊さんはいないのです。(正しく導ける人には奇跡が起きないといけないからです)

どこかの有名寺の貫主のように、色と欲にボケてセクハラで問題になっている人までいるというのですから世も末です。

しかし、そのような何の奇跡も起こせない、たいした話も出来ない坊さんたちには布施などのお金が集まり、私のように奇跡も起こして、毎回人々を救う話をしている者には一銭もお金が入らないのです。

明らかに間違っていると思われないでしょうか?

早く気づいてください。そういう間違ったことを多くの人がいつまでもしているから天も怒り、天変地変もたくさん起きているのです。(奇跡も災いも天が起こすからです。人が起こすわけではありません)

今日も朝からブログのじゃまを一生懸命している愚かな人たちもいます。(それで悪いことが起きたら私のせいです。ほんと呆れます)

本当の功徳を積むのは私に布施した方がいいのか、それとも、そのような坊さんたちに布施した方がいいのか、どちらがいいのでしょうか。

もういい加減それを理解しないといけないのです。

功徳を積む人があまりに少ない、それが今現在、災いばかりが起きる世の中になっているなによりの原因なのです。

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7月 12 2016

選ぶ長の大事さ

今日はキレ気味に怒っています。昨日の私の予言が当たったからでしょう。(今日はたくさん恐ろしい現象が現れるというです。本当に昨日はたくさん現れたようです)

全部自分たちの責任なのです。散々嫌がらせをしてきているのはそちらの方なのです。(私はただ家でパソコンを打っているだけですから。それを烈火のごとく怒るんですから、ほんと始末が悪いです。悪魔に憑かれた人は〔悪魔に憑かれると地獄耳にもなりますから〕視野も心も狭くなります。どんな小さなことに対しても怒るのです)

そのしている嫌がらせが自分たちに返ってきているだけなのです。だから自分たちが反省する以外、その恐ろしい現象を止める手立てはないのです。

災いばかり起きている人のいうことを聞くのではなく、奇跡が起きている者のいうことを聞いてはどうでしょう。

そうすれば奇跡が起きるようになるからです。

悪いことばかり起きている人たちを相手にするのはこのくらいにして、参院選が終わりましたが、今度はその参院選よりも話題であった東京都知事選が始まります。(笑)

東京の人たちはそれはそれで楽しみなのではないでしょうか。国政選挙より話題になる都知事選挙もそうはないからです。(笑)

何せ、立候補している顔ぶれが顔ぶれです。(有名人が多いみたいですから)話題にもなるでしょう。

しかし、あの芸能人の方は出馬を断念したそうではないですか。それはよかったです。あまり左翼系の人は出ない方がいいからです。

それにしても民進党が推してくる候補は皆そのような左翼系ばかりですね。(あの急きょ決まったジャーナリストの人もそうですよね)危ないことこの上なしです。

もう知事が左翼系(共産思想)では、その地域にどんな悪いことが起きるか分からないのです。

マァ、自民党が推薦している増田さんが一番無難なのではないでしょうか。(東京の人たちから見たら少し華がないんでしょうか?名古屋の私から見ると、そんなこと全然関係ありませんが)

もう、その地域の長である人の心が悪いと(神の心にあまりに背いているとです。何度もいいますが共産思想はもっとも神の心から離れた思想ですから)その地域に次々に悪いことが起きる時代になりました。

だから、その地域の長を選ぶ知事選など本当に国政選挙以上に大事であるのです。

その後その地域に、よいことが起きてくるのか、それとも悪いことが起きてくるのか、その選ぶ長の心で大きく変わってくるからです。

だから話題の東京都知事選挙ではありますが(そういう話題性に浮かれることなく)くれぐれも東京の人たちは選ぶ人を間違えないようにしてください。

選ぶ人を間違えれば、東京に恐ろしい災いがどれくらい現れるか分からないからです。

その選ぶ長を間違えたといえばです。

今日も九州は大雨とのことですが、何で原発を動かしている鹿児島まで、最近はあれだけ大雨になるんだろうと不思議だったんですが(よほど鹿児島の人たちの心が悪いのか?とも思っていましたが)その理由が分かりました。

この前の鹿児島の知事選挙でです。あんな人が出てきていたんですね。それで鹿児島がまた(異常な)大雨が降るようになったのです。

今度の鹿児島県の知事になった人は、元テレビ朝日のコメンテーターで(ということは、左翼系の人ですね)脱原発を主張しているそうではないですか。(すでに原発を一時停止しろとかいいだしているようですが)

こういう人を知事にしてしまったのです。それは鹿児島も大雨になります。

これではせっかく静かになった桜島もまた爆発的噴火を繰り返すようになるかもしれません。(というか、なるでしょうね)大変なことを鹿児島の人たちはしてしまったのです。

選ぶ知事を間違えたからです。(左翼で脱原発、最悪ですね)

選ぶ知事を間違えたのなら、その地域によいことは起きないでしょう。

だから最近、鹿児島にまた異常な雨が降り始めたのです。そのような人を知事に選ぶ鹿児島県民の心が災いを呼んだからです。

ですから鹿児島は、これからはまた以前のように異常な大雨は頻繁に降る、桜島の爆発的噴火は続くと危ないことばかり起きるようになるでしょう。

何度もいいますが選ぶ知事を間違えたからです。

だから、その地域の長を選ぶ時は、特にこれからは気をつけないといけないのです。その長の心次第で、その地域に奇跡も起きれば災いも起きるからです。

これは国会議員でも同じで、だから私は民主(民進)王国などといわれている愛知県はやばいといっているのです。(現にやばいことが起きていますし)

民主党(現、民進党)は左翼系の議員がたくさんいるからです。(あの東日本大震災が起きた岩手、宮城、福島は今回の参院選は自民党の議員が一人も当選していません。〔民主ばかりです。岩手だけ無所属です〕こういうところを見ても何であの場所に東日本大震災が起きたのか分かります。そういう左翼系の住民がたくさんいたからです。だから未だにそういう左翼系の議員を選ぶのです)

選ぶ長を間違えると(ということは、その長と同じ心の人が多いということですから)これからは大変なことが起きる時代になりました。

だからこそ、何が正しいのか、という勉強を常にしていないといけないのです。

何度もいいますが、この法を勉強されませんか?

