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12月 20 2014

偉大なる現象

二千年前の人々なら(特別二千年前の人々に限りませんが)すぐにでも、その教えに帰依するような奇跡を動画で撮っているにもかかわらず、現代の人々は、その奇跡を見ても大して驚かず心を変えようともしません。

前回も書きましたが、恐ろしいほどの傲慢さですが、そのような傲慢さはいたるところに出ています。多くの人々がそれに気づいていないだけなのです。

そのような、奇跡の動画にさほど驚かないこともそうですし、これだけここに書いたことが起きていることに対してもそうです。(それもそれほど驚いていません)この辺りに起きている悪いことを、全部私のせいにしていることでもそうでしょう。

どんな時代の人であろうとです。これだけのことが次々に起きたのであれば、少しは自分のことを反省し、これだけ奇跡の起きている人のいうことに従おうとするものですが、そういう人がわずか一人か二人しかいないのです。

私のことを、全然知らない人ばかりであるというならそれも分かりますが、多くの人がもう私のことを知っているのです。

それにもかかわらず、自分たちの考えを大して変えようともせず、自分たちの行いも変えようとしません。(変えないどころか、そのような現象に怒り、私に嫌がらせをしてくる人が多いというのですから、もう目も当てられません)

これ以上神に対し傲慢不遜な態度もないのではないでしょうか。(神の業に逆らい無視しているのですから)

それともいたって普通ですか、そのような態度がです。

マァ、そういう考えの人が多いんでしょうが(何度もいいますが)だから日本は、このような恐ろしい現象を次々に現されるのです。日本の人々の多くが神への畏れがまったくないからです。(しかし、ずいぶん神の心から離れてしまったんですね。驚きます)

ここに公開したあの動画は、キリストがされた同じ奇跡が撮れているのです。(本当に貴重なものだと思いますが)それにこの辺りの人は(この辺りの人だけではないかもしれませんが)大雨や地震が起きたことも私のせいにしていますが、しかし、仮にそのような大雨や地震が起きた中で、本当に私が祈ったから起きたものもあったのかもしれません。

では、そのような現象は、それこそ三千年前のモーゼの大奇跡が、多くの人の目の前で再現されたことになるのではないですか。(モーゼはそのような現象を数多く起こされたからです)

そうであるなら、起きた被害ばかりに目をやるのではなく、その偉大な現象がなぜ行われたのか、それも考えるべきであるし、そのようなことを起こす人の偉大さもまた考えるべきなのではないでしょうか。(キリストやモーゼは偉大な方々なのですから)

私は、そのような現象ばかりではなく、あのタイの大洪水も引かしているではないですか。それを知っている人はたくさんいるはずなのに、何でよいことは一切認めようとせず、悪い方にばかり目をやるのでしょう。

いっておきますが、このような現象はすべてです。すべて天が起こされていることなのです。私は天に命じられたまま祈っているにすぎません。

私個人が、個人の考えだけで、これだけの現象が起こせると思いますか?

そんなことは誰が考えても分かるはずです。個人の考え、個人の力だけで、これほどの現象が起こせるはずはないとです。

天変地変を次々に起こし、人々を相次いで病気にさせ、そうして鳥や魚などの小動物まで集めてしまう、そのようなことを人がすることは出来ません。そのようなことはすべて天がされるのです。

すべて天が思われるままの神の業なのです。

それほどの神の業が日本に現れているのです。いい加減、責任転嫁はやめ、傲慢な心を反省されてはどうでしょう。現代の日本にです。キリストが起こされた奇跡、そうしてモーゼが起こされた奇跡が同時に起きているからです。

これほどの偉大な現象が、日本に現れているにもかかわらず、それでもまだ神の側に顔を向けようとしない(悔い改めようとしない)人など、これ以上傲慢不遜な人はいません。

もう神を無視するだけでも大きな罪となるのです。

「あの当時の日本の人々は本当に傲慢な人ばかりであった」

そう後世の人たちにいわれたくはないものです。

いま起きている現象の偉大さを、日本の多くの人々はもっと知るべきなのです。

(現在の日本に生まれて来ている人は、みな凄い倍率の中を勝ち上がって生まれて来た人ばかりなのです。いずれこのような大奇跡が、日本で起きることを知っていたからです。では、その使命〔神の業を多くの人に伝える〕は果たしてもらわなければいけません。そうしなければ、同世代に他国に生まれるしかなかった、日本に生まれることが出来なかった、そのような人々に申し訳がたたないからです。現在の日本に生まれている人々は、そのような他国の同世代の人々の思いも背負っているのです)

