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7月 02 2013

神仏に逆らう愚かさ

しかし、あのヘリには呆れますね。今日は飛んでないからいいだろうと、あっちをフラフラこっちをフラフラして帰っていると、夜空の遠くに光が見えていて、アレッと「ドキッ」とすると、段々その光が近づき「ドドドドドド」という音が響いてきて、ヘリが上空を飛んでいくのです。

特に別の道を通って帰っている時は必ず飛んできますね。まるで当てつけのように「どこに行っても逃げられない」みたいな感じで…。

お金がないから、どこにも逃げようがないといえばないのですが、あのヘリ、日に一機ばかり飛んで来るわけではないですから(何機も飛んで来ますので)一体いくら金かけてんだろうと不思議で仕方ありませんが、マァ、湯水のように金を使っているのだけはたしかなようです。(一日百万じゃきかないでしょうね、二~三百万はいってますね。ということは、一日二百万として月六千万ですか…すごい金額です〔汗〕)

少しでもまわしていただけないでしょうか?でないと、ただではすまなさそうですので。

もう、いつも通る道もあまり通れないですね、今何が起きているか分かりません。そうするといつも通る道を帰っていると、一体何人のファン(何せ人気絶頂ですから)の待ち伏せにあうか分かったもんじゃありません。あまりそういう人を片っ端から祈るのもどうかと思いますので。(それに高橋先生に祈ってますから、遅かれ早かれ何か起きるんじゃないですか、私に祈られた人は…反省すれば別でしょうが)

しかし、そこらじゅうの人が私のことを知っていますね。昨日ナゴヤ球場の辺りふらついてたら、その辺りの人も皆私のこと知ってましたね。(私の顔を見てギョッとする人、おもいっきりいやな顔する人たくさんいました。さすが人気絶頂です)ずいぶん法が拡がったものです。(よかったですね、そのような人たち神の存在が分かって…あまり嬉しそうじゃありませんでしたが)

ということは私の噂、中日ドラゴンズの選手も知っているということになりますね。(当然でしょうね、あの辺りで噂になっているんですから)そうですか、ではあの選手を一度徹底的に祈りましょうか。そうして、あの選手に何か起きれば、一体今何が起きているのか私もよく分かることになります。(だって、有名選手に何か起きればニュースになるでしょう)それがいいですね、そうすることが一番分かりやすいです。

では、今日からあの選手を徹底的に祈ることにします。

なんていうのは、もちろん冗談ですが(笑)そんなことしてたら日本中の人から嫌われます。しかし、中日の選手が私の噂を聞いているなら、あちこちにその噂がいくでしょうから、アレ?そうすると、このブログを読んでるほとんどの人が、私の噂を知っているということになるんでしょうか?(この辺りの人たちだけだと思っていたら)

何でブログ書いてる私が何も知らなくて、読んでる側が知ってるんでしょうか?普通逆でしょう。まったく起きてることでたらめです。(どうせいい噂いってないと思いますが、人の噂はあまりいいこといいませんし話も大きくなります。私の噂を聞いた人は話半分で聞いておいてください)

しかし、それだけ私の噂が伝わっていて、それでも協力者ゼロですか…これはかなり深刻な状況ですね。それがまともに現れているようです。

やはり何か連日起きているようです。この辺りの雰囲気だけでも一変に変わってしまいましたから。

昨夜も(今日の朝もさっきもしてましたが)救急車のサイレンがよく聞こえてきました。近くで聞こえていましたので、私のことを知っている人(もしかしたら嫌がらせした人)が、次々に病院に運ばれているということになります。(これだけ救急車のサイレンが聞こえてくれば、何が起きているか大体想像つきます。皆さんの顔が引きつるのも分かります)

そういうことが、もし私のせいと多くの人が本気で思っているなら、なぜ、その者のいうことを聞こうとしないのですか?

