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5月 17 2011

エネルギー問題と心のあり方②

福島原発は一号機だけでなく、二号機三号機もメルトダウンしている可能性があるとのこと、今日また東電が新しい工程表を出すといっていますが、そんな工程表まったく当てにできませんね。

最悪の状況に福島原発はなりつつありますが、これは原子力が悪いのでしょうか?それともその使い方を誤った人が悪いのでしょうか?

今度の福島原発の事故は人災といわれていますので、原子力の使い方を誤った人が悪いと思うのですが、そうすると今度の事故も原子力が悪いというよりも、それを使う人の心が悪かったといった方がいいのではないでしょうか。

当然、利権の問題などで原子力までダメだというのも間違いで、そんなものほど一人一人の心のあり方でどうとでもなります。

何に対してもそうですが感謝の心が出てくると、まったく状況が変わってくるのです。(天が大いに協力しますので)

今の原発の問題でもただ怖い、危険だという気持ちで作業するのではなく『あなたたちが今まで働いてくれたお陰で私たちは助かりました、ありがとう』という、感謝の心から始めるべきなのです。

すると、本当に解決できる一番よい道がついてきて、それが思ったよりスムーズに早く進むという奇跡が起きてくるのです。(天の協力だけでなく、原子力自体も収まるように協力するからです)何か意識があるのは人間や動物や植物(植物に意識があるのはもう早くから知られています)だけで、鉱物はないと思っている人も多いのですが、それは違います。鉱物も意識を持っています。(神の生命が宿っているのですから)人の心が分かります。(それが表面に出てこないだけで、だから私は前に野球選手やゴルフの選手はボールに感謝するといいと言ったのです)だからこそ、何をやるにせよこちらの心は大事なのです。(例えば水など意識があるのは知られています。こちらがその水に対し、いい思いを持って飲むときと悪い思いを持って飲むときでは、水の結晶の形が変わるということでその事実が分かります……それは「水からの伝言」という本のなかに写真とともに書いてあります)

心が変わるだけでそんなにうまくいくか、といわれる人もいるでしょうが、それが法を知らないということなのです。

法を知らないということは神の心を知らないということですので、天の協力を得られる方法を知りませんし、それには心のあり方がどれだけ大事かということも分かりません。心のあり方をそっちのけにして(例えば心の中ではいがみ合い、自分の功名や保身だけを考え)この世のやり方だけでやってしまうと、そんな心では天は一切協力しません。(もちろん人間以外の動物、植物、鉱物もです)だから、何をやってもうまくいかず、よい方向に進まないということになるのです。(まさに現在の日本です)

ところが人の心が変わる(感謝の心が出てきて、自分のことはほっておいても、世のため人のためと考えるようになる)と天も何もかもが人に協力するようになりますので、同じことをしても不思議とうまくいき、予想以上に作業が早く終わるということが起きてくるのです。(まさに現在の日本の逆の状況になるということです)

このようなことをまったく知らず、頭だけで考え(そればかりでなく自分の功名や保身というような余計なことも考え)やっているから、まったくダメなのです。

だから法を知るということは大事なことなのです。

法を知らずにことをなそうとすれば失敗することが多いのです。(ただし法を知らなくても、そのようなよい心でやれば成功します)しかし、今日本が原発事故の処理の仕方を失敗すればどうなるでしょう、世界中に放射能が拡散することになります。

今回の浜岡原発を止めたのも総理はどのような心から止められたのでしょうか。もし総理の心が自分の保身や人気を得たいためだけに、浜岡原発を止めたとしたら、今年の夏は去年以上に暑くなるでしょう。(天がそうするからです)そうして大停電が起きることになります。

大停電が起きればどうなりますか、私たち一般家庭の人は電気が一時ストップしても少々の不便はありますが、たいしたことはないでしょう。しかし、企業はそういうわけにはいきません。夏場に一時でも停電したら莫大な損失をだす所がいくつもあるのです。(特に東海地方の電力は七割が企業が使い家庭が使うのは三割ほどです)