この法こそ、唯一の正しい基準であるからです。

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7月 11 2016

政治家の本道

今日も朝から激しくお怒りです。(毎日同じことしています。〔苦笑〕)

しかし、この連中、それこそ私のブログを毎日読み、毎日のように心が救われているにもかかわらず、そのことにはこれっぽっちも感謝しないで、毎日のようにブログのじゃまをし嫌がらせをし続けています。

それで悪いことが起きると、それを私のせいにしてなお怒っているのです。

逆に聞きたいのですが、こういうことをし続けていて悪いことが起きないのでしょうか?(これだけ罰当たりな態度もないと思いますが…)

こういう態度を平気で取っている人がこの辺りは多いのです。

他の地域の人たちは、この辺りに異様なことが起き続けているのもよく分かる話なのではないでしょうか。

これだけ罰当たりな態度を取る人が多いのです。異様な現象が現れてもある意味当然であると思うからです。

この辺りに起きている異様な現象は「善因善果 悪因悪果」それが、そのまま現れているにすぎないのです。

さて、そのような罰当たりな人たちはほっときまして、参議院選挙が終わりました。

予想通り、いや予想以上の結果が出ましたね。改憲勢力が三分の二を超えてしまったのですから。(笑)

もう憲法も変えないといけないでしょう。時代も変わっているからです。

それなのに、まだ改憲に反対だの、慎重な態度が必要だのいっているような、政治家やコメンテーターなどはもう退場してもらいましょう。(どこかの党の演説ではありませんが。〔笑〕)

そういう進歩のない人たちの話を聞いたところで、何も進歩しないからです。それどころか、そのような同じところにいつまでも立ち止まっていては、もう日本自体が危ないからです。

日本の周辺事態は刻々と変化しているというのに、そういう人たちは本当にのんびりしています。

マァ、金持ち喧嘩(けんか)せずの類なんでしょうが、そうのんびりしていては日本は守れません。

これからアメリカ大統領は代わりますし(ということは、日米同盟もどう変わるか分からないということです)北朝鮮や中国、ロシアなど不穏な動きをする国はある、中東は混乱しEUも混乱している、世界中でテロが起きている、もう書きだしたらきりがないくらい不安要素があるのです。

こういう世界が混乱期に入っているのに、今のままでいいというのでは日本は守れないからです。(米ソ冷戦時代が終わり、これまではアメリカ一国で世界は収まっていましたが、もうアメリカ一国で世界が収まる時代ではありません。だから世界が混乱しているんでしょう)

日本が守られなければ、その(たくさんある?)お金もいつ奪われるか知れないのです。

もう日本の安全保障なども含めて、国民一人一人がそのようなことを考えなくてはいけない時が来ているのではないでしょうか。

それなのに、政治家がまともな政策一つ出せないようでは困ります。

今回は、そのような頼りない政治家と、頼りになる政治家、それがはっきり分かった選挙だったのではないでしょうか。

しかし、今回の野党はひどかったですね。候補者の一本化ってあんなでたらめな策はありません。(前にも書きましたが、そんなの政策は無視で、ただ与党に反対するためだけの勢力をつくりたいだけなんですよね。「なんだそれっ」て感じです)

それに野党第一党の党首が、改憲勢力の三分の二を阻止しましょうばかりいっているのです。それでは政策はどこにいったんだという話にもなります。

今回改憲勢力がボロ勝ちしたのは、もう改憲反対派のような政治スタイルは古い(ただ反対しているだけの昔の社会党みたいなです)もう、そういう人たちに票を入れていては、日本が立ちいかなくなる、ということが分かっている有権者が多かったからなのではないでしょうか。

いま現在は日本国内も混迷し世界の混迷はもっとひどいのです。

それなのに、対案らしい対案もなく、ただ与党に(アベノミクスに)反対しているだけ「改憲を阻止しましょう」「日本を戦争が出来る国にしてはいけない」そう叫んでいるだけ(こういうことは学生でもします)これでは有権者も票を入れようがありません。(政治家ですので口だけではなく、それに対する具体的な政策を出してもらわないとです)

こういう姿勢の野党が多いのですから、どうやってそんな野党が与党に迫ろうというのでしょう。(本当に、あの候補者の一本化などという愚策を用いた野党四党はお粗末でした)

おかしな策など労せず、もう少し政策で勝負してもらえませんか?

それが政治家としての本道であるからです。(それが出来ないようなら、それこそもう退場してください。そういう人に政治家は、まして国会議員など無理だからです)

もうただ反対するだけの、政策のじゃまをするだけの政治家、政党はいらないのです。(野党第一党など未だに党是もないのです。党是がないのであればその政党は一体何がしたいのかよく分からないということになります。党是一つつくることが出来ないのであれば、それは政党の体をなしているとはいえないのです。それこそ退場すべきでしょう)

これから世界の混迷は益々深まります。

そうであるなら、これからは政治家本人がどれだけよい政策を出して来るのか、その政策のよしあしで日本の行く末も決まってくるということになります。

政治家は政治家の本道で勝負してもらえませんか?

それが日本にとって一番よいことであるからです。

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