>>ブログトップへ

9月 24 2013

誰のいうことを聞くべきか

10:36 AM ブログ

ですから、今起きている恐ろしい現象の原因を、少し詳しく分析するのであれば次のようになります。

この近所で起きている不幸な現象は、私の周りで私に対し嫌がらせを始めた人が原因であり、名古屋中で起きているサイレンはバスや電車、トラックの運転手が嫌がらせを始めたことが原因であり、全国的に起きている現象は、やはりもう全国の人が私のことを知っているにもかかわらず、いつまでたっても法の勉強をせず、協力もしようとしないことが原因であるということです。

そうではないと否定する人など、何一つ奇跡を起こせないのです。口だけなのです。なぜそんな人のいうことを信じるのですか?

私は、私に対し嫌がらせなどしている人に次々不幸が襲い、そうして様々な奇跡も起きています。なぜ、そのような者のいうことを信じないのでしょう?まったく不思議でなりません。(普通は、悪いことが起きない方のいうことを信じるはずですが、この辺りの人、悪いことが起きている人のいうことを信じるのですね。常識的に考えれば逆ですよね。だって、悪いことが起きている人のいうことを聞いていたら、悪いことが起きるでしょう)

悪いことが起きている人たちは、その起きている原因などまるで分からないのです。分からないのに、自分たちの責任になるのが嫌で、自分たちに都合のいいことしかいわないのです。(まったく個人のことしか考えない責任逃れです。その証拠にこのような人たちは、自分が悪いと認めたことなどないのではないでしょうか)しかし、そんな人たちのいうことを聞いていれば(その人たちは悪いことが起きる本当の原因を知らないんですから)よけいに不幸になります。不幸が起きていない者のいうことを聞くべきでしょう。

何度もいいますが、その人たちは何の奇跡も起こせないのです。そのような人たちは平気で周りの人たちに迷惑をかけ、いい加減なことをいって、自分ばかりか人まで不幸にしている人たちなのです。

奇跡を起こす者と多くの人まで不幸にする者、一体どれだけの差があることでしょう。(天と地以上の差ですね)人を不幸にする者のいうことを聞いているばかりに、多くの人々が不幸になるのです。

何度も書きましたが、私は祈りで、末期癌の人の癌が小さくなり、痛みもなくなったという奇跡を起こしたことがあります。

この奇跡が起きた時のことを少し考えてみてください。この奇跡が起きたのは、私に寄付をしてくれていた方のお母様に起きたのです。この意味お分かりでしょうか?

この奇跡は、寄付をしてくれていたご本人に起きたわけではなく、その方の母親に起きたということです。ということは、この神の運動に協力してくだされば、その協力してくださるご本人だけでなく、その周りの人にまで奇跡が起きるということになります。

それが事実なのです。私に嫌がらせなどすれば、その周りの人まで不幸になります。(現実にこの辺りの人、数人が始めた私への嫌がらせのせいで、この辺りの多くの人が不幸になりました。そういう、明かに悪いこと〔それも重大なです〕をしている人を止めなかった、という連帯責任です。名古屋市の市バスの運転手が私に嫌がらせを始めたのです。当然名古屋中に不幸が襲います)

逆によいことをすれば、その周りの人にも奇跡が起きるのです。(そういう神の運動に、協力できるような心にその人を育てた、ということでです。これも、その方に縁の深い方の多くに神の慈悲が与えられるのです)

神の使いによいことをすればよいことが、悪いことをすれば悪いことが、その本人のみならず、周りの人の多くに与えられるということです。(十倍返しです……取りあえずこの言葉一度は入れておかないと)

このようなことを知るのであれば、もうお分かりいただけるはずです。誰のいうことを聞けばいいのか。

不幸になっている人のいうことなど聞いていれば、当然のことですが、その人は不幸になります。(当然その行いをまねしても同じです。そのような現象が続々と現れています)考えてみてください、そんな人のいうことなど聞いていれば、いつ自分がそのような不幸に見舞われるのか、不安で仕方がないのではないですか?ではもう、その時点で不幸です。

しかし、私のいうことを聞くのであれば、仮に不幸がその人を襲ったとしても、まだ奇跡が起きるかもしれないという希望があるのです。ではもう、その時点で幸福です。(これもまた天と地以上に気持ちの差があります)

仮にその人が一生不幸に遭わなくても、いつその不幸が襲うのか、と不安一杯の心で一生を過ごしたのであれば、その人は幸せな人生を歩んだといえるのでしょうか?

そのような不安な人生を歩んでいる人たちが今たくさんいるのです。

一部の間違ったことをいう人たちの意見を、そのまま聞いているからです。その人たちのせいで多くの人たちが、毎日のように不安にさいなまれているのです。(毎日救急車のサイレンが鳴り響いていますから。今日も前の会社の連中、一生懸命邪魔していますが少し迫力ありません。やはり何か起きたようです。しかし、それでも嫌がらせをやめないのです。こういうことがどれだけ多くの人の迷惑になるのか、こういうでかい音を立てて多くの人に迷惑をかけている、その言動ですでに分かります。こういう人たちが多くの人を不幸にしているのです)

そのような不安な人生を、法を知ろうとしなければこれからも続けなければいけないのです。

誰のいうことを信じればいいのか、法を知ることの重要さが、少しはお分かりいただけるでしょうか。

0コメント

Trackback URI | Comments RSS

コメント記入

Spam Protection by WP-SpamFree


あなたは人目の訪問者です。