起きていることだけは認めて、いっていることは認めようとしないとは、ずいぶん勝手なやり方であるように思いますが、そこはどうなんでしょう。

私が何か起こしているなら、その者のいうことを聞いた方が、そのようなことが起こらなくなるでしょうし、私が起こしていないというなら、その者のいうことなど聞かなくてもいいのでしょうが、それなら起きていることを、その者のせいにするのはおかしなことでしょう。

起きたことだけ私のせいにして、私のいうことは一切聞かない、それではどう考えても、そのおかしなことが起きている原因は、そのような勝手な振る舞いをしている、その人たちにあるように思いますが、そこはどうなのでしょうか?

自分たちに悪いことがないのなら、自分たちに悪いことが起きるということはありません。

何度もいいますが、自分たちに悪いところがあるから、自分たちに悪いことが起きるのです。

空気があり、水があり、太陽の光があるから、私たちは生きていけるのです。そのようなものを、すべて用意してくださったのは“神”なのです。

その神への感謝が足りないから、そのようなことが起きているのです。それを人のせいにしていても何も解決しません。(人のせいではなく自分のせいだからです)

神仏の心に逆らっていても、決してよいことは起きません。

神仏の心に従うことが、幸福への道なのです。

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7月 01 2013

反省

昨日たまに行く神社で、一時間ほど座っていたのですが、いつもなら(日曜日でしたので)五人や六人、お賽銭を上げてお参りする人が来ているのですが、昨日は一人の人が来ただけでした。

神社や寺が、今のようなことをやっているなら、お参りしたところで何の功徳もありません。お年寄りには悪いのですが、そのような習慣はもうやめられた方がいいでしょう。(金と時間の無駄です)

この法が拡がっていくなら、そのような参拝をする人も減るでしょうね、そんなこといくらしても意味がないと分かるのですから。

別に私は、お寺や神社を潰そうとしているわけではありません。お寺や神社は今のようなお経を上げたり、お祓いをしたりしているだけのような、宗教的な意味があるようなふりだけして、実際は宗教的意義などまるでない格好だけの行いはやめて、早く本来の宗教としての正しいあり方である“人を教化する場”に戻さないといけないし“本当に死んだ人に引導を渡せる場”にしないといけないといっているだけです。

寺や神社がそのような場となるなら、布施してもらうのは当然の権利ですので、お参りしてお賽銭を上げようが、お布施をどれだけもらおうが私は一切文句ありません。そういう肝心な(人を教化し引導を渡す)こともしないで、格好だけつけて布施をもらっているから、私は、そんなところにお参りに行っても意味がないですよ、といっているのです。

そういう本来の役割を、お寺や神社が果たさないと、世におかしな人間が溢れるのです。(現実に溢れています。そんなおかしな人間が)

この前の集団パニックもそうですが、東京で何人もの小学生に切りつけた事件がありました。あの事件を起こした犯人も、普段から奇行が目立っていたそうです。いってることも何かおかしいので病院に入れて精神鑑定をするとかいっていますが、あんなのは完全に地獄霊に憑かれているのであり、本来なら坊さんや神主がいってその霊を祓い、しっかり教化しないといけないのです。

そういう意味では、精神異常者と思われる人が犯罪を犯した場合、今は病院に入院させますが、そうではなく(ああいう人たちは百パーセント、地獄霊に憑依されているのですから)別な刑務所のような場所に集めて、そこで坊さんたちに教化させる、ということをしないといけないのではないかと思います。そうしないと、病院では霊の存在を認めていません。それではそのような人たちは完全によくなりませんし、病院の医師や看護師まで危ないのです。そういう人たちは、本来は坊さんたちが教化しないといけないのです。(事故などで脳に障害を負って、それでおかしくなっている人は、現在のように病院に入院させ治療しながら治すというのは、それは悪いことではありません。しかし、精神的な病は病院では治らないのです。霊の存在を認めていないからです。その霊の作用が大きいからです)

