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4月 19 2013

心と災害

地震は何とか収まったようですね。(とりあえずよかったです)

今回、震度五の地震が起きたのは百歩譲って私のせい(天から教えてもらっていることをちゃんと書かなかったことが原因)だとしても(それは申し訳なかったと思いますが)それ以外の、これまでの異常現象は、このブログを読んでる人たちが何もしないせいである、と少しはお分かりいただけるのでしょうか?

それは、このブログを(真剣に)読んでいる人たちなら、もう分かるはずです。

今回の一連の地震のことを、地震学者連中は連動していないだの、阪神大震災の余震だの、あるいは千年に一度の地震の活動期に入っただのいっていますが、皆違います。

すべて、このようなことは多くの人々の心が影響しているのです。それでこのような(特別地震だけではありませんが)天変地変が連続して起きているのです。

学者などといっていても、地震学者など、これまでの研究費を三千億もかけて、あんな大きな地震(東日本大震災にしろ阪神大震災にしろ)一つまともに予知することができないのです。(確率とか何とかいってごまかして)そんな学者のいうことを、そのまま信じる人の方がどうかしてるでしょう。地震学者などおかしなことをたくさんいっているのです。

だいたい地震学者は、地震の周期や地層ばかり調べていますが、動物や植物じゃあるまいし、鉱物が勝手に動くわけないでしょう。(動物や植物は自分で動いたり成長したりしますが)鉱物はそのようにはつくられていません。では、周期や地層を調べて一体何の意味があるのでしょうか?(科学者とは思えない発想ですね、素人以下です。〔笑〕)

何かの力がかかるから鉱物は動くのであって、鉱物が単独で、勝手に、あるいは周期で動くなど有り得ないのです。(鉱物が勝手に動くなら、そこらにある石や岩も勝手に〔あるいは〕周期で動かなければなりません…大きな岩など勝手に動いたら、危なくてしょうがありません)

その地震が起きる地層にかかる力が問題なのであり、地層はその力に従って動かされているだけなのですから、その地層にかかる力を調べなければならないのであって、地層をいくら調べても意味がないのです。

ですから私は、何度も地層や周期など調べても意味がないといっているのです。

地層にかかる力を調べないとダメなのであり、その地層にかかる力が、皆さんの心と連動しているといっているのです。

だから私は、よく天変地変が起きる地域の人たちの心と、あまり起きない地域の人たちの心を調べなさい、といっているのです。

そうすれば、天変地変が起きる原因が分かるからです。

そこに住む人たちの心をよく調べて、地層やら気象やら調べた時に、初めて正確な地震や(大雨や集中豪雨などの)気象の予知、予報ができるのであって、一方を調べているだけではまるで分からないのです。だから予報など、当たる時もあれば外れる時もある、当たるも八卦、当たらぬも八卦という、占い状態なのです。

精神と物質科学が調和した時、はじめて予知、予報の正確なことが分かるのです。

この精神と物質科学が調和できるのであれば、神の存在はもちろんのこと、あの世実在界の存在、そこに住む霊の存在、あるいは人の永遠の生命ということなども、すべて科学で証明できるようになります。(心と物質科学が調和すれば、次々に実在界から天啓が降りますので飛躍的に科学が発達するからです)

しかし、物質科学が物質だけを見ていては、何時までたっても真実は分かりません。

科学者が、本格的に人の心を調べなければならない時が、すでに来ているのです。

多くの科学者が心の研究を進めていけば、その科学者たちが、人の心とはどれだけ偉大なものなのかを証明してくれることになるでしょう。

そのようになった時、まったく別次元の新しい世界が現れることになります。

そういう世界をつくるためには、必ずこの法が必要なのです。だから私は早くこの法を拡げなければならないといっているのです。

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4月 18 2013

次々に起きる気づきの現象

昨日三宅島で地震が多発して、宮城県でも震度五の地震が起きました。

三宅島で、地震が多発していた時にはまだ気づいていなかったんですが、宮城で地震が起きた時に思い出しました。その思い出したこととは、まだこのブログに書いていなかったことがあったということです。

実は、あの福島で大きな地震が起きるというブログを書いた時に、一つ書き忘れていたことがあったのですが、そのことを私はそのうち書けばいいと軽く考え、まだこのブログに書いていなかったのです。それを宮城で震度五の地震が起きた時に思い出したのでした。

