8月 18 2013
悪魔の手法
今日は日曜日ですので、前の会社(オオシオ)の連中も休みです。このブログを書く邪魔もできないだろうと思っていると、今度は前のマンションの住人が、一生懸命窓を開けたり閉めたりしてこのブログを書くのを邪魔しています。(笑)とにかく悪魔はこのブログを書かせたくないようです。
それはそうでしょう、私が書くブログのせいで、唯物無神論から唯心有神論に変わる、パラダイムシフトまで起きかけているのですから、悪魔も気が気ではありません。これで本当の神の教えが世界に拡がるようなら、悪魔の居場所(怒り、ねたみ、ひがみ、そのような心に悪魔は巣くうのです)はなくなります。
そうなれば、この世の混乱は望めなくなり、悪魔も存在できなくなります。(つまり、悪魔も心を変えざるを得なくなるということですが、その方が悪魔にとってもいいのですが、悪魔は天使に戻るのがいやなようです。悪魔も愛の心を忘れているからです。だから愛〔神の心〕を得たいとは思わないのです。悪魔も神の心を忘れ去った哀れな存在なのです)
それはもう悪魔の怒りは尋常ではないでしょう。
だから、あちこちの人間を操り私を潰そうとしてくるのです。何か悪いことが起きれば、それはあいつのせいと心の内より扇動して、皆私のせいにしてしまうのです。絶対に自分たちが悪いとは思わせないのです。それが悪魔に操られる(導かれる)ということで、また、そういう噂を流して多くの扇動者をつくり、多くの人で一人の者によってたかって嫌がらせするのです。多くの人が賛同するなら、よけいにその一人の者は潰しやすいからです。悪魔は力だけが頼りです。だから、多くの仲間をほしがるのです。(とはいえ、では、チームワークがいいのかといえば、その一点だけはいいのでしょうが後は自分勝手です。悪魔は独りよがりで自分本位だからです。都合がいい時だけ一緒にやるのです)
悪魔の手法とはそのようなもので、力ずくで、絶対に自分たちが悪いとは思わせないのです。悪いことは全部人のせいにして自分たちは常に正しいと思わせます。あら捜しをして、悪い部分をことさら大げさにいい、よりその人を悪者にするのです。(こういうことする人世の中にいますが、そういう人悪魔に憑かれています)
そうしなければ、多くの人はその一人の者に嫌がらせを続けません。だから、常にあいつは悪い奴と思わせ、多くの人に嫌がらせを続けさせるのです。
しかし、少し考えてみてください、その人たちは自分は絶対正しいと思っているのでしょうが、では、人に嫌がらせするということが正しいことでしょうか?子供にはいじめはよくない、人に嫌がらせなどしてはいけない、というはずなのに、そういっている大人が人に嫌がらせをしているのです。その嫌がらせを受けている者が善か悪かはともかく、そういうことをやっているその人も、決して正しいことをしているとはいえないのではないでしょうか?
自分たちがどれだけ間違った行為をしていても、それでも、自分が悪いとは一切思わず、悪いのは常にその嫌がらせを受けている者なのであって、誰が何をしようと、自分たちは絶対善で、嫌がらせを受けている者は絶対悪、これが悪魔の手法なのです。
自分たちを省(かえり)みるということを絶対にしないのです。それをされてしまうと、自分たちも悪いところがあるのではないか?と思われてしまい、そのような心が少しでも出てくると(これが神の心なのですが)悪魔はその操っている人たちを自在に操れなくなるのです。だから、絶対にそのような心にはさせないのです。常に自分たちは善で、相手は百パーセント悪と思わせるのです。
だから、お前が悪い、お前が悪いの一点張りなのです。そのような心にしておかないと私を潰せないからです。
どちらにしても、そのような心(怒りやねたみ、ひがみ、あるいは人の意見を聞かないような傲慢さ)があるから、悪魔もよってきたのであるし、そうして憑かれるのですから、悪魔に憑かれるような人は、元々自分の心に問題があり、そのような人が悪魔に憑かれてしまうと、元々あったそのような心がより顕著になりますから、平気でそのような思い(自分が百パーセント正しくて相手が百パーセント悪)がもてるのです。
しかし、悪魔に憑かれてしまうと雰囲気や態度にも出てきます。何かこの人幽霊のようだなとか、怒ると人が変わったようになる人いますが(そういう奴前の会社にもいます)そのような人は悪魔に憑かれている典型的な人で、少なくともそんな人のいうことを聞いていれば、自分も不幸になります。(最終的には自分も悪魔に憑かれますから)
少し、自分自身で今やっていることを考え、冷静な判断をしていただきたいと思っています。
結局、自分が百パーセント正しくて相手が百パーセント悪い、などという考えは存在しないのであって、少しも自分が悪いと思えないという人は、かなり悪魔に近い考えであると思われた方がいいでしょう。自分を省みるということをしておかないと、後々自分が一番困るということを知るべきです。(死んで自分を省みるということができないと、地獄にい続けなければならなくなりますから)
先ほどの話に戻りますが、人に嫌がらせしていること自体、すでに悪いことをしているのです。
もし、その人が本当に悪いことをしているというなら、その人に嫌がらせなどせず、堂々とあなたはこういうところが悪い、だから皆の嫌がらせを受けているのだ、と意見するのが正しい人としてのあり方でしょう。しかし、そんな人一人もいません。
なぜ、そんな人が一人いないのでしょうか?(堂々と意見する人はメールですらいません)では、悪いのは自分ではないか、と思っている人が多いのではないでしょうか?だから、私と議論をしても勝てないと分かっているから、そのような態度しか取れないのではないですか?
誰一人意見をいってくれる人がなく、嫌がらせしかしないというのであれば、やはり、自分たちが悪いのでそのようなことしかできないと、こちらは考えますがそれでよろしいのでしょうか?
そうであるなら、私の方からいわせてもらいますが、いつまでも、悪魔の手法に乗せられ、そのような悪いことを続けるのであれば、悪い現象は続くし、結局自分も不幸になるのです。(これだけ毎日救急のサイレンがしているのです。遅かれ早かれ自分の番はきます。そう考えた方がいいのではないでしょうか)早く勇気を持って自分が悪かったと反省し、私の運動を少しでも手伝ってもらえるのであれば、今起きている不幸な現象は減ってくると思いますし、結局それが一番自分を幸福にすることになるのです。
一番いけないことは、いつまでも悪魔の手法に乗って悪を続けるということです。そういう人が多ければ不幸な現象が続くからです。この現象は神が起こしているのです。神が起こしているのであれば、その神の現象を素直に受け入れ自分が悪かったと反省することです。
そのような心になった時、初めて神の光がその人に降りてまいります。そこから人は救われることになるのです。悪魔の手法に乗っていては神の光は降りません。悪魔の闇の力しかその人に降りないのです。(そうなれば、ますます悪い方向にその人は進むことになります)
このような神の現象が次々に現れているのです。後はもうその現象を素直に受け入れ自分が反省できるか、できないか、それだけでしょう。
いつまで神に逆らわれるつもりですか?神は皆様の心が変わられるのを、辛抱強く待ち続けていられるのです。



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