その坊さんたちが(人の教化もしなければ)霊の存在を認めていないのですから、現在ではどうしようもありませんが、だから、早くこの法を拡めないといけないのです。

しかし、この肝心の法の流布のご協力がちっとも得られず、それもままならないのですが、高橋先生に祈りだしてから明らかに様子が変ですね。(昨日も何かあったようですし)

救急車のサイレンも連日聞こえるようになりましたし、周りの雰囲気が、また一段と悪くなったように感じます。どうも毎日のように何か現象が起きだしたようですね。

やはり高橋先生に直接祈るのは危ないですね。この辺りに起きていることだけでなく、一年ほど前に起きていたあの異常な天気(ありましたよね、異常な雷やヒョウ、最強の竜巻が起きたこと。あの時の天気は凄まじかったですからね)が、また起きだすのではないかと、実はヒヤヒヤして祈っているのです。

では、高橋先生に祈るのをやめればいいではないか、と思う人もいるかもしれませんが、これがやめることができないのです。

やめる理由がないからです。(理由もなくやめれないでしょう)私に対する嫌がらせをやめようとしないし(最近やる人が増えたのは、やはりおかしな現象が続けて起きていたからなんですね…普通はそんなこと続けて起きだしたらやめませんか。逆のことやってるんですから、よけい罰も当たるということになります。そういう天罰の原理お分かりになりませんか?)誰一人寄付をしてくれたわけでもありません。

誰も反省しようとしなくて、どうして高橋先生の祈りをやめられるでしょう。そんな中途半端なことしたら私が叱られます。

このブログを読んでる人が心を入れ替えてもらうほかないのです。

私は、この三年というものほとんど布施らしい布施をもらっていません。したがって、親のたくわえを食いつぶしているだけです。法を説いている私が生活がまともにできないようでは、それを聞いている人たちも生活ができなくなるのです。(その人たちが、いつまでも気づかないから私がそうなっているのですから)

ですから、この辺りの人に次々にそのような現象が現れているのです。(自分たちの生活ができなくなりますよね、家族が救急車で運ばれるようなことになれば)

もちろんそれは、このブログを読んでる人、全員がいずれそのような現象が現れることになるのですが、いかんせん、このあたりの人私に嫌がらせをしてくるのです。そういうことをすれば必然的に、そちらを先に反省させなければいけないということになって、それでこの辺りに次々に現象が現れるということになるのです。

それがいつまでも分からず、反省しようとする人がいないものですから、このような(反省を促すような)現象がずっと続いているというわけです。しかし、それでも反省をしようとしないものですから、私ももうどうしようもないということで、高橋先生に頼んだのです。(そうしたら、次々に現象が起きだしたというわけです)

ですから、それ相応の理由がない限り高橋先生に対する祈りはやめられないのです。

このあたりの人が反省し、布施をしていただく以外、この現象を抑える術はないのですが、どなたも布施してくれないのでしょうか?(本当に現在起きている現象の意味が分かる人はいないんですか?大変恐ろしいことが起きているのです。いつまでたっても多くの人が神仏に逆らっているからです。本当に多くの人が恐ろしいことをし続けているのです)

また、このようなおかしな現象がずっと日本は続いているのです。もういい加減このブログを前から見ている人は気づかれ、寄付していただけないでしょうか?(ずいぶんいいところにいったり、いい物を食べたりしている人いますが、私などこの三年間、コンビニの弁当か牛丼屋の弁当しか食べたことありません。そんな生活ができているのに、何で少しくらいの布施を無視するのか、意味が分かりません)

神に対する従順な態度、それを少しでも見せていただくほか、この状況を変える手立てはありません。

反省していただく以外、手がないのです。

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6月 30 2013

これまでの信仰とこれからの信仰

昨日はまた救急車のサイレンがよく聞こえていました。(十回ほど聞いたでしょうか)

一番よくしていた頃と比べれば少ないのですが、それでも一日に十回も、救急のサイレンが聞こえるのは明らかに異常です。それに現在は、あの救急車のサイレンがなぜ聞こえるのか、皆理由を知っています。この辺りの人、気持ち悪いことこの上ないでしょう。