今、浜岡原発を止めたのは英断だ、これで私たちの生活態度を見直し節電に心がけよう、などとテレビで言っている人もいますが、たしかに生活態度を見直し節電に心がけるのはいいことです。私もそのようにした方がいいと思いますが、しかし、もし節電があまりできず停電になったらどうするのでしょうか?莫大な損失を出した企業に誰が責任を取るのでしょう?国ですか?それともそんないいことを言っておきながらできなかった国民ですか?どちらも責任などとらないでしょうね、それは企業の自己責任ということになってしまうのではないでしょうか。

だから私は言っているのです。これでは日本が空洞化すると。絶対、今年の夏は停電しないと誰が言えますか(福島原発がダメで浜岡原発まで止めてしまって)そのような危険があるのに、日本の企業に外国に出て行ってはいけないと誰が言えますか。だから企業のことを考えるなら、電力ばかりでなく、それぞれどんなエネルギーも少々余裕を持たせておかないとダメなのです。

(先日ベスビオ火山の噴火のことをこのブログに書いたら、昨日、一昨日と阿蘇山が二年ぶりに噴火しました。専門家は火山の活動期に入ったのではないかといわれていますが、原発の事故は収束するメドが立たず、異常気象も続いて、今度は火山の噴火で活動期にまではいったかもしれないとか。まったく日本は末期的状況ですね、ここに書いたことが次々と現象化しています……私の言うことをいつまでも無視していると本当にヤバイですよ日本は)

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5月 15 2011

エネルギー問題と心のあり方①

先日福島第一原発でまた新しい問題が発見され大騒ぎになっています。一号機の格納容器から水が漏れていて燃料がむき出しになり、むき出しになった燃料が溶けて底に溜まり、底に残っていた水に冷やされかろうじて平静を保っている状態とか、危なくて仕方ありません。

この一号機は一番状態がよいと思われていただけに、関係者のショックは計り知れないものとなっています。

福島原発は収束に向けた作業を続ければ続けるほど、次々に新しい問題が見つかり収束のメドが立ちません。そればかりか高濃度の放射能が三百キロも離れた神奈川県の茶畑からも見つかり、放射能汚染の問題もどれだけ拡がるか分かりません。復興も一向に進まず新たな問題が次々と出てくる、まさに現在の日本は末期的状況を呈しています。

これで浜岡原発を停止して経済が滞ればもうどうしようもありませんね、現在の日本を見ていると、先に進もうとすればするほど悪い方向に行き、問題ばかり起きて先に進めない、何か逆の作用が働いているとしか思えません。

異常気象に大災害、考えられないような大事故(原発)に経済の滞り、どう考えても日本は先がないように思えますが、そう思うのは私だけでしょうか?

当然、法を無視しているからこのような悪循環に陥っているのですが、誰も私の言うことを信じません。法を知っていれば今の状況がどのように変わるのか、少し書いてみましょう。

例えば原子力の問題でもそうですが、たしかに原子力は放射能や廃材の処理などまだ問題がある部分はありますが、では、原子力に変わるエネルギーが今現在、他に存在するのでしょうか?

火力にせよ風力にせよ太陽光にせよ、コストがかさむし電力もまるで足りません。(原子力も建設コストや廃材処理、事故を起こしたときの賠償が天文学的になるという理論で、コストがかかるという意見は暴論だと思います、建設コストは何をつくるにせよかかるに決まっていますし、事故など起きれば何でも余計なコストはかかるわけだし、廃材処理にしてもリサイクル〔プルサーマル計画〕できるようにすればよいのですから)

そのなかでも原子力に迫る電力を供給できるものは火力ぐらいですが、火力は二酸化炭素や硫黄を出します。(環境問題はどうするのでしょうか?)それにコストが原子力の比ではないではないですか、電気料金を上げられたら国民も苦しみますし、企業はどうするのですか、日本の空洞化が進むだけです。

結局、法を知らないからこのような悪循環になるのです。

法を知るならば、今のような原発問題がなぜ起きたのか(それは何度も書いているのでここでは書きません)分かりますし、このようになってしまっている原子力に対しどのような考えを持って望めばいいのかも分かります。しかし、法を知らないと皆頭で考えた意見しか言わないので、てんでバラバラのあちらの意見はこういういいところがあるがこういう悪いところがある、こちらの意見はこういういいところがあるがこういう部分が悪い、といういい部分も悪い部分もあるゴッチャゴッチャの意見しかでてこないのです。

