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10月 02 2013

人間罪の子?

10:42 AM ブログ

中国に次のような話があります。

ある若い僧が、川べりで瓦を一生懸命磨いていました。通りかかった老僧がそれを見ていいました。

「おい若い僧、お前はそこで何をしているのか」

「瓦を磨いて玉にしようと思います」

人間は本来瓦(罪の子)である、だから瓦(罪の子の自分)を磨いて玉(神の子)にするのである、という考え方です。

しかし、この考え方は老僧から一喝されます。

「ばか者、瓦をいくら磨いても玉になるものか。玉だから磨けば玉になるんだ。考え違いをするな」

このような考え違いをしている人はたくさんいます。

「人間は罪の子だから、その罪をいつまでも背負っていては救われない、だから、その罪をざんげし心を入れ替えることによって、神はその罪を許してくれるのです」と。

一見すると、この意見は正しそうに思えますが、しかし、先ほどの中国の僧の話を思い出すのであれば、この考え方はおかしいのではないか?と思われる人も多いはずです。

人間が本来罪の子(瓦)であるならば、なぜ罪を犯すのがいけないのでしょう?罪を犯せばいいのではないですか?元々そのようにつくられているのですから。

ところが罪の子の人間の罪をざんげし、心を入れ替えろといのです。なぜ、心を入れ替える必要があるのでしょうか?元々罪の子としてつくられているのにです。

人を罪の子と断定してしまうと、このように説明がつかなくなるのです。人間罪の子といっている人たちは、最初から論理矛盾をかかえているのです。

人間は神の子だから、罪を犯すのはいけないし、罪を犯したのであれば、その罪をざんげし心を入れ替えなければならない、このような説明でなければ納得できないでしょう。

それに人間が罪の子としてつくられているのなら、神の子になることは永遠にできません。先ほどの話の通り、どうやっても罪の子(瓦)が神の子(玉)に変わるはずがないからです。元々神の子であるから人間は神の子になれるのですし、よいこともしなければいけないのです。(元々よいことをするようにつくられているからです)

この人間罪の子という思想は、新興宗教でもいっているところが多いのですが(そうして教祖様だけは神の子といわれるのです…なぜ教祖様だけ神の子なのでしょうか?)キリスト教や仏教でもいわれています。しかし、そのような思想は間違いであり、これはパウロや親鸞上人の影響でそういわれるようになっただけで、キリストも釈尊も人間が罪の子などとはいっていられません。

いわれるわけありません。人間は神につくられた神の子である、ということをお二方ともご存知だからです。(パウロや親鸞上人はなぜそんな説き方をされたのか?それはこの二人の心に問題があったのですが、それはまた別の機会に書きます)

人間は神の子だから、悪いことをすればざんげも必要であるし、心を入れ替え、これまで犯した罪を神に詫びることも必要なのです。元々は神と同様の、きれいな心を人は神から与えられているからです。そのきれいな心を勝手に汚したのはその人だからです。(自分の間違った思想などでです)

そこらへんに落ちている石を、どれだけ磨こうとダイヤモンドの輝きは出てきませんが、汚れたダイヤモンドをきれいにすれば、本来の輝きを、そのダイヤモンドは取り戻しきれいに光り輝くのです。

それは元がダイヤだからです。

人の心もこれと同じで、ダイヤモンドの輝きをすべての人は持っているのですが、その心本来の輝きを現している人は、現在はほとんどいません。

それは自らして、そのすばらしい心の輝きに曇りをつくっているからです。わざわざきれいな心の光を汚しているのです。

今日も朝から、一生懸命このブログを書くのを邪魔をし、昨日のようなブログを書けば、気色ばんで嫌がらせしてくる人たちもいます。(何が面白くないのか〔よほど地獄に堕ちたくないのか、私に寄付するのがいやなのか知りませんが〕自分たちの行状を棚に上げ、それをまったく反省することなく、そんなことしてくるんですから呆れるばかりです。それではどう考えても死後は地獄でしょう)そのような心と行いが自らの心の光に曇りをつくっているのです。

そのような曇りを、心に生じさせているのであれば、それがどんな災いを呼ぶことになるのか分からないのです。(多くの災いを呼んでいる人が多そうですが)しかし、心が本来を輝きを取り戻すのであれば、その光が神の光と共鳴しどんな幸運(奇跡)を呼ぶのか分からないのです。

幸運と災いではずいぶんと差がありますが、日本の現状を知るのであれば、どれほど多くの人が心に曇りをつくり災いを呼んでいるのか想像できます。

人間本来神の子であります。その神の子にふさわしい心と行いをされたらいかがでしょうか?(それが分かっていても、どうしてもできない人もいます。しかしそれは勇気が足りないのです)

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