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12月 19 2014

数千年前の奇跡と現代の奇跡

凄い天気は、まだ続いているようですが(昨日も名古屋だけでなく北海道や東北など凄い雪でした)そのような日本の天気とは裏腹に、アメリカとキューバは雪解けムードが出てきたようです。

オバマ政権が対キューバ政策の抜本的転換を決め、これから国交正常化交渉を開始するとのこと。大変よいことです。

これからは対立より調和です。

そのような国と国同士でも調和するなら奇跡が起こります。大いに進めるべきでしょう。

ロシアの通貨ルーブルが急落して、ロシア経済は苦境に陥っているとのことですが、こういうことが起きるとウクライナの問題は、やはりロシアが悪かったと思わざるを得ません。

人であろうと国であろうと、悪いことをすればその反動がすぐに現れる、そのような時代となったのです。

では国の問題とはいえ、よいことをした方がいいでしょう。そうすればその国に奇跡が起きるからです。

このロシアやアメリカはキリスト教の人が多いのですが、そのキリストのことが書かれた聖書の中にも、いろいろな動物の奇跡が記されています。

私に起きている鳥や魚が起こす奇跡と、どう違うのか、聖書の中から少し書いてみましょう。(魚の方を書いてみます)

ルカの福音書から抜粋します。

<話し終わった時、シモン(ペテロ)に「沖に漕ぎ出して網を降ろし漁をしなさい」といわれた。シモンは「先生、私たちは、夜通し苦労しましたが何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから網を降ろしてみましょう」と答えた。

そして漁師たちが、その通りにするとおびただしい魚がかかり網が破れそうになった>

ヨハネの福音書から抜粋します。

<ペテロと他の六人たちは漁に出た。漁に最適な時間は夜中だ。彼らは舟を出し夜通し網を打ったが何の収穫もなかった。彼らは心も体も疲れ果てて岸に向かった。夜明けのことである。その時、一人の人が岸に立ち「子供たちよ魚は取れたか」と彼らに呼びかけた。

朝早く漁から帰る舟の魚を買うために仲買人が岸辺に来る。弟子たちはその人が仲買人と思い答えた。「何も取れません」あたりは暗く、その人の顔は見えなかった。その人は弟子たちにいった。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば取れるはずだ」弟子たちはダメで元々と思い、網を打ったところ網を引き上げることの出来ないほどのたくさんの魚が取れた。

この出来事を見て弟子の一人ヨハネは、その人がイエスであることに気づいた。このような奇跡を起こせる方はイエスしかいない。そしてペテロはいった「あの方は主だ」>

最初のルカの福音書は、キリストがペテロやヨハネたちと初めて会った場面ですが、ペテロやヨハネはキリストの話を聞いて、この人は凄い人だと感じますが、その話の後に、このような奇跡を体験し(キリストの話を聞く前まで彼らは沖で漁をしていましたが、その日はどれだけ網を降ろしても魚が捕れませんでした。しかし、キリストのいわれるようにしたら一変でたくさんの魚がかかったのです)それまでは漁師であったペテロやヨハネたちは、すぐにキリストの弟子になり従うのです。

そうして次のヨハネの福音書は、キリストが十字架にかかり復活し、弟子たちにガリラヤに行けと命じた場面です。

ガリラヤについた弟子たちは、キリストを待ちますが、待てど暮らせどキリストは弟子たちの前に現れませんでした。それで仕方がないので、弟子たちはまた漁師にでもなろうと、舟を出して夜通し漁をしましたが、一匹の魚も捕れませんでした。

そうして疲れて岸に戻ると、岸に一人の人がいて舟の右側に網を打てといいます。その言葉に従い網を打つと、網を引き上げることができないほどの魚が捕れたのです。

そのような奇跡を再び体験し、その方がキリストであると弟子たちはすぐに分かり、弟子たちはキリスト(復活したキリストですが、肉体のキリストではありません。霊体〔光子体〕のキリストを弟子たちは霊視していたのです)の言葉に従い、この時から命懸けでキリストの教えを世界に伝道していくのです。

このように魚に関する奇跡の場面も聖書には出てきます。

このような聖書の場面も、私が公開した動画を観るなら、本当にこういうことは起きたんだと信じられるはずです。岸近くに、たくさんの魚が寄ってきている動画もあったからです。

キリストは癒しだけではなく、このような奇跡(魚がたくさん寄って来る)も起こしているのですから、そうであるなら、私に起きている魚が跳ねたり寄ってきたりする奇跡も、過去にも起きていることだと、これもまた理解出来るわけです。