そのことを、あの淡路島や福島で起きた地震の時は覚えていたのですが、その後、私は忘れていました。それが三宅島で震度五の地震が起き(この地震は午後五時五十七分頃です)宮城県の地震が起きた時(この地震は午後九時三分頃です)フッと気づいたのです。

その地震の起きた時間が、妙に不自然で何か意味があるように思えたからです。

私は淡路島で震度六の地震が起きた時(今月十三日の午前五時三十三分頃です)起きた時間も意味深だ、ということを書いていたのですが、この三宅島と宮城県で起きた震度五の地震もそうでした。

三宅島が五時五十七分、宮城が九時三分です。三は神の数字ですし、七は七大天使の数字です。

「最後の数字が七と三…変だな?何かこの地震意味があるのか?」

そう考えていた時、私はハッとしました。

この時にやっと、まだこのブログに書いていないことがあった、ということを思い出したのでした。その思い出したこととはもちろん地震に関連したことです。

私はあの福島に大きな地震が起きる、というブログを書いた時に、その前兆としてこの辺りで起きている現象がもっと激しく現れると書きました。

しかし、前兆はそれだけではなかったのです。もう一つあったのです。それを私は書き忘れていたのでした。そのことを知らせるための地震ではなかったかとも思えますが、その書き忘れていた、福島に大きな地震が起きる前に現れる、もう一つの前兆とは、まさにそれなのです。

福島に大きな地震が起きる前には、三宅島や宮城あるいは淡路島などで起きたクラスの地震(震度四~六)が多発するということです。

つまり、福島に大きな地震が起きる前に起きる兆候とは、震度四から六クラスの地震が多発し出して、そうしてこの辺りに起きている現象が、もっと激しく起きるようになる、ということです。

これで完璧です。これでこの前、私の心に浮かんできた出来事は、全部このブログに書いたと思います。

もうこれで、震度四~六クラスの地震が(ここ二、三日よく起きていますが)多発することはないと思いますが…ま、まさか、福島に大地震が起きる前兆が始まったわけではないでしょうね(汗)そういえば、この辺りまた何か起きてるようですし(昨日も帰り際に何人かの人に嫌がらせみたいなことされましたし)何か前より頻繁に、現象が起きているのではないかとも思えます。

あれ?だとしたらかなりやばいかもしれませんね…ハハそんなことはないでしょう。(と思うのですが、よく分かりません)地震も四~六クラスの地震がそんなに続くとは思えませんし、この辺りの現象も(何か起きてるようには感じますが)それほど激しく現れているとは思いません。

そのようなことがすぐ起きるとは思えませんが、どちらにしても急がねばならないと思います。

前回、神の使いに対する態度を変えれば、起きる現象も変わると書きましたが、まさにそうでしょう。

今ずいぶん恐ろしい現象が起きているように感じます。(この近所だけでなく、全国的にです)

やはり、もう気づかなければいけないでしょう。私に嫌がらせなど続けていれば、恐ろしい現象が続くのです。(このブログを書いてる最中でさえ、ブログを書くのを前の会社〔オオシオ〕の連中が邪魔しているのです。〔デカイ音などガンガン立てて〕こんなことをしていて、いいことが起きてくるわけありません。あまりに、このブログを軽く見すぎているのです)

ここに書いたことが次々に起きている、そのことを読んで知ってる連中でも、こういうこと(この連中このブログを書くのをほとんど毎日のように邪魔しています。だから気が散って、あまりしっかり書けないのです)を平気でしているのですから、それは天も怒ります。こういう連中がいるせいで、この辺り恐ろしいことが続いているのですが、それがみんな私のせいになっているのですから、どうしようもありません。

だから、このような連中はどうしようもないのですが、そうでない人もいると思います。そうでない人たちが立ち上がってもらわなければ、恐ろしい現象は続き、最後には天から滅ぼされるということになるのです。(現実に大きな地震や原発の問題など、何時そうなってもおかしくない原因がいろいろいわれるようになりました)

私も、このブログを何時まで書けるか分かりません。(私の邪魔をする者〔それは悪魔に憑かれている者〕も多いからです)書いているうちに、心ある人が立ち上がってもらわねば、日本は滅ぶことになります。

現在、次々に気づきの現象が現れています。心ある人はご協力ください。

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4月 17 2013

神の使いに対する態度

私はこの近辺では非常に評判が悪いのですが、少し場所が離れるとまた様子が違ってきます。(この近辺ほど評判は悪くないと思います)