皆様のあまりの不信心さが原因なのですが、それを皆私のせいにしています。それではこの奇妙な現象は止まらないでしょう。

結局、いくらお経を上げようが、仏像を拝もうが、この辺りで起きている奇妙な現象は止まりません。そのような行為が全然信仰になっていないということは、このようなことでもよく分かるのではないでしょうか。(お経を好きなだけ上げられてもいいし、霊験あらたかといわれる仏像でも、お寺でも行って祈られてもいいでしょう。それでこのような現象が止まるならやってみてください。どれだけそんなことしても止まりませんね、今起きてる現象は。それに、すでにそんなことやってる人たくさんいるでしょうね。もう一年以上前から、この辺りでは、このような状況が続いているのですから)

早く心を入れ替えていただきたいものですが、誰も私のいうことを聞こうとしません。では、残念ですが、その心を入れ替える人がたくさん出てくるまでは、このような奇妙な現象は続くでしょう。(すでに時代が変わっているのに、皆様の心が変わらないからです)

よく考えてみてください。もうお経を上げることや、仏像など拝んでも何の意味もないということは明白なのです。(これだけの現象が出続けているのですから、これ以上の証拠はありません。それともまだ、そんな意味のないことを信じますか?)それなら、もう心を変え、考えを変えるしか手はないのではないでしょうか。それ以外の方法が何が考えられるというのでしょうか?

だいたい信仰とは、心をきれいにすることなのです。(それはそうですよね、自分の心が汚いままで、一体何を神様にお願いしようというのでしょうか?)その心をきれいにする努力をまったくしようとせず、ただ、お経を上げたり、仏像を拝んでいるだけで救われると思いますか?お経を上げるだけで、または仏像を拝むだけで、自分の心が勝手にきれいになっていくわけがないのです。

お経を上げたり仏像を拝めば、その時は何か恐縮した気持ちになり、心がきれいになったように感じますが、人の心はそれほど安易にできていません。自分の悪いところを自分が自覚し、その悪いところを自分で徹底的に反省しない限り、自分の心はきれいにならないのです。

その証拠に、多くの人がお経を上げたり仏像を拝んで、それで心がきれいになったように感じても、その後、少し気に食わないことや、面白くないことが起これば、すぐ、そのような心を忘れてしまい、そのような出来事に怒ったり、イラついたりしてしまうのではないでしょうか。それは自分の心がきれいになっていない証拠であり、お経や仏像をどれだけ拝んでも心が成長しない証拠であるのです。

自分の心をきれいに、また成長させたいのであれば、そのような小さなことにこだわらない心をつくるしかありません。それには、そんな小さなことに怒ってはいけないな、という心と行いをするしかないのであって、そうするには、そのようにしようという強い意志と努力以外ないのであって、何か気に食わないことが起きても、それを気にしない、そのような思いを繰り返し持つ努力を続けて、やっとそのような小さな心が変わっていくのであって、そういう努力をし続けなければ、自分の心などそう簡単に変わるものではないです。少しの自分の欠点を直すだけでも、大変な努力が必要なのです。

それが、ただお経を上げるだけで、仏像を拝むだけで、自分の心が勝手にきれいになり、ドンドン成長していくなど有り得ないのです。なるわけがないのです。だから、お経を上げても仏像を拝んでも、今の状況は変わらないのです。そんなことをしていても何の効力もないからです。

このように考えますと、本当の信仰とは、神を思い、その神の心に少しでも近づけるよう、努力精進していくことと思われないでしょうか。

それが本当の信仰であるなら、人に嫌がらせをしていて、神の心に近づくことができるでしょうか?人のいうことをまったく聞こうとせず、いつまでたっても同じことを繰り返していて、自分の心をきれいにさせることができるでしょうか?