現在の人々は福島原発の事故を見て、その被害がすごいので、ただ放射能は怖い、原子力は危険だ、といって原子力に反対している人が大半なのではないでしょうか。しかし、そのような考えは間違いなのです。

危険だからダメだというなら車も危険ですし(もう何百、何十万という人が事故死しています)爆発するからダメだというなら、ガスやダイナマイトだって爆発するからダメでしょう。しかし、車は遠いところを移動するには欠かせない乗り物ですし、ガスにせよ私たちの生活には欠かせません。爆発するだけのようなダイナマイトでさえ、古いビルの解体作業や大きな岩の爆破には欠かせないものなのです。(ダイナマイトがなければビルの解体や大きな岩を破壊するのにどれだけの手間がかかるか分かりません)

何度も言いますが、この世にあるすべてのものは、神がつくられ神の生命が宿っているのです。なぜ、それが危険なのでしょうか?

要はそれを使う人の心のあり方なのです。原子力でも何でもそうです、神がそれに宿っているということを知っていれば感謝の心が出てくるでしょう。その感謝の心をもって事に当たればまったく違った結果が出てくるのです。

どれだけ私たちは今まで原子力の恩恵を受けたのでしょうか、原子力があったから電気代も安く済み経済も、私たちの生活もよくなったのです。最近言われる環境問題にせよ、原子力で電気をつくっている分には問題ないでしょう。

このように原子力から、多くの恩恵を受けているにもかかわらず感謝の心一つなく、ただ危険だからという理由だけで原子力を忌み嫌うのは間違いなのです。

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5月 13 2011

法を信じない悲劇③

紀元79年八月二十四日、暑い夏の朝方その想像を絶する大災害は起きたのです。

突然、大地を揺るがす大爆音が起こり、ベスビオ山の頂から巨大な火柱が噴出します。

この時のベスビオ火山の大噴火は、それまでの火山の噴火などとは比べ物にならない、想像を絶した大噴火であったといいます。(それは当時、このベスビオ火山の大噴火を目撃した人の手紙に残されています)

噴火の黒雲が空を覆い熱風が押し寄せ、真っ赤に焼けた火山礫(れき)が降り注ぎます。たえまなく降り積もる火山灰は逃げ惑う人々の目や口を覆い、建物の崩壊、噴出物の落下、有毒ガスのため多くの人々が命を落としました。

そうして大火砕流が噴出し多くの町や村を飲み込んだのです。その大火砕流は数十キロに渡り飛散したと思われます。このような大噴火が、二十四日だけでなく翌日の二十五日まで続きました。船で海から脱出を試みようとした人々も、その二十四、二十五の両日はナポリ湾は大変な荒れ模様だったらしく(大噴火の影響がもちろんあったのでしょう)海で命を落とした人も多くいたといいます。

このベスビオ火山の大噴火でポンペイ、ヘリクラネウム、オプロンティスといった十三の町や村が噴火した火山灰で埋没しました。(ポンペイが特に有名ですが、どれだけ広大な地域がこの大噴火で埋没したかは、よくテレビでやっているのでご存知の方も多いと思います)

直接ローマには影響がなかったとはいえ、この大噴火は深刻な状況をローマ帝国にもたらしました。

このような天からの警告とキリスト教徒の努力により、紀元313年(ミラノ勅令)ついにキリスト教はローマ帝国唯一の公認宗教(国教)となります。

キリスト教がローマ帝国の国教になることで、キリストの教えは世界中に拡がることになりました。

キリストの教えにせよ、釈尊の教えにせよ、如来の教えは世界中に拡がり、その教えによって多くの人が救われることになります。それが神の計画であり、その計画を行うため私たちはこの世に生まれてきているのです。

しかし現在の日本の多くの人は、その如来が日本に出世したにもかかわらず、如来の教えを理解せず知ろうともしません。

それは、ある意味、如来の教えを否定し迫害するより悪いことなのです。(だってそうでしょう、否定し迫害するなら、まだ如来の教えがそこにあることを多くの人が知ることになりますが、まったく関心を示さなければ、如来の教えがあることすら多くの人は気づきません)

何度も言いますが日本に出ている多くの人は、一番大事な約束をまるで果たしていないのです。

私が言っていることがいい加減なことなら、なぜ、ここに書いたことが現実に起きているのでしょうか?

