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10月 05 2013

神の業を忘れ愛を出すことを知らない愚かさ

10:41 AM ブログ

しかし、よく考えてみればこれだけサイレンがしているのです。(昨日も救急車のサイレンやら、消防車のサイレンやら、なにやらよく聞こえてきました。一体、名古屋で何が起きているんでしょうか?)ということは、昨日書いたような不幸な人が、毎日出続けているということになりますね。

このような異常な状況で、何で皆さん平然と生活していられるのでしょうか?(特に、このような原因をつくったバスやトラックの運転手が、未だに平気で私を見るとブシュブシュやってきます。〔昨日も市バスやらトラックの運ちゃんやらによくやられました〕この人たち何の責任も感じていないようです)

このような状況を、いくら私一人のせいにしていたところで、その現象が収まるわけではありません。いい加減、今起きてる状況の恐ろしさを自覚しないと、気づいた時には名古屋が大変なことになっていた、ということも十分ありえる話なのではないでしょうか。

これ大袈裟な話ですかね?毎日これだけサイレンが聞こえてくるのです。現在の名古屋は大変な状況なのではないですか?(他の地域の人には申し訳ありませんが、今名古屋が大変なことになっています。こちらのことを優先的に書かせてもらいます)

いつまでも放置できる問題なのでしょうか?家族の誰か一人でも深刻な病にかかれば、その家族全員が不幸なのです。(家族の一人が深刻な病にかかって、平気でいられる人もそうはいないと思いますので)そのような不幸な家族が毎日続々と現れているのです。(昨日のような、消防車が出動しているということは、家かどこかが火事になっているということですし)これ大変なことが起きていると思われないでしょうか?

何でそれを、たった一人のせいにして平気でいられるのでしょう?まったく不思議でなりませんが、自分たちがそのような不幸に見舞われないと分からないのでしょうか?また、そのような不幸に見舞われても、少しするとそれを忘れてしまうのでしょうか?(前の会社などその典型のようです。昨日あれだけ静かだったのに今日はもういつものように邪魔しています。この会社、何度も恐ろしいことが起きていると思いますが、それも忘れたかのようなのです。この人たち一体どうなっているのでしょうか?)

この辺りの人たちでもそうですが(あのバスやトラックの運ちゃんたちも同じでしょうが)恐ろしいことが何度も起きていますよね(あれだけ態度が激変すればよく分かります)私に同じようなことを繰り返していますが、そのような神の業をすぐ忘れてしまうのでしょうか?

だとしたら、ちょっと信じられない恐ろしさですね。(頭がいいとか悪いとかそのような問題ではなく、それはもう恐ろしいとしかいいようがありません。神の起こされた業をすぐに忘れてしまうのですから)

このように、何か恐ろしいことが起きても一日二日でそれを忘れ、また同じことを繰り返す。なぜ名古屋でこのような恐ろしい現象が続いているのか、その理由もお分かりいただけるものと思います。(そんなに簡単に起きた現象を忘れられては、反省などできるわけありませんから)

神が起こされた現象を忘れないことです。

それを記憶にとどめ、心にとどめ、その時の心を反省する以外、この神の起こされた現象を止めるすべはないのです。

釈尊は、飢饉の時ほど托鉢しなさい、貧しい家ほど托鉢しなさい、といわれました。なぜそういわれたのか?

それはすべての天変地変(不幸)は、そこに住んでいる人の心が引き起こすからです。「与えるものは与えられ、奪うものは奪われる」「善因善果、悪因悪果」というのが法則だからです。

愛を与えることをせず、奪うことだけ、貰うことだけ(私に対する嫌がらせや無視は、私が多くの人に愛を与えようとする〔法を人々に伝えるほどの愛はありません〕その愛を奪っていること、貰っていることと同じなのです)を考えていると、なお奪われるという現象が起きてくるのです。その一つの現象が名古屋で起きている現象です。(現在日本で起きている、異常気象などの現象もこれと同じ理由です)

だから多くの人が不幸になっているのです。多くの愛を出している人の、その愛を奪い、ただもらっているだけだからです。

「魂の前進向上は、布施という慈悲の菩薩行を通じて、はっきり約束されよう」

釈尊はこのようにいわれています。

今(名古屋だけではありませんが)起きている恐ろしい現象は、自分の行いを反省せず、愛を出そうとしなかった結果であるということです。(愛を出すどころか、怒りばかり出しています。これでは〔その心のままに〕よけい恐ろしい現象が現れます)

神の業を、次々に忘れしまう愚かさに気づくべきでしょう。そうして、それに気づいたのであれば、自分があまりに愛を出していなかった、その愚かさにも気づくべきでしょう。

そうすれば恐ろしい現象は収まり、愛ある現象が次々に現れることになります。

しかし、その反省をせず愛ある行為をしようとしなければ、この恐ろしい現象はいつまでたっても続くのです。

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