どちらも「否」でしょう。そんなことをしていても何の成長もないということです。

これまでの信仰は、心はどうあれ(お経を上げたり、仏像を拝むという)形だけ整えれば、あの人は熱心に信仰をしている、まじめな人格者であり信仰者であると思われてきました。しかし、そんなものはただの格好だけであり、本当の信仰者ではなかったということが暴露されつつあります。(そうではないですか、今この辺りで起きている現象を誰も止められないのですから)

本当の信仰とは、そのような格好だけのものではなく、自分の心を勇気を持って直し(自分の欠点を自分で認めるということは勇気のいることです。しかし、それを認めないと反省できないのです。ということは、それをしないと本当の信仰はできないということです)神の心に近づけることだったのです。

それは、そのようにした人が、次々に奇跡を起こすことでその事実が分かります。

これまでのような偽の信仰をいつまでも続けるか、それとも本当の信仰に目覚めるかは、自分次第ですが、しかし、すでに時代が変わっています。

本当の信仰に目覚めなければ自分が救われることはないのです。

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6月 29 2013

祈りの意味

また、何か起きましたか?

昨日ブログを書かなかったのは(どうせ誰も布施などしてくれないでしょうから)何か起きたら書こうと思ったからです。(一昨日は微妙でしたので)

高橋先生に直接祈っているのです。誰も協力しようとしなければ、ただではすまないのではないかとも思い、そうしたのですが昨日は凄かったですね。夜の帰り道だけで十人近くの人が私のことを待っていて、嫌がらせのようなことをされました。(ということは、他の道にも私を待っている人がいるんでしょうね、最近の私はいろいろな道を通って帰りますので…さすが、この辺りでの私の人気AKB以上なだけはあります……不人気といった方がいいのでしょうか?)

昼は昼でトラックの運ちゃんとか凄いですし、昨日だけでも何人祈ったか分かりませんね。しかし、そのような人たちにいっておきますが、高橋先生に直接祈っています。その覚悟だけはされた方がいいのではないでしょうか。(何が起きるか分からないということです)

高橋先生に祈っていますので、何が起きるか分からないのですが、何か変ですね?いつもと感じが違うようにも感じますが(気のせいですか?)トラックの運ちゃんなど私が祈ると顔を引きつらせる人が多く、何か前以上に態度がおかしいのです。(「ブシュ」とふかすだけふかし、大急ぎで走り去っていく人もいますが、そんなことしても全然意味ないですよ。〔笑〕祈ればその祈りは即座に天に通じます。〔天はすべてその人のことを知っています〕その人がどこに逃げようと、正しい祈りはきかれることになります。私がその運転手の顔を見ようが見まいが関係ないのです)

前以上に何か起きてませんか?まさか次々にあちこちで何か起きだしたんじゃないでしょうね…それで嫌がらせする人が増えたとか…それはないですか、だって、そんなに現象が起きてるなら、嫌がらせする人が逆に減らないと変ですもんね。(次々に現象が起きだして、それでもまだ私に嫌がらせするなど、そこまでまともな判断できない人いないでしょう、子供ではあるまいし。〔笑〕普通はやらなくなりますよね、そんなに次々に何か起きだしたら)

ということは、ただの私の気のせいですか?何か感じが違うような気がしますが…ワンパターンでもいけないので、皆さんいろいろやり方変えられるんでしょうか?

しかし、昨日でもあれだけの人がワザワザ待っててくれるのです。何か起きてるんでしょうね、きっと。(起きてませんか?)

さっきもしてましたが、昨日でも救急車のサイレンがよく聞こえました。

よく考えてみれば、昨日の救急車のサイレンでも、その病人が出た家は(近くの人でしょうから)当然私のことを知っている人たちということになります。

私のことを知っている人たちから急病人が出ているということは……(これだけ嫌がらせされるのです。私が陰で何いわれてるか想像できますので)ということは、私の悪口ばかりいってると、病気になるかもしれないということになります。(十中八九、この辺りの人私の悪口いっています…態度で分かります)

そういうことが、やはり起きてると想像できますが、いかがでしょうか?(何も聞いてませんが)

もし、そうであるなら、私に対し嫌がらせなどやめられたらどうですか、協力された方がよいことが起きるのではないでしょうか。逆に協力しないからそういう(悪い)ことが起きるとは思わないのでしょうか?