先日までの雨は大雨になると私は前回書きました。そう書いた通り、ここ三~四日に降った雨は大雨となり、五月として観測史上最大の降水量を記録しただけでなく、一日の降水量も各地で最大を記録、そればかりか近畿、中国、北陸では時間雨量さえ観測史上最大を記録したのです。去年の五月に確か観測史上最大の雨が観測されたはずですから、今年の五月は去年の五月以上の雨が(まだ今年は五月半ばですが)すでに降ったということになります。それも一ヶ月の雨量が最大になっただけでなく、一日の雨量も、そして一時間の雨量も最大を記録しているのです。そんな記録が日本の各地で続出したのです。こんな異常なことが日本の各地で起きていて、何で普通でいられるのでしょうか?

なぜ、今の日本はこのような異常なことが連続して起きているのでしょう?百年、千年に一度の災害が起きたというのに、異常現象はまだ続いています。これはどういうことなのでしょう。

百年、千年の災害がまだ続いているということは、それはもう百年、千年単位ではなく二千年、三千年、あるいは一万年単位の災害が、現在の日本に起きているといっても過言ではありません。こんな異常現象が起き続ければ日本はどうなると思いますか?

日本の歴史は二千六百年です。その日本の歴史をはるかに超える災いが、現在の日本に起き続けているということは、そんな災いは過去の日本に起きたことがないので、日本の滅亡ということも考えられるということになりませんか。

つまり私が言っている、このままでは日本は滅亡する、いうことは、荒唐無稽な話ではなく十分ありえる話なのです。

如来の教えを無視し続けた罪はそれほど重いのです。このままでは天が日本を滅ぼすことになるのです。

知りませんでした、分かりませんでした、で済む話ではないのです。私たちの代で日本が滅びたということになれば、それ以降に日本に生まれてくるはずであった、日本に縁を持った人たちの修行の場も潰してしまうことになり、私たちの罪は計り知れないものになります。

何度も同じことを言いますが、早く如来の法に気がつき法を勉強していただきたい、そうしてぜひ私に協力していただいて、法の流布に尽力していただきたい、私はそれを思うのみです。

私もいつまで言えるか分かりませんが、一番大事なことを、多くの人が気づいてくれるまで言い続けるしかありません。

そうしないと日本が滅びることになるからです。

如来の法を無視すれば恐ろしいことが起きてくるのです。

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5月 11 2011

法を信じない悲劇②

前回、月間最多雨量だの何だの書きましたら、途端に、昨日は一日の降水量が五月としては最多を記録したところが続出しました。(このブログに書いた途端これでは、天がどれだけ怒っているかよく分かります)どなたも法を学び、私のやっていることに協力していただけないのでしょうか…このままだと何が起きてくるか分かりません。まだ、今日明日、大雨になりそうですし……しかし、信じない人たちに何を言っても仕方ありません。話をキリストの弟子たちに戻しましょう。

キリストの弟子たちが、過去世の言葉を語ったエルサレムからキリスト教の伝道は始まりました。エルサレムで数千人の人々がキリストの教えに帰依したのです。

聖書で有名なペテロ、ヨハネあるいはパウロというキリストの弟子たちが、次々と奇跡を起こし福音を述べ伝えます。その影響で多くの人々がキリストの教えを信じました。

最初は無関心を装っていたローマの人々も、異常なキリスト教徒の増え方に次第に脅威を覚え敵視するようになります。(当然ローマ帝国にも、当時先祖崇拝の信仰がありましたし、キリストが福音を説かれたパレスチナには、ユダヤ教〔ユダヤ教のなかでもサドカイ派、パリサイ派、エッセネ派などに分かれていました〕がありました)

