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9月 12 2013

法に対する罪

10:40 AM ブログ

昨夜の帰り道、よく通る公園を通って帰ってきたんですが、その公園は私が帰る頃は、いつもたくさん人がいて、あまりその公園に私はよらないことにしていたのです。(最近は横を素通りしていました)というのも、その公園の中に入っていくと、そこにいる人たち皆私のことを知っていますので、必ず誰かに嫌がらせみたいなことされたからです。(わざわざあの辺りで待ってる人もいましたし)

ところが昨日は人っ子一人いませんでした。初めてですね、私の帰り道にあの公園に誰もいなかったのは。(いつもは誰か彼かいましたからね、犬を散歩させている人とか)

アレッ、珍しいな?と思って、その公園のベンチに十分ほど座っていましたが、誰も来ませんでした。

昨夜は不思議でしたね、あの公園にあの時間体に誰も来ないとは?

あの辺りの皆さん、ずいぶん私のブログを、熱心に読んでいる人が多いのではないでしょうか?それで最近のブログ(最近のブログは内容ちょっと怖いですから)を読んで、昨日はビビッて誰もあの公園に近づかなかったとか?

ハハ、そんなことはないでしょう。昨夜はたまたま誰も、あの公園に私が帰る時間にいなかっただけでしょう。たまたまです、たまたま…しかし、もしたまたまでないのなら、ずいぶんあの辺りの人も私に嫌がらせしている人が多いです。それを反省もせず、そのままにしておくと何が起きてくるか分かりません。怖いと思うなら早く反省された方がいいと思います。

しかし、そんなこと書いても、たいしてビビる人いないでしょう。この辺の人見てください、どういうブログを書こうが平気です。昨日も凄かったんですから。(邪魔や嫌がらせしたくられましたから)今日も凄いですよ、朝から邪魔したくって……と書きたいところなんですが、何か今日は前の会社変ですね?邪魔するにはするんですが、今一迫力がない、それに何かいろんな人が怒っています…このパターンは…また何か起きたんですかね?(会社の様子が変わるんでよく分かるんですが)

そういえば、昨日はずいぶん救急車のサイレンが聞こえましたが、これで前の会社にまた何か起きたというなら、まっ、まさか、始まったんじゃないでしょうね。(癌はともかく心筋梗塞や、くも膜下出血などは救急車を呼ぶでしょうから)

昨日書いた恐ろしい現象が……。(大汗)

なんてね、マァ、それはないでしょう、昨日書いたことが、今日から起きだすなどまるで漫画です。(笑)

しかし、いっておきますが、本物の教えが出現した時は、その教えを潰そうとしたり、その教えの流布を邪魔したり(またはまったく協力しようとしなかったり)した時には、必ず、恐ろしい現象は起きてきます。

そのことを、現在の日本に生まれている人は知らない(または認めない)だけで、本物の教えが出現した時に、そのような態度を取る人が多ければ、恐ろしい現象は必ず現れるのです。

これまではただの伝説、あるいは迷信だと思っていたことが、実は実際に起きることなのだということを、多くの人たちが早く理解しないといけないのです。でなければ、そのような現象は止まらないからです。(現実に起きているでしょう、現在の日本に)

もし、恐ろしいことが前の会社に連続して起きているなら、それは、本物の教えが出現しているにもかかわらず、その教えの流布を、邪魔しているということはないのでしょうか?もし、それをし続けているというなら、その会社に起きている恐ろしい現象は止まりません。そういう人がいなくなるまで、その現象は続くでしょう。

この辺りの人も同じです。本物の教えを説いている者に、嫌がらせなどしていないでしょうか?もし、それをしているというなら、そのようなことをしたすべての人に、いずれ恐ろしいことは起きてきます。(本物の教えを説いている者に嫌がらせするということは、法を潰そうとしていることと同じだからです)

このブログを見ている人にお聞きします。本物の教えが出現している、という自覚があるにもかかわらず、それをただ見ているだけという人はいないのでしょうか?もし、そのような人がいるのであれば、そのような人は、本物の神の教えが出ているということを知っていて、それを勉強しない、その教えの流布に協力しない、ということですので、これも罪になります。(確信犯ですからね)

ここに書いた、そのような人たちすべては罪人となるのです。

もちろん、人それぞれの心のあり方、また法に対する態度により(法の流布を邪魔した、または潰そうとしたような人たちは、それはもう最悪の罪を犯したことになりますので、あの世に帰った後、それはそれは厳しい修行をさせられます。もちろん地獄で)一人一人の罪の度合いは違ってきますが、そのどの人も、本物の教えが出ていることを承知でそのような態度を取ったのです。罪人であることには変わりないのです。

それだけ、この“法”とは偉大なものであるということです。(皆さん、この法の出現をあまりに甘く考えすぎていないでしょうか?)

それでも心を変えないのでしょうか?

どちらにしても、より恐ろしい現象が始まったようです。そんな気がしてなりません。

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