ずっと悪いことが起き続けているように思いますが、そうではないのでしょうか?では少し考え方を変えられたらいかがでしょう、そうしないと、いつまでも悪いことは続くように思います。

昨日祈っていて、あることが浮かんだのです。

それは「私はこんなにあちこちの人を祈っていてよいのだろうか」という疑問でした。

すると、しばらくしていろいろなことが心に浮かんできました。そのいろいろなこととは次のようなことでした。

『法を知っているのに、それを行わないことは悪である。おまえは間違った祈りをしているわけではない。おまえの祈りは、その人の心にとって何一つ悪いことではない。だからおまえはもっと祈ればよい。それがおまえの徳となるからだ』

つまり、法を知りながら、それを勉強しようとしないことは、それは悪を犯していることと同じなのだから、それをその人に知らせるためにも、祈ればいいのであって、私は「その人を正しくお導きください」と祈っているのですから、その正しい導きとして祈った人に現象が現れても、それがどのような現象であろうと、その人の心のために(注、体のためではありません)なるのだから、気兼ねなく祈ればよい、そのような悪を犯している人を祈ることは、自分の徳となるのだ、ということでした。

このような思いが心に浮かんできたということは、それは私のやっていることに間違いはないのであって、また、祈らなければ法の流布などできないのですから、祈って、祈って、祈りまくらなければ、法は拡がらないということになります。ですから、これからもドンドン祈ろうと思っていますし、何か現象が現れているなら、それは私の祈りが正しい証拠でもありますし、私に祈られるのがいやなら、私に祈られ現象が現れるようなことをしなければいいのであって、それには心を入れ替えるしかないのであって、その心を入れ替えるには、この法を勉強するしかないということです。

ですからこれからも、何か私にちっかいをかけたと思った人は即座に祈ります。(疑わしきは祈ります)それが、その人のために一番なるからです。祈られるのがいやなら、私にちょっかいをかけなければいいのであるし、自分の心を成長させたいと思うなら、私に協力すればいいのです。

法を知りながら、それを勉強しようとしないことは悪です。

これだけの現象が次々に現れているのです。(ということは、それはすなわち神の命であるということです)

神の命には従われるほかないのです。

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6月 27 2013

自分の罪の深さ

昨日も西日本を中心に記録的大雨となり、土砂崩れや冠水の被害など相次いだようです。

昨日の雨で、西日本の各地でかなり土が水を含んでいるところがあり、いつどこで土砂崩れが発生する分からない状況であるとか。土砂崩れは予測が難しいといっていましたが、地震もそうですが、科学万能などといっているわりには、現在の科学は分からないことがたくさんあるようです。(そりゃ万能の看板おろさないといけませんね)

昨日「このままこのような状況で、私はブログを書き続けていればいいのでしょうか?」という祈りをしていましたら、やはりといいましょうか、次のような思いがあがってまいりました。

『これ以上、甘やかしてはならない』

もう、これくらいでいいでしょう。ただで法を伝えるということは。(最初から、ただで伝えているつもりはありません。そんな安いものではないからです。実際はどれだけいっても、お金を払ってくれないだけですが)

もう十分法は伝わったと思います。(このあたりの人みんな私のこと知ってますからね)これだけ法を毎日のようにブログに書き、現象も(それこそ)毎日のように起きているのです。これ以上ただで法を伝える必要はないでしょうし、いってはいけませんが、もう何年も前からこのブログを見ている人が、とっくにそれは気づかなければいけないことなのではないでしょうか。(ということは、何年も前からこのブログを読んでいても、まったく心が変わっていないということです…さびしい話です)