そうしてキリスト教徒の迫害が始まったのです。紀元32年頃に最初の殉教者がでます。(ステファノという名の弟子で、ユダヤ教徒に裁判にかけられ、多くの人に石を投げつけられる石打ちの刑で殺されます)

それから多くのキリスト教徒が迫害に遭い、あの狂気の皇帝ネロ(飲酒にふけり浪費家で不品行で金使いが荒く、虚楽的で残酷といわれています)が紀元54年に皇帝となると、キリスト教徒へのそれまで以上の大迫害が始まったのです。

多くのキリスト教徒がネロのもと磔刑や焚刑によって殺されます。その皇帝ネロの時の紀元62年、イタリア半島の南部を巨大な激しい地震が襲いました。

この地方をよく知っていたセネカという人物は、その地震の模様を次のように語っています。

「ソレントからスタビエ、ヘルクラネウムの海岸線(ナポリ湾沿岸の町です)の会いするところ、活況を呈した町ポンペイが破壊された」

その巨大地震が起きたのは紀元62年の二月五日だったといいます。ローマの南に位置する、これらの町があったカンパニア地方の多くの都市は、この巨大地震で大きな被害を出したのです。(まるで今回起きた東日本大震災のようです)

しかし、この大地震はその後に起きる、大きな災いの前触れにしか過ぎなかったのです。

このような大地震が起きても、ローマはキリスト教徒の迫害をやめようとはしませんでした。その大地震が、本当の神の教えを述べている者に危害を加えてはならない、という天からの警告であるとは誰も思わなかったからです。その巨大地震が天の気づきの現象であると誰も気づかなかったからです。

その後、ペテロやパウロがネロの手にかかり処刑されます。その数年後にペテロの弟子であったマルコが、ペテロから聞いていたキリストのことを書に書いて残します。(紀元70年頃といわれています)これがマルコの福音書で、このマルコ伝をもとにマタイ、ルカの福音者が書かれました。このキリストの弟子たちの書かれたものが、後に新約聖書として世に伝わり、世界中にキリストの教えが拡がっていくことになったのです。

この当時は、キリストのことを直接知る弟子たちの話と口伝だけで、キリストの生涯とその教えを遺したのです。(キリストが直接書かれたものはなかったのですから)ということはキリストの教えも、弟子たちの受け取り方により多少ニュアンスが変わり、またキリストが言われた教えすべてが伝わっていない可能性があります。またキリストの伝道期間が非常に短かった(三年程といわれていますが)ということもあり、やはりすべての教えをキリストは説ききれずに昇天されました。そのようなところが仏教では(釈尊は四十五年の間この世にいられ正法を説かれました)言われていても、キリスト教では言われていないという教えがある理由(たとえば輪廻転生など仏教では説かれていますが、キリスト教では説かれていません、この輪廻転生の教えなどその一つです)で、仏教とキリスト教の教えは違うといわれる人もいますが、そうではなく、釈尊もキリストも時代や法を説かれた期間により説き方が少々異なっているだけで、同じ法(神理)を説いていられるのです。

キリストの福音こそ本当の神の教えであり、それを信じる人たちに、様々な奇跡が起きたにもかかわらず、当時のローマはキリスト教を認めようとはしませんでした。キリストの十二使徒は次々と殺されキリスト教徒の迫害は続きました。

天はそれまで数々の警告をローマの人々に与えました。しかし、それがローマの人たちに届くことはありませんでした。(現在の日本のようです)

ついに天は大きな決断を下すことになります。

今までにはありえなかった、想像を絶するほどの大災害が、あの大地震が発生してから十七年後に同じカンパニア地方で起きることになりました。

その大災害とは現在の人々なら誰もが知っている、あのベスビオ火山の大噴火です。

(昨日のプロ野球である選手に天が協力していました。その選手はよいことをしようとしているのですね、きっと、よいことはやった方がいいと思います)

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5月 09 2011

法を信じない悲劇①

しかし、こうも毎月毎月毎月毎月、よく月間最多雨量だの最少雨量だの、観測史上最高だの最低だのでるものですね。(こんなこと過去二千六百年の日本の歴史のなかでもあったのでしょうか?)