つまり、キリストの時代に起きた奇跡が、現在の日本でも起きているということです。

しかし、二千年前の人は、このような奇跡を見て驚きただちに法に帰依されたのに、現代の人はこのような奇跡を何度見ても心を変えようとしません。(法に帰依しようとしません)

いってはいけませんが、二千年前の人の態度が当たり前の態度なのです。

現代の人々がどれだけ傲慢かよく分かる出来事ですね。(これでは次々に災いを起こされるわけです)

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12月 18 2014

知らずにつくっている罪

北海道を中心に、全国的に大荒れの天気となっているようです。(おまけに宮城で震度4の地震まで起きたようですが)

名古屋も過去二番目(積雪二十三センチ)の大雪になっていて、高速道路など通行止めになっているようです。(名古屋市内の交通機関は大混乱でしょう)

それにしても名古屋が、これほどの大雪になるとは思いませんでした。天気予報では数センチ程度の雪が予想されていただけだからです。

やはりここに書いた通りでしたね。(今回は名古屋もやばいとです)

民主党(共産思想)の議員など当選させると、このようなことになるのです。(特別運が悪い)

今回の大雪は、不思議なことに岐阜県の岐阜市や関ヶ原などは、あまり雪が降らなかったのです。

この岐阜市や関ヶ原は、名古屋から近い場所にありますが(車で四~五十分)この辺りは雪が多いところで、この東海地方に雪が降った時は、その降る雪の量は名古屋の二倍から三倍になることが多いのですが、今回はなぜか名古屋より積雪が少なかったのです。(岐阜市は十四センチ、関ヶ原で九センチ)

いつもなら名古屋の倍以上は雪が降る地域で、名古屋より降った雪が少なかった。(私はあまりこの地域が、名古屋より積雪が少なかったという記憶がありません。とにかく珍しいことです)

今回名古屋が、特別雪が多かった(特別運が悪かった)ということは、このようなことからでもよく分かります。

こういう私がいった通りのことが起きているのに、相変わらず名古屋の人は悪いことをすべて私のせいにしています。

昨日でも、すれ違う人のほとんどが何かしてきましたので「私が毎日毎日、何人も何十人もの人を病気にしているんですか」とか「そんな恐ろしい者によくあの気の小さいすずめが寄ってきますね」とか「これだけ多くのサイレンがしているんだ、こういうことをたった一人の者が単独で出来ますか?どう考えても原因は複数あるはずでしょう。早く気づいてください。一人一人のその汚い心に天罰が下っているんですよ」とか、いいたくっていました。(もう、そこらじゅうで説法しまくりです)

この辺りの人は責任転嫁の心がどうしても抜けないようです。(もしかして今回の大雪も私のせいにならないでしょうね〔汗〕)

それはこの辺りの人だけではないでしょう。日本中の人が、どうせ今回の大雪の原因もまた温暖化のせいにしてしまうのでしょう。

しかし、そんな責任転嫁をいくら続けても本当の原因は分かりません。このような異常気象の本当の原因は、外にあるのではなく、多くの人々の内(心)にあるからです。

これだけ私のいった通りのことが起きているのです。そうしてあれだけの奇跡の動画も公開しているのです。(鳥にあれだけかまわれる人がいますか?私が声をかけると川の中にいた魚が跳ね出すのです。そんなことが起きる人がいますか?)

こういうことを次々に発表しているのに、それをほんどの人がただ傍観しているだけ、これでは恐ろしい現象が次々に現されても何もおかしくはないでしょう。

あまりに多くの人が、神の業を、神から遣わされた者を無視しているからです。

それでは天罰が下らない方がおかしいのであり、それだけ不遜なことを多くの人々がしているのです。

いつまで、この法を無視し、自分本位な生活を続けられるのですか?どれだけ罪をつくれば気が済むのでしょう。

少しは謙虚になり、自分自身を振り返られてはいかがでしょうか。(自分は悪いことをしていないと自信を持っていえますか?人の悪口はいいませんでしたか?人に嫌がらせをしたことはありませんか?そのようなことも十分悪いことなのです)

そのような神の心から離れた行為を反省するまで、このような(恐ろしい)現象は続くのです。

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12月 17 2014

善の心

北海道は数年に一度の凄い天気(暴風雪)になっているようですね。(過去最強クラスの爆弾低気圧の影響ですが…よくそんなのが来ます)