この違いはどこから来るのでしょうか?その理由を書いてみましょう。

一言でいうなら、肉体を見ているか心を観ているか、その違いでしょう。

この辺りの人は心も観ているのでしょうが、その前に私の肉体を見ます。するとどうしても、先にその肉体にとらわれてしまい、心だけを正しく観る(判断する)ことができないのです。

それが判断を誤る大きな理由になるのです。

私が近くにいれば、私の姿はいやでも目に入ります。すると「何だあいつはたいしたことないではないか」とか「自分たちとやること変わらないではないか」と姿形だけを見てそのように思い、なめてしまうのです。

これが肉体にとらわれるという意味なのです。

そうすると、どのような現象を祈って起こしたとしても、先に「たいしたことはない」とか「自分たちと変わらない」という思いが自分の心に入ってしまっているものですから、どうしてもその思いを通してしか、私のやっていることを見ることが(判断することが)できないのです。

すると、私がどんな現象を起こそうと、たいしたことではないとか、あんな被害が出るようなことをしてあいつは悪い奴だ、と、そのような現象が起きる不思議さや偉大さなど二の次にして、そのように思うわけです。

私がどのような現象を起こしても、こういう人たちは悪くしかとらないわけです。(肉体の私を見てなめてしまっているからです)こういう現象を自分たちは一つも起こせないくせに、決してそのような現象を認めようとはせず、私をなめて悪く思ってしまうものですから、平気で嫌がらせができるわけです。(普通は、そんな祈っていろいろ起きる者に何かしようとは思わないのいですが、私をなめた心が強ければ強いほど、そのようなことが平気でできてしまうのです)

しかし、明らかにそのような判断は間違いであり、その証拠に、私に嫌がらせをした人たちに次々に(一人や二人ではないと思います)おかしな現象が現れているにもかかわらず、それでもまだ自分たちが悪いことをしていることを認めようとせず(それも大変なです)私に嫌がらせを続けているわけです。(最初に「たいしたことはない」「自分たちと変わらない」という思いが入ってしまうと、どれだけ恐ろしいことが起きても「あいつに嫌がらせしたくらいで、何が起きてもたいしたことではない」と、その恐ろしいことまで判断を鈍らせ、起きていることをなめてしまい、どれだけそのような恐ろしいことが起きても、同じことを私に繰り返すのです。私に対する「たいしたことはない」「自分たちと変わらない」という心が抜けるまでです。そのような心が完全に抜けないと私に対する嫌がらせはやめないのです。〔ということは、それまで恐ろしいことが続くということです〕肉体にとらわれるということはそれだけ恐ろしいのです)

そのせいで、この辺りではおかしな現象が日常茶飯事のように現れてしまい、それでますます私の評判も悪くなる(私のせいでこのようなことが起きている)というわけです。

しかし、場所が離れたところに住んでいて、私のことを知っている人は、そこまで悪く私のことを見ていないと思います。

その理由は、少し場所が離れてしまうと私の肉体は見えません。(私は歩いていけるくらいの範囲にしか出没しません。何せお金がないですから、そんな遠くまでいけません〔笑〕)そうすると当然ではありますが、私の肉体は見ずに心だけを観るのです。

その私の心とは、この書いているブログであったり、起きている現象であったりということです。

私の肉体を見ていない人たちは、そのようなものだけで純粋に私を判断をするわけです。

そうすると、同じように私が祈り地震が起きたり、台風が来たりして被害が出ても、そのことだけで、こんなに多くの被害を出させて悪い奴と、すぐに思わず、なぜ、この人が祈ってこんなことが起きるのかとか、この人が祈るとこのようなことが続くのか、という不思議さが先に来て(マァ私のことをそれほどすごいと思っている人は少ないようですが)ただ、単純に悪い奴とは思わないわけです。(これくらいのことたいしたことではない、とも思わないわけです。純粋に起きてる現象を見るわけですから)

そのような理由から、近くにいる人と遠くにいる人とでは、評価が別れるわけですが、その遠くにいる人(私の心を純粋に観られる人)でも正しい判断ができていないのです。(私に協力する人がいないということがその証拠です。正しい判断ができていません)

まして近くにいる(肉体にとらわれている)人たちが正しい判断ができるでしょうか?

