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10月 07 2010

ゴルフトーナメントでの気づき②

10:14 AM ブログ

私が観た夢の意味が分かった時、私がはじめて法に出会ったころのことを思い出しました。

私は高橋先生の本を読んで、この人の教えこ本物だと思い、(その時すでに高橋先生は亡くなられていたので)この方の教えを継がれている人はいないかと探し始めました。そして、園頭先生の本を見つけたときは、この人こそ高橋先生の教えを正しく継いでいられる方だと直感し(それまで高橋先生の教えを継ぐだの、高橋先生がでてくるだの言う人の本を何冊も読みましたが、とてもそうは思えなかったので)園頭先生が主宰されていられた正法会(後に国際正法協会と改称)に入会しました。

しかし、私は入会したというだけでただ園頭先生の本を読み、近くで講演会が開かれた時だけは講演を聴きにいくというだけの、どちらかといえば、それほどやる気があるわけではない会員でした。園頭先生に積極的に何か質問したり、研修会に参加することもなく、ただ講演会が近くにあるときだけは、出かけていくだけの一会員に過ぎなかったのです。(ところが正法会に入会して二~三年たったころから、園頭先生が不思議な態度を私にとるようになります。このことはあまり人に言ったことはないのですが…また書く機会があればそのことは書きます)

私はプロの野球選手やゴルフの選手に、せっかく法というものを知るチャンスがあるのに、ボッーと観ているだけだと書いたことがありましたが、よくよく考えてみれば、私も園頭先生と出会ったころは似たようなことをしていたのです。

「そういえば、自分も園頭先生に出会ったころは、あまりやる気があるほうではなく、どちらかといえば園頭先生の話をボッーと聞いているだけで、人のことをいえるほど法に対して勉強する気も、その法を広げる気もなかったな」

自分が観た夢の意味が分かったとたん、次々と自分の法に出会ったころのことや、勘違いしていたことがわかり、恥ずかしくなってきました。

「そうか、私は自分のことは棚に上げ、ずいぶん間違った心で法を拡げようとしていたのだな」と反省しました。しかし、高橋先生がいつも言われていましたが「改めるにはばかることなかれ」です。自分が間違えたと気づいたら、それをよく反省し、二度とそのような考えを持たないようにすれば自分の間違えた罪は許されます。

高橋先生は「反省は神の慈悲である」といわれておりました。(この言葉には深い意味があるのですが、それはまた改めて書きます)

園頭先生でさえ「私は今までこのような思いでやってきたが、それは間違いと気づきこのように考えを変えたらいっぺんに心が軽くなった」と、よく正法誌(正法会が毎月出していた月刊誌)に書かれておりました。

如来といわれる方でさえ、反省されることがあったのです。私程度の者が勘違いしていても、まだまだ修行中の身、間違えたと分かった時点でそれを反省し、心を変えればよいのです。

法を人に伝えるならば、より謙虚にならなければならなかったのです。

そのことに気づいた私は、何か急に目の前の道が開けたように感じました。

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