その爆弾低気圧のせいで、今日は昨日以上の天気になるようですが、今日、明日は北海道だけではなく、全国的に強い風と雪に注意が必要だそうです。

これだけの荒れた天気になるのです。多くの人がよほど心を変えないと、もう日本はやばいかもしれません。

しかし、いつまでたっても二十世紀(末法)の心のままで、心を少しも変えようとしない人が多いようです。心を変えれば昨日動画を公開しましたが、あのように鳥や魚がたくさん寄ってくるようにもなります。(少々うるさいのが玉に瑕ですが)

そんな、動物がたくさん寄って来る愛ある人が増えれば、このような大荒れの天気になることもないのです。(動物の不思議⑧と⑨もありますが、二~三日後にまた公開します。あまり一変に公開するのもなんですから)

昨日、悪は思ってもいけないということを書きましたが、では善の心はどうなのでしょう。悪の心のことを書いたのですから、善の心のことも書いておきましょう。

悪は思ってもいけませんが(思うだけで悪を行ったことになりますが)善は違うのです。

善は思うだけではいけないのです。善は行わないと本当に善を行ったことにはならないのです。

悪は思ってもいけないが、善は思うだけではいけない、行わなければ意味がない、このような違いが現としてあるのであり、これがこの世の修行の難しいところなのです。

悪と善ではなぜそのような違いが出てくるのか?それは元々、悪と善では性質が異なるからです。

善とは元から人に与えられているものですが、悪は後天的なもので人が勝手につくりだしたものなのです。その違いが、善と悪の心と行いの違いなのです。

神の心に悪はありません。したがって私たちは、その善なる神につくられた神の子なのですから、すべて善なのですが、この世の修行の中で神の心から離れ、神に反する心を持つ人が現れた、その神に反する心が悪という心なのです。

そのような(神に従おうと従うまいと)自由な心を神は人に与えられたからです。

だから神が悪をつくったわけではないのであって、悪とは、人がこの世の修行の過程で(怒りや愚痴やねたみや、足ることを知らない欲望などの心を持つことにより)勝手につくりだしてしまったものなのです。

だから、元々、人に備わっている善は当然行わなければいけないし、悪は人が後から勝手につくりだしたものなのですから、それは当然思ってもいけないのです。

釈尊が他力本願は間違いである、といわれているのは、こういうことを他力の宗教は知らないからです。

他力の宗教は、平和になりますようにという思いで、お経を上げたり、祈ったりはしますが、そのようなことをするだけで、それで世の中が平和になると思っています。

しかし、それはただ善を思っているだけで、善を行っているわけではありません。善は行わないと意味がないのです。

では、そのようなことは善でも何でもないということになります。善の行いがないからです。

他力の人たちは、そのような気持ち(世の中が平和になりますように)でお経を上げること、または祈ることが善の行いであると思っています。しかし、それは行いではなくただの思いでしかないのであって、そのような祈りをした後、善の行為をして初めて善をなしたことになるのです。(私も祈っているだけではありません。このようなブログを書いて法を世に拡めています。このような行いがあって初めて善行というのです)

お経や祈りが、ただの思いでしかないということは、少し考えてもらえれば分かるはずです。

例えば、いま中国などで問題になっている公害などそうですが、あの公害は、お経を上げれば無くなるのでしょうか?神に祈れば消えるのでしょうか?

どれだけお経を上げても、神に祈ってもあの公害はなくなりません。

あの公害を無くすには、公害を出している会社を突き止めて、その公害を出さないようにしてもらうしか、あの公害をなくす方法はないのです。

つまり、そのような行為が伴って初めて祈りも生きてくるのであって、ただ祈っているだけでは公害はなくならないのです。そのような思い(祈り)と行いがそろって初めて奇跡(他力)が生じるのです。

絶対自力のその先に他力があるのであって、他力の宗教は、最初から最後まで他力でしかなく(お経を上げたり祈っているだけ)自力(公害を出さないようにしてもらう努力)がないから釈尊は他力本願は間違いであるといわれたのです。

話が少しそれましたが、このような例からも分かります通り、善は思うだけではいけないのであり、行わなければ意味がないのです。

だからこのブログを善の心という題にしましたが、それは善行(善を思い行う)という意味であり、そのような(善を行う)人が増えれば、昨日から続いている大荒れの天気(名古屋も今日はずいぶん風が強いんですが)になることはありません。

そのような善(愛、慈悲、調和の心と行い)なる心を少し待たれてはいかがでしょうか。

それが自分だけでなく、多くの人を救うことにもなるからです。

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12月 16 2014

動物の不思議⑥(名古屋市内)

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