百パーセント無理ですね。私の近くに住んでいる人で、私に対する正しい評価をしている人は皆無でしょう。(人によっては五十、あるいは七十パーセントくらいの正しい評価をしている人はいるかもしれません)

多くの人たちは本物の神の使いを知りません。ということは、神の使いに対する態度を知らないということになります。しかし、それをいやでも知らなければならない時がきているのです。

今この辺りで何が起きているのか、それはこの辺りの人が一番分かっているはずです。もし、悪いことが起き続けているのなら、自分の態度を反省し、私に逆の態度を取られてみたらいかがでしょうか?そうすれば、逆の現象が現れてくるとは思わないのでしょうか?

神の使いに対する態度を間違わなければ、そこに次々に奇跡が現れ、本当の神の心を様々な体験を通して知ることができるのです。(これだけ恐ろしい現象が現れているのですから、その逆の現象もお分かりいただけると思います。それは愛と慈悲がそのまま現れる奇跡の現象です)

しかし、そのことがいつまでたっても分からず、神の使いに対する態度を間違い、嫌がらせを続けるのであれば、恐ろしい現象は、そのような人たちがいなくなるまで続くことになるのです。

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4月 16 2013

法を知ることの理

それにしても北朝鮮の挑発も止まりませんね、何か日、米、韓、中がやられっぱなしとの印象を受けますが、そこはどうなのでしょう?

残念ですね、法を知っている人がいれば、いくらでもやり方があるのですが、法を知らない人ばかりです。それでは核などを持っているもの勝ちということになり、無理が通れば道理引っ込む式のやり方が、まかり通っても仕方がない話でしょう。

このような外交など見ていても、早く法を拡げた方がいいと改めて思いますが、なかなかそのような部分にも気づいてはいただけないようです。

例えば、このような危ない国の北朝鮮との外交などでも、法を知っているのであれば、祈りながらやれば天がよい方に導いてくれますし、仮に交渉が行き詰まりどうしようもなくなっても、最悪北朝鮮を祈れば、その北朝鮮国内にいろいろなことが起きてきて、交渉どころではなくなります。

そうなれば日本のペースで交渉ができ、少々無理なことでも北朝鮮は飲まざるを得なくなり(国内にいろいろ問題が起こり、そちらを早く収めなければならなくなるからです。その問題とは天変地変、内乱などいろいろあります)行き詰っていた交渉も進むということになります。

法を知っているのであれば、そのような奇跡が次々に起きて、よい方向に進むのです。それは、私がこれまでしてきた祈りの結果など知ってもらえれば、そのようなことは十分可能であると思われないでしょうか。

法を知るのであれば、すべてのことにおいて、十分なことができるのであって(それも力づくではありません。調和しながらです)だから法を知らなければいけないし、法を知ることが人として当たり前のことなのです。(本当の神の教えならそうではないでしょうか)

もう少し皆さん視野を広げられたらどうでしょうか。

例えば、今回の件でもそうですが、ここに私が地震の話を書きました。すると地震が起きました。この辺りの人は、だからおまえが悪いというのです。

なぜ私が悪いのか?

おまえが地震の話を書かなかったら地震が起きなかった、おまえが地震のことを書いて地震が起きたせいで多くの被害が出た、だからおまえが悪いということになるのです。

しかし、この意見は結果しか見ていない単純な意見であり、仮に私がここに地震のことを書いて、そのせいで地震が起きたとしても、では、何で私が地震の話を書かなければいけなかったのか?なぜ、ここに地震のことを書いて実際地震が起きるのか?ということは考えていないのです。

だから、私はずいぶん単純な意見である、といっているのです。

私はなぜここに地震のことを書いたのでしょう、なぜ、ここに地震のことを書いたら実際に地震が起きたのでしょう、一番考えなければいけないのは、実はそのことなのです。

それを多くの人はこれまでよく考えてこなかったのです。ですから、次々に異常な現象が起き、へたすれば日本は滅亡するのではないか(原発の件などまだ全然解決されていませんからね)という状況にまでなっているのです。

それもこれも、やはり多くの人たちの考えが間違っているからです。その間違いを正さないと日本はよい方向にはいきません。

それにはもう少し、自分の視野を広げなければいけないのではないでしょうか。

少し視野を広げるのであれば、なぜ、ここに書いたことが起きるのか、なぜ、この人はこんなことを書いているのか、という疑問が出てきます。そうなってはじめて、真実に気づきはじめるのです。

真実に気づきはじめれば、法の大事さが分かり神の運動をしなければならない、ということも分かってきます。

法を知ることは人としての道理であり、また、多くの人が法を知るのであれば、神の光に覆われて害から守られ、何事もうまくいく(天が協力してくれますので)ということになるのですが、それを何時までたってもやろうとしないため、まったく逆の現象が現れているのです。

なぜ法を知らないといけないのか?