このような状況で、皆さん普通に仕事して生活しているというのも、私から言わせると「皆、何も感じないのだろうか、少しおかしいんじゃないか?」と思ってしまうのですが、そんなことを感じている私の方がおかしいのでしょうか(当たり前のことですが最多雨量とは、それまで降ったことがない量の雨が降るということですよ、最少雨量とは今までにないほど雨が降っていないということです。観測史上最高最低とは、今までにないほど高いと低いということですよ、このようなことが毎月起きているのです、しかも日本にだけ。これ恐ろしいことだと思いませんか?)。

世の学者連中は、これだけ毎月毎月、異常気象が続いている日本の状況を見ても何も言わないのでしょうか?何も感じないのでしょうか?そのような人々が、今の日本は何かおかしいと警告を発すれば、もう少し現在の日本の危ない状況に気づく人も出てくると思いますが、私が何を言っても誰も何も思わなそうですし、誰か、そのような警告を発する人はいないのでしょうか(だとすれば学者といわれている人たちも、よほど鈍いかよほどバカかです)。

私など、この状況ではいつ何があってもおかしくはない、と心配でなりませんが、まったく多くの人がそんな危機感ありません。肝が据わっているといいましょうか、何も分かっていないといいましょうか(多分何も分かっていないと思うのですが)現在の日本は非常に危ない状況にあるのです。

それが東海大地震か東京大地震か分かりませんが、また大きな災いは必ず起きますよ、それも近いうちにです。天の怒りが現在もまだ続いているからです。何も治まっていないからです。(それはそうでしょう法を知って心を変えようと誰も思わないのですから、天は私以上に怒りを感じているようです)

これだけ奇異な現象が毎月起きているのに普通でよくいられるな、と私など思ってしまうのですが、どのように説明しても多くの人は臭いものには蓋をして、危ないことには眼をつぶり、今さえ平穏に暮らせれば(今さえ楽しければ)それでよいと、現状をまるで見ずに生活していますが……それで何か起きれば右往左往して起きた時だけ騒いでいます。

その繰り返しでいいのでしょうか?

何か起きた時だけ騒いで、それによって不幸になった人だけ助けていれば、それでいいのでしょうか?

何で、こんなことが毎月起きているのだ?という疑問一つ持たなくていいのでしょうか?

そんな疑問など持たなくてもいい、と思っている人が多いから、このような現象が起きてきているのではないでしょうか?原発が危ないとデモをしている人もいるようですが、そんなことより、自分の心を一つも直そうとしない人の方がよほど危ないのです。

キリストが出世されたパレスチナは、当時ローマの支配下にありました。この当時のローマ帝国は地中海沿岸の広大な大地を支配し、ローマ帝国が世界といっても過言ではありませんでした。

そのローマの支配下にあったパレスチナに、キリストが出世され福音を説かれ多くの奇跡を起こされます。

そのローマ帝国でキリストの福音(如来の法)にローマの人々は、どのような態度をとり、そしてどのような目にあったのでしょうか、少し書いておきましょう。

キリストは紀元30年頃にゴルゴダの丘で十字架にかけられ昇天されます。その時、逃げ出した弟子たちもキリストの復活(キリストの復活は肉体のキリストが復活されたのではなく、霊体のキリストが弟子たちの前に現れたのですが、聖書は霊体のキリストと肉体のキリストをゴッチャに書いてあり、何かキリストが神かスーパーマンのように書かれてあります。しかし、実際は湖の上を歩いたキリストや復活したキリストは、幽体離脱した霊体のキリストを弟子たちは霊視したのであり、肉体のキリストではありませんでした。その肉体と霊体の区別が当時の弟子たちにはつかなかったようです)と奇跡(ペンテコステ「五旬節」の聖霊降臨)を体験し、憤然と立ち上がりキリストの教えをローマ帝国を中心に世界に伝えていきます。

その時ローマはキリストの教えに対し最初は無関心であり、そのキリスト教が拡がり始めキリスト教徒が増えると、今度はキリスト教徒に数々の迫害を加えます。

その時ローマに何が起きたのか……。

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