それを(私がどれだけいっても)平気でこのブログをただで見ているどころか、嫌がらせまでしているのです。これはもう何が起きても文句はいえないし、やはり、これだけ法を知ったのです。何もお返しの行為をしないということは、罪をつくっていることと同じではないでしょうか。

何度もいいますが、この法を知ることなどこの世に肉体を持っても稀なのです。そんな有り得ないような奇跡を体験し、さらに現象が目の前に現れるという、これも法を勉強している人でさえ、なかなかない奇跡を何度も体験しているのに、それに少しも感謝しないどころか、嫌がらせまでしているのですから、そのような人は、それこそ天文学的な罪をつくっているといっても言い過ぎではないくらいです。

いくらなんでも気づかないの度が過ぎています。(これだけの現象が現れているのですから)これでまだ、法に対し、自分が何も感謝の心を現そうとしないということになれば、これはもう確信犯であって、本当の神の教えであると分かっていても、それがどうしたと神の教えをバカにし、神のことなど知るかと考えている、悪魔と同じ考えを持つ者と同様と思われ、裁かれる対象となりますがそれでもよろしいのですか?(悪魔でもそこまで神をバカにしていません。そのような考えは悪魔以下といっても過言ではありません。もしそう思っている人がいたとしたら、死ねば悪魔がいる世界より、もっと下の世界にまで堕ちていかないといけなくなります。自分が思っているより、そのような考えはずっと恐ろしいのです)

キリストが「救世主を尊敬することができないのは、生まれ故郷の者たちだけだ」といわれ、自分の生まれ故郷のナザレでは奇跡を起こされませんでした。(それは、キリストの生まれ故郷の者たちは、小さな時からキリストを知っています。すると「あんなハナタレが何が救世主か」と小さい時のキリストの肉体ばかりを思い、頭からキリストをバカにして、キリストのいうことを信じようとしないからです。〔人の成長を正しく見れないのです〕すると当然、キリストが起こす奇跡も「あの者がそんなことできるわけがない」と、頭から否定する心を持つ者がたくさんいて、そのような念に邪魔をされ奇跡が起きないのです。多くの人のマイナスのエネルギー〔できるわけがないという思い、念〕は、キリストの起こされる奇跡まで封じてしまうのです)

しかし、この辺りの人は法を知り、目の前で奇跡が起きているというのに、それでもまだ私のことを信じようとしないのです。(私の肉体だけにとらわれているからです。キリストの時代には起きなかった奇跡が、目の前で起きているというのに、まるでその有難さに気づいていないのです)

それどころか、嫌がらせをいつまでたっても続けているのです。それがどれだけ大きな罪になるのか、お分かりいただけるのではないでしょうか。

それをどれだけいっても、この辺りの人は認めないのです。「お前が悪い」と人のせいにしているのです。ここでもまた責任転嫁という罪をつくっています。本当に罪が天文学的に膨れ上がっているのですが、それさえも気づかないのです。いい加減気づかれてはいかがでしょうか。

だからこれだけ恐ろしいことが立て続けに起きているのです。

このように、次々に目の前に奇跡が起きていても、それがどれだけ有難いことか多くの人は気づかないのです。それと同様この法を知ることの有難さも、それがどれほどの奇跡か多くの人は気づかないのです。(気づこうとしないだけかもしれませんが)

もうこれ以上、罪をつくるのを野放しにしていてはその人たちのためになりません。従って、これ以上このブログを読み続けていて、何のお返しもしようとしない人は、罪を次々につくっていることになりますので、裁かれることになります。

ですから、このブログを何年も前から見ている人は、即刻何らかの形で(布施するなりなんなりして)お返ししてください。

もし、この最後の通告を無視するのであれば、私は本気で怒ります。そうすると日本に何が起きるか分かりませんよ。

これはこの辺りの人も同じです。これから数日の間は高橋先生に直接祈ることにします。いつまでたっても心を変えないというのであれば、昨日のようなことが次々に起きることになります。

天も『これ以上の甘えは許さない』といわれています。

これまで溜めた“つけ”を即刻お支払いください。

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