8月 14 2013
大東亜戦争①
昨日はまた高知で気温が四十度に達しました。もちろん史上初の出来事ですが、取りあえずこの話は少しあけましょう。(皆さんすぐに考えを変えろといっても、さすがに無理でしょうから…でも、大分前からいってはいますが)
それより明日は終戦記念日です。また、明日は侵略戦争だの何だのテレビでいうんでしょうね。(気分が悪くなるので、あまり戦争に関する番組は観たことありませんが)
またそんな番組を観て、それをそのまま信じられてもいけません。日本は好きで大東亜戦争を始めたわけでもなければ、他国を侵略するつもりもなかった、ということを少し書いておきましょう。
今のような「日本は侵略国家であった」という考えは、戦後行われた東京裁判(極東国際軍事裁判)より始まります。この裁判は戦勝国が敗戦国を(一方的に)裁いた裁判として有名ですが(こんな裁判史上初です)この裁判の判事十一名の中で一人だけ国際法に通暁していた判事がいます。それがインドのパール判事でした。(後の十人の判事は皆連合国側の回し者です。中には判事などしたことない人までいるんですからひどいものです。これは少し調べていただければ分かる事実です。つまりこの東京裁判は、連合国側の回し者の判事十名と本当の中立の判事一名で行われたのです)
パール判事は次のようにいわれています。
鄭春河著「嗚呼大東亞戦争」より抜粋します。
<四 パール判事の正義感
極東国際軍事裁判所十一名の判事の中、ただ一人インドのラダー・ビノート・パール博士(判事)が一二七頁にわたる厖(ぼう)大な判決書を認(したた)めて、堂々と日本の無罪と正当性を主張した。その内容の要点は次の通りである。
1 支那事変以来、米英両国は中立国の国際法上の義務に違反して、公然と蒋介石政権に対し、経済的にも多大な援助を与えた。これは明らかに日本に対する挑発行為である。
2 支那事変の末期、米・英・支・蘭など四ヵ国が協同してA・B・C・D包囲陣を作り、日本を経済的に封鎖した。とくに日本に対する石油の全面禁輸をしたことは、日本に対する挑戦行為である。
3 米国は開戦前の十一月十六日、日本に対し、最後通牒を突きつけた。その第三頁に「日本は中国及び仏印の全土から陸海軍と警察力を全部撤退するよう」要求した。これは明らかに日清・日露両戦役の結果、日本が正当に得た権益を捨てることを要求するもので、この要求は宣戦布告同様である。
4 米国は十一月二十七日、前哨地帯の諸指揮官に対し、戦闘体制に入るよう秘密指令を出した。事実上米国はこの日に対日戦争を開始したことになる。米国議会はこの事実を知って非常に驚き、上下両院合同の査問委員会を結成して軍部の挑発行為を激しく非難した事実がある。
パール判事のこの判決書だけでも大東亜戦争は誰が仕掛けたのか、侵略戦争か防衛戦争であったかが一目瞭然である。
(中 略)
さらに日本国民に左の金言を贈られた。
「欧米諸国は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の十七年間の経緯を、罪悪と烙印することが目的であったに違いない、……私は一九二八年から四十五年までの十七年間の歴史を二年七ヵ月かかって調べた。この中には恐らく日本人の知らない問題もある。それを私は判決文の中に綴った。この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。それなのにあなた方は、自分らの子弟に「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。満州事変から大東亜戦争に至る真実の歴史をどうか私の判決文を通じて充分研究していただきたい。日本人の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈・頽廃に流れて行くのを、私は平然と見過ごすわけにはいかない。誤られる彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書き改めねばならない」>
パール判事の正義感と慧眼には感服しますが(まさに戦後の日本は、パール判事が心配したとおりに卑屈と頽廃の歴史をたどることになるからです)パール判事だけではありません。
この当時のアジアの人々は、日本を次のように評しています。



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