それは特別な理由などないのです。法を知ることが人として当たり前のことだからです。

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4月 15 2013

恐ろしい出来事

昨夜、福島で震度四の地震がありました。

よかったとはいいませんが、一昨日の地震があったから震度四の地震が起きても、このブログを読んでる人たちは(多少ドキッとはしたかもしれませんが)まだ福島は大丈夫だろうと思えたのであり、一昨日の地震がなかったら、かなりヒヤヒヤもんだったのではないでしょうか、三日前に書いたブログの内容が内容でしたから。

当然福島の地震は、このブログに関連して起きていると思いますよ。(でなければタイミングよすぎでしょう)

私は本物の神の使いであるし、ここには天の心を書いているのですから(私の心に浮かんできたことが天の心なのですから)それに関連したことが起きてくるのは当然のことですし(そのようなことはすべて天が起こすのですから)そんなことは前から何度も起きているのですから、今さら驚くようなことでもありませんし(やりすぎてひんしゅく買ったくらいですから)それを証明するような現象も私の周りではいろいろ起きているようですし、でも、皆さん私のいうことは聞かないんですよね。(ということは皆さん、天のいうことは聞かないということになりますね、私の心に浮かんできたことが天のいうことなのですから)

天のいうことを聞かないなど、ずいぶん罰当たりな人が多いように思いますが、そうではなく、そのような悪いこと(今回の淡路島や福島の地震など悪いことですよね、多くの被害が出ているのですから)が起きたのは、皆、すべて、全部、私のせい、とそういうことですよね、皆様方の意見は。(笑)

そうですか、そうですか、皆私のせいですか。皆さんがそういわれるのならそうなのでしょう。何せこの世は民主主義ですから、私一人、このブログを読んでいる人たちが何もしないからいけない、といったところで多数決には負けます。

ところで、その地震があった福島原発の件ですが、汚染水の処理ができなくなる緊急時に使うはずの非常用のタンクまで、大半が汚染水で満水状態だそうですね。(昨日の中日新聞の一面に書いてありました。最近の中日新聞は、この汚染水の記事が一面に出ていること多いんですが…かなりやばい状況なのではないでしょうね〔汗〕)

汚染水の水漏れも相次いでいるようですし、ソロソロ雨の季節にもなります。(最近多いですから集中豪雨が)かなり深刻な状況にも思えますが大丈夫なんでしょうか?(これなどは皆さん、東電や国の責任にしてほっておかれるんでしょうね、きっと)

汚染水が、あふれ出してからでは遅いような気がしますが、皆さん汚染水があふれ出しても、とりあえず自分たちの生活に支障をきたすまではOKということでしょうか?(すさまじいまでの能天気ぶりにもみえますが、そこはどうなんでしょう。私が心配しすぎなのでしょうか?しかし汚染水があふれ出して、そんな高濃度の放射能の汚染水に汚染されたところで、仕事でも遊びでも、あるいは歌や芝居や野球やゴルフでも何でも、やれるものならやってみろといいたいです)

今回の地震の件でもそうですが、ここに書いたことが次々に起きています。(すでにもう、このブログを読んでる人たちは分かっていますよね)それなのに、ここに書いてあることを無視していて本当によいのでしょうか?(それは天の心を無視しているということになりますが)

そういうことをしているから、異常な現象が次々に起き、またこんな恐ろしいことが、刻々と迫っている状況になっているのではないでしょうか。(だとしたら、異常現象が次々に起きたのも、恐ろしい状況になりつつあるのも皆、ここに書いてあることを無視している人たちのせい、すなわち、このブログを読んでいる人たちのせいということになりませんか?)

どれだけここに書いてあることを無視しても、また私に嫌がらせしようと、恐ろしい状況が迫っていることにはかわりありません。

では、どうすれば、この状況を回避できるのか、もう少し真剣に考えられたらいかがでしょうか。

そうしなければ、後世に遺るほどの恐ろしい現象がこの日本に現